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手仕事をふたたび「暮らし」にする - atelier shimuraとkras- 対談レポートその3

草木染めによる染織ブランドのatelier shimura(アトリエシムラ)と、インドネシアと日本の伝統的な手しごとでオリジナルプロダクトをつくるkras(クラス)。今回のコラボレーション商品や特別展示作品の制作の裏側の、それぞれの想いをお伝えします。

オンラインストアでのコラボ商品のお取り扱いはこちら
https://www.atelier-shimura.jp/collections/kras-ateliershimura?page=1

atelier shimuraとは
染織家・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした次世代によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという思いから生まれた染織ブランド。「自然と芸術を日常に取り入れる」をテーマに着物の他、草木染めマスクや色合わせストールなども制作しています。
https://www.atelier-shimura.jp/
krasとは
日本とインドネシアの各地に伝わる伝統的な工芸と手しごとを混ぜ合わせ、家具や雑貨、茶道具などのオリジナルプロダクトを通して、暮らしに“ゆるやかさ”を届けるクラフトライフスタイルブランド。京都のアトリエを拠点に、バリ島やジョグジャカルタに工房を持ち、日々ものづくりをしています。和裁の持つ日本ならではの繊細な技法に、新しい解釈を加えることで、その魅力や手しごとから生まれる美しさを、みなさんに楽しんでいただけるようお届けしていきます。
https://kras.life/

話し手:atelier shimura代表 志村昌司
    kras代表 井上翔子さん
ファシリテーター:kras 井上裕太さん

とけあう季節

裕)いくつか共通点の話が出ましたが、今回「とけあう季節」というテーマで、バリ島と京都、インドネシアと日本といった対比が様々な角度でなされていますね。どのようにテーマを設定し、実際に制作したのか。またその過程で感じたことを伺いたいです。

ふたつの季節籠


翔)今回の企画展のテーマ「とけあう季節」を象徴するのが、このふたつの籠です。バリ島の季節と、京都の季節。最初の打ち合わせで、アトリエシムラのみなさんは、気候や自然の姿を色として染め織りこむという話を伺いました。季節とか気候の姿そのものが布に出て来ているからこそ、見る人や纏う人の心が動いたり、今の季節はこの布を触りたい、着たいと感じるのだなと思いました。

京都とバリ島では文化も気候も異なります。京都を体現するアトリエシムラさんとの展示に、バリ島のイメージや文化を持ち込むことで、何か新しい発見があるのではと考えました。いろいろな対比を考えた結果、やはり季節というテーマに立ち返ってきたんですね。それも、特定の季節を表現したいのではなくて。夏から秋に移り変わっていく時に、さみしいようなノスタルジックな気持ちになる。あるいは冬から春めいて行く時の新芽を感じる高揚感。私自身はそういった季節の変わり目に心を動かされるなと思っていて、その変わり目を表現したくて試行錯誤しました。

昌)ふうむ。

小裂と季節の流れと、ぼかし縫い

翔)今までアトリエシムラのみなさんが色んな布を織ってきていらっしゃって、その小裂(こぎれ)をきちんとストックしていらしたんですね。それをお預かりして、組み合わせることで季節の流れを表現出来たらなと思ったんです。

スケッチ2

小裂ならべ

翔)ただ、ばちっとパッチワークを貼り合わせてやるだけでは、季節の変わり目に当たる部分がなかなか表現できない。ぼかし織り*みたいなことができないかと考えました。織りではなく縫いで、となりあう裂同士の色を溶かしていくように、ぼかしていくように表現できないのかなと。それで、これまでになかった新しいやり方を編み出すことになりまして・・・。
となりの裂との境目を縫うにあたって、その裂自体の端っこから出てきた、織りのほどけた糸を縫い糸として使って、その裂自体を縫っていくことをやってみようと。それができれば、違和感なくとなりの布と溶け合わせることができるのかと考えました。(ぼかし縫いと命名された)

昌)なんとも気の遠い・・

翔)かつ、ただ縫うのでなく、織りに近づけた縫いができないかなという試行錯誤を。隣の裂の経糸を数目かいくぐり、緯糸に添わせるように和針*で縫っていくという。織りと縫いの間ですね。

