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内なるヒトラー

 最近、僕はやたらと映画を観ている。それで今日は『ヒトラー最期の12日』という映画作品についてお話したいと思う。先日「子供のように素直に…」ということを書いたけれど、その真逆は何であるかということを、この映画は教えてくれる。
 ヒトラーはとにかく怒る。その癇癪ぶりは常軌を逸している(迫真の演技である)。大の大人が怒りで死にそうになるほど怒り、同じく大の大人が亀のように首をすくめてそれに従う。
 「またおかしなこと言ってるよ…」と皆、分かっている。でもそれを言うことが出来ない。なぜなら、本当のことを言うと、「おまえは死刑だ!」とヒトラーに言われてしまい、同僚たちは亀のように首をすくめてそれに従うことを知っているからだ。誰も自分を守ってくれない。恐ろしいことに、そこには一人の仲間もおらず、皆が皆、敵なのである。
 僕はこう思った。例えば次のような会話だ。

A「総統、それは違うと思います」
ヒトラー「何!? B君、Aを死刑にしろ!」
B「いやです。総統の言っていることはおかしいです」
ヒトラー「何!? C君、Bを死刑にしろ!」
C「いやです。総統の言っていることはおかしいです」
(以下Zまで)

 これが延々と続いたら、ヒトラーと言えどもあの狂気を繰り返すことは出来なかった。しかしそのようなことは実際には起きなかった。つまりAさんはヒトラー以上に、ヒトラーに従うであろうBさんやCさんを恐れたのだ。
 童話の『裸の王様』では「あはは、王様、裸でやんの」と子供が言ったら、皆がほっとして「助かった〜」と思った。しかしヒトラーの場合にはそういうことが起きなかった。逆に、この子供の素直さを殺すことを、皆が選んだのである。ヒトラー一人の怒りと狂気を正当化するために。
 子供の素直さを殺す時、人間の絶対的な孤独が始まる。これはヒトラーという「大物」に限った話ではなく、僕たちの身にも毎日のように起きていることです。誤りを指摘されると恥ずかしくなる、恥ずかしさが振り切れると怒りに達する、その怒りが出ないように先手を封じて相手を黙らせる…やっていないですか? そういうことを。
 私たち一人ひとりの心の中に、ヒトラーはいるのです。
 

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