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神仏の戒めはこのように

 願いというものはなかなか叶わない。最近は「願い事を叶える」ことは大いにもてはやされている。勿論、願いが叶ったら嬉しいし、叶えるべき願いもある。一方で、何もかも願いが叶えば良いという訳ではないし、中には叶ってはいけない願いもある。
 倉田百三の戯曲に『出家とその弟子』という作品がある。その中で親鸞が次のようなことを言う。「幼子が燃える炎に魅せられて手を伸ばす。それを止めない親はいないだろう。しかしその理由が分からないので子供は悔しがって泣く。おまえの願いが叶わない時、それはおまえのための思って仏様が止めて下さっているのだよ。今のおまえにはそれがなぜなのか分からないだけだ
 実際の所、叶ってはいけない願いというのは沢山あると私は思う。叶わない願いは叶わないことによって、私たちに正しい居場所や在り方を示してくれたりする。
 私たちは非常に欲深いので、全ての願いは叶ってほしいと思うし、叶わないならせめて「なぜ叶わないのか」はっきり示してほしいと思う。しかし上の例で言えば、子供を止めることは出来ても、説き伏せることは精神発達段階的にまだ出来ない。

 先日、私は子供を初めて叩いた。食べ物を投げる遊びが身に付いてしまっていた。駄目だぞ、と言いながらしばらく様子を見ていたがやめる気配がない。そこでまた食べ物を投げた時、「やめろ」と一喝して頭を叩いた。
 ひどく泣いた。私はなだめもしないし、追い打ちもしない。放っておく。しばらくすると、泣き止んで、別の遊びを始めたので、一緒に遊んだ。
 それから2週間後くらいに会った。林檎を食べさせていた時に子供が言う。「このまえりんごをなげたとき、とうちゃんがまどかをたたいたよね。それでえーんってないたよね。だからきょうは投げないよ」(*「今日」と言うのは子供風の表現で、この文脈では「もう」みたいな意味である)。

 子供の心はサラサラしている。爽やかな風のようである。子供は自分が叩かれたことも、泣いたことも、悪いこととも恥ずかしいこととも恨めしいこととも思っていない。起きたことはただの事実だ。そして「それをするといけないらしい」ことが分かったので、損だからやめる、という非常にあっさりとした考え方をする。
 子供の知性は私たち大人のそれと違って曇りがない。「親父め、今に見てろ」とかそんなことは思わない。
 
 話を冒頭に戻すと、神仏は(他の何と呼んでも結構)、他にやりようのない方法で私たちに語りかけている。
 私たちは大人になったことで、ちょっとしつこくなってしまったのではないだろうか。
 「どうしてりんごを投げちゃいけないの?」
 「じゃあ何、どんな願いも叶えちゃいけないって訳?」
 「父ちゃんだってどうせ子供の頃はりんご投げてたんでしょ」とか…そんなことを、人生や神様仏様、他人様に言っていないだろうか。「駄目だよ」と言われたらから「そっか、駄目なんだ」と物分りよく飲み込む代わりに。

 叶わない願いは、叶わないように神様がしてくれている。

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