*和針…着物を縫うための和裁で用いる針。洋裁で用いる洋針よりも細い。

ぼかし縫い2

翔)それをずーっとやってできたのがこれです。

季節籠京都1

季節籠京都2

ちなみに、こちら(季節の籠:京都)では、ここ(うしろ正面)がお正月にあたる部分。ここから季節が春めいていって、新芽が出てくる。空の色がふわっと明るくなり、初夏っぽくなったかと思えば梅雨っぽくなり、緑が濃くなって真夏に向かってくる。そうかと思えば急に秋が来て色彩感に変化が見られるように。松が目立つような季節になって、また冬に戻っていく。
これが京都の季節を表した籠です。

季節籠バリ島1

季節籠バリ島2

こちらはバリ島の季節の移ろいを表現しています。こちら(黄色いたれ)の陽が燦々と照っている乾季の真っ只中から、だんだとスコールが増えてきて、雨の多い雨季に入っていく。雨の恵みで山の緑が深く生い茂ってきて、またふわっと気温が上がって晴れ間が多くなり、ふっと乾季に戻ってくる。そんな一年の流れを表しています。

縫っても縫っても終わらなくてひーひー言いながら、でも嬉しく楽しく、没頭して夢中で作りました。

※季節籠の詳細については後日、当マガジンの別記事でお伝えします。

生命をいただくということ、襤褸(ぼろ)の魅力

裕)四季を表そうというときに、そもそもここまでの色のバラエティが小裂としてあるということに驚きました。これまでの作品を意識的にストックしてこられたんでしょうか?

昌)生命をいただくという思いがベースにあります。例えば植物もわざわざ切ることはなくて、採集したりいただいたものです。お蚕さんなんかはもっと劇的な経験。繭になって孵ろうかというところを焚き出したりするわけですからね。生命をもらっている、殺生をしているという意識があると、なかなか無駄にはできないですよね。
今のフードロスというのは、人々がそういう現場から離れているために起きているのだと思います。牛とか魚とかを自ら獲ってきたりしたら、無駄になんかとてもできないけど、今は簡単にロスになる。

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うちの場合は小裂は全部残しています。着物は、裁断のロスが非常に少ない。ほんとにちょっとしか出ない。
それをとっておけば、その後の作品作りの参考になったり、思い出にもなります。
そもそも祖母は襤褸(ぼろ)織りから出発している人なので、小裂がとても大事だったのですね。これも古い話ですが、高僧の袈裟は、ゆきずりで亡くなった方などの襤褸*裂(ぼろぎれ)を集めてまた一枚の裂にしたものです。世俗における最底辺なものが、精神世界における最高なものに転化されるというのが襤褸の根底にある思想で、そこに祖母は非常に感銘を受けていたんですよ。
紬も同じ。庶民の着物だったものが、ある種の芸術性を持つようになった。繋ぎ糸もそう。捨てるはずの糸を、つないでまた一本の糸にして織り込んでいく。
アトリエシムラで始めたパッチワーク作品の一つに、「切継(きりつぎ)」という作品があります。これは溜まってきた小裂で、パッチワークをして着物をつくったものです。それと、祖母が80歳くらいで具合が悪くなり、その状況でも何か手仕事ができないかということで、小裂のパッチワークの額装ものができたんですね。

*襤褸(ぼろ)…使い古しの布。ぼろきれ。また、つぎだらけの衣服。

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「切継-熨斗目拾遺」-『志村ふくみ-母衣への回帰』図録より

根底には、襤褸織り×紬の出発点があるわけです。小裂は残りというよりも、思い出や作品のかけらというイメージですよね。最近ではむしろ積極的に、このパッチワークものの方が好きという方も多いです。
世界中で襤褸はもうBOROとして知られていて、見直されているみたいですよね。

翔)海外のジーンズのBORO作家さんとかも沢山いらっしゃいますね。

昌)ルーツはわからないですけど、いろんなものが合わさってひとつになることの面白さが、いま注目されているのかなと思いますね。まさにこれ(とけあう季節籠)もそのものですよね。

翔)正倉院にある襤褸(ぼろ)、七條刺納樹皮色袈裟などはもう抽象画のようになっていて、単に事情や有用性にかられただけのものではなく、凄みや美しさを伴っていて、感動すら覚えますよね。
これ(とけあう季節籠)は、まだそれ以外に、何か表現として自分なりにできる新しいものがないのかなと考え込んで編み出した一つでした。

お預かりした小裂を、もうほとんどロスが無いように使っていっても、ほんの小さくハギレが出ます。その数ミリ幅のハギレも、迷うことなくストックしました。どんなに小さいハギレでもそこに尊さと愛らしさがあって、ずっと見ていられる宇宙的な魅力がある。今回の制作が落ち着いたら、その小さく小さく残ったピースでまた何かアートピースをつくりたいなと思っています。

昌)(笑)

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ふたつの山籠

裕)ちなみに今回、”とけあう季節”の茶籠は、織りためた小裂を使ったものでしたが、同じく対比的に作られた、こちらの”ふたつの山籠”は富士山と、バリ島の富士山と言われるアグン山を表現するという、非常にビビッドな作品。こちらは今回のために織り上げていただいたんですよね。

ふたつの山籠


翔)はい。こちらはお正月のしつらえに、何か一緒につくろうということで生まれたものです。山は生命の塊のような、非常に強いエネルギーを感じるもの。特に富士山やアグン山のような象徴的な成層火山は古来より信仰の対象になってきました。アグン山は直近も噴火してます。
富士山は山自体が御神体として祀られていますし、アグン山には火の神様がいるとされています。どちらも大切に信仰されてきた山です。

その神々しく、おめでたさを感じる2つの山を籠で表現するための布を、新しく織っていただきました。
今回、アトリエシムラの吉水さんに織っていただきました。制作にあたって、私の持っているアグン山のイメージをできるだけお伝えしたいと思いました。アグン山を実際にご覧になったことがない中でアグン山を織るというのは、難しいのかなと思っていたんですが、実際に織っていただいた布を拝見したら、すごくアグン山なんです。感動しました。

アグン山織り2

裕)富士山はめちゃくちゃ富士山だし、アグン山もすごくアグン山。

翔)そうなんですよ。とくにアグン山がすごくアグン山らしいことにびっくりしました。経糸の使い分けで、静と動を表していただいた。静かにそびえ立つ富士山は、白糸で「静」を表現、一方、勢いよく噴火するアグン山はリズムや勢いを感じる藍で「動」を表していただいたと伺いました。アグン山の織りを見た時に、これは「噴火しているときのアグン山だ」と思いました。

昌)まさに。かかり糸も赤い。

翔)そうなんです。このグレーの緒は噴煙で、赤いかかり糸は、噴火しているときに噴煙とともに見えるマグマを表現しました。噴火中のアグン山。

アグン山アップ

昌)制作に関わったまどかさん、感想をお願いします。

ま)井上さんが、それぞれの山をどう捉えているのかを、写真と合わせて言葉で説明してもらって、それをもとにイメージを作っていきました。富士山は静かに、どっしりと見守ってくれている山で、アグン山は土の中からふつふつと湧き出すようにエネルギー持っていて、「いつでも爆発できるぞ」みたいな動的なパワーが感じられました。

翔)ちなみに、元々の織り幅自体が短いので、この丸い茶籠をつくるのに一枚では一周に足りないんですね。どこで布を継ぐか考える必要があります。富士山の方は、凪のような静けさを表すために、真っ二つに正面で継がずに、継ぎ目を横にずらしてみました。横にちょこっと出ている小御岳もイメージしました。正面から見たときに、波風の立っていないすっきりとした印象になるように。
それに対して、真正面からエネルギーを感じるアグン山は、正面で継ぎました。緯糸の溢れ出している”みみ”の部分を見せることで、動的な部分を表現しようと。

昌)360度から見られるということを考えた時に、男富士と女富士と言われるように、静岡県側と山梨県側から見た富士山の姿が全然違う。新幹線から見えるのは、すっきり綺麗な富士山ですけど、山梨側から見たらすごく違う印象を受けるんですよ。それが、この籠の見る角度でちょっと表せてるのかなと。

翔)そういう意味では、私は少し静岡県に住んでいたことがあるので、すっきりした富士山を見慣れてしまっているのかも・・・。

昌)まさにこれすっきり系だね。

翔)すっきり目につくってしまいましたね。(笑)

富士山アップ

裕)ゼロからコンセプトを一緒に作って織っていただくと、こんなに自由に染めと織りで表現ができるんだってことに感動しますね。

染織の起源と生命の存在感

昌)染織の起源で考えると、初めは経と緯の世界しかなくて、縞と格子と無地だけだったと思うんですよ。平安時代の装束は基本的に無地。いろんな色と色の布を重ねる”襲色目(かさねのいろめ)”でいろんな美的表現をしていた。ところが、絣の技術が入ってきたことで、熨斗目*(のしめ)のような、絣で模様を表現するようになった。さらに精緻になっていくと、絣でいろんな複雑な柄で表現できるようになっていった歴史があります。

*熨斗目…江戸時代に、武士が小袖の生地として用いた絹織物。士分以上の者が礼服として、大紋、素襖、麻裃の下に着用した。その小袖が、袖の下部と腰の辺りの色を変えたり、その部分に格子縞や横縞を織り出したりしたものを腰替りといい、やがて腰と袖裾の変わり織りのデザインを表すようになった。また、能装束や狂言装束のひとつでもあり、藍や白、茶などの横段のある段熨斗目や紺無地の無地熨斗目、全体が格子柄の縞熨斗目の三種があり、縞熨斗目は狂言方でのみ使用される。

力強さで言えば、原始的な縞や格子のようなものの方があるのかもしれない。それがだんだん精緻な表現ができるようになってくると、精緻で洗練されている一方で、エネルギーは古代のものの方が強いのかも。

祖母の作品にも同じことが言えて、最初の10年間ほどの作品は全部、縞と格子やぼかし*で、絣はやってなかったんですよ。当時の作品は、絣のものよりもずっと原始的なんですけど、物凄い力強さがある。それが絣をやるようになると、軽やかになってくるんですよね。どちらがよいという問題ではなく、技術的に洗練されてくると、原初的な生命の存在感がちょっと背景に退く。

*ぼかし…同じ色を濃から淡へ、淡から濃へと層をなすように繰り返す彩色法。繧繝(うんげん)。

バリ島のものや、河井寛次郎さんが晩年につくられたような、まるで縄文土器のようなものって魅力がありますよね。縄文土器に魅力を感じるのは、もう現代人がそこから離れているからなんでしょうね。そういうのを、アグン山と富士山の対比に感じるというか。

裕)ピカソの陶器にも縄文土器のようなものが多いですね。

昌)現代から古代への揺り返しがあるのかも知れないですね。

祈りとバリ島

翔)バリ島にはエネルギッシュなものや原始的なものが色濃く残っていて、生活の中でも毎日感じられるので、それが島自体の魅力のひとつのように思います。

昌)ちなみにこれアグン山の写真ですよね。高さはどれくらい?

アグン山写真


翔)富士山よりちょっと低いです。(3031m)登れます。

昌)大きい。登れるんですね。突然どかーんとあるんですか。

翔)そうですね。どかんと。横にもうひとつ、バトゥール火山というのがあるんですが、噴火で大きなカルデラ湖と高原になっています。ぬるめの温泉もあります。
この高原にはかなり古い独自の風習を残している村がありまして、風葬文化も残っています。生と死の境目が曖昧に感じられます。
バリ島の出張から日本に帰ってくると、生死の境目や、自然と人工の概念ががはっきりありすぎてちょっと違和感を感じるようになる。
私にとっては、日々の生活、生きる中での手仕事をやっているという、生の実感みたいなものを強く感じることができるのがバリ島。

裕)バリ島に行って強く感じるのは、そのへんのおじさん(笑)が祈りの時間になるとすごく美しい所作で、極められた者のような美しい姿になる。一日に何度もお祈りをするし、生活の中に色濃く宗教が同居している。これは聖地でお祈りしているところですね。

ティルタウンプル

お祈り

昌)これは宗教としては?

翔)バリヒンドゥーと呼ばれるものですね。バリ島土着のアニミズムと後から入ってきたヒンドゥー教が融合したものです。
お詣りにいくときは、御供物は上に掲げていなきゃいけないので、頭に乗せて。正装としてバティックを巻いていきます。
ちなみに、トゥガナン村ではお祭りの正装に独自の魔除のダブルイカットを使います。染めと祈りが密接に繋がっていて、切って離せないものですね。バティックにも吉祥文様があり、場面によって贈ったり着たりする柄がそれぞれに存在します。

krasバティック


これはジョグジャカルタの家内安全、子孫繁栄を願う吉祥文様です。森の中で、蔓がたくさん生えて伸びるように子孫が繁栄するという願掛け。そしてそれを守ってくれる鳥という表現。本来はここに茶色と緑の染めが入るんですが、krasとしては青一色のものを作りたい、ということで、青一色染めの段階で止めてもらったものです。
すべて手でろうけつで描いていただいたハンドバティックです。

裕)庭みたいな外の工房で、女性の職人さんが一筆ずつひたすら描いていってくれるんですよね。めちゃめちゃ細かい。

ろうけつ作業

次回(対談レポートその4)は最終回です。

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