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2022

明けましておめでとう御座います。

という表現の何がおめでたいのか。
そんな事を真剣に考えてしまうような小学生だった僕も立派なオジサンになってしまった2022年の元旦。

未だに何がおめでたいのか、の答えは見えないままですが
一つ思う事は
全ての生きたかった人達が新年を迎えられた訳ではない事、また昨年を生き残った人々はまた、今年も生き残り、前に進むのだろうと思う事。
これらの事はおめでたい、と言うよりかは有難く、一種の尊さのようなものがあるのだろう、と思っています。

今年始まって一番最初のアクションは新年の挨拶を関係各位の送る事でした。
「昨年はお世話になりました。今年も宜しくお願い致します。」

定型文的で去年の感謝と今年のお願いを伝えられる便利な文章。
しかし、随分と厚かましいようにも感じられます。
「美味しい。おかわり下さい」
みたいな感じがします。
それに代わる長々しい文章をわざわざ考えて、要らぬ個性を出すよりかは良いと思い、既に送信を済ませてしまったのですが。

その厚かましさが許されるような態度、つまりは
「精進致しますので引き続きお付き合い頂けると幸いです」
と言う野暮な文章を打たない代わりに今後の態度で示していくのだ、と決意する、と言う作用を得られる処までが、この定型文の使い方なのだろう、と勝手に納得しています。

関係各位に挨拶をした後はSNSで、同じく挨拶をしていく、と言うアクション。
noteは、その最後として書いております。
ここはTwitterやFacebookと違い、このコンテンツページには基本的に、このコンテンツしかありません。

なので、ただの挨拶は他のSNSで良いとして、noteには違う角度で何かを書いておこう、と思っております。
新年一発目に書く事は、去年の反省と今年の目標くらいが関の山だと考えていますが。
と言う訳で、このコンテンツは去年の反省と今年の目標を書きます。

去年の反省

去年の僕は例年通り、自堕落な生活を送っていました。
部分的に切り取って見れば頑張っている時もありますし、よく見せる事も可能なのですが、根っこの部分は堕落的。

一つ大きな功績としては自分自身の堕落的欲求に自覚的に慣れた事です。
孤独、不健康、依存、没頭。
退廃的な欲求、デストルドー。
ビジネスパーソンらしからぬ側面が確実に存在し、それを完全に消滅させる事に対する努力をやめて、時に僕自身はそうゆうモノなのだ、と諦めて受け入れる事が出来るようになった事は一つの成長だったと思います。

仕事は業界的ダウンターンの中にあって、それなりに持ち堪えた印象を持っています。
僕達の事業は多面経営なのですが、それに甘んじる事なくコア事業はコア事業でそれなりに踏ん張った感じがします。

これは案外大切な事で苦しい時に新しい可能性を開花させて、キラキラチャレンジャーな感じがSNS受けの良い企業な気もしますが、実質は既にサプライに参加出来ている既存事業の価値は大きい。

そこの落ち目の中で、それなりにジタバタしてみる、と言うのも結構大切で価値が高い事なのではないか、と思います。
とはいえ、事業自体は踏ん張っていても金銭や将来性、市場環境や感染症は待ってくれないので、ある程度の再編は必要になりました。

単体だったコア事業はダブルコアとなり、選択集中によりサテライト事業の半数近くを閉鎖、統合しました。
個人的には、これも良かった事だと感じています。
本当にやりたい事、やって人の役に立てる事を既存の出来る事の中から選び出す作業でした。

時間も資源も有限なので時には無鉄砲に拡大する事も重要で、また別の時には厳しく精査して切るべき処は切る。
去年は、切るべき時だった気がします。

プライベートではやりたい事の半分をちょっと下回るくらいの事は出来たような気がしています。
成績は悪いですが、元々やりたい事を多めに設定していたので、案外充実している感じを生み出す事が出来たような気がしています。

今年の目標

目標は目的から逆算された道のりなので、今、僕が生きている目的をハッキリさせる処から今年の目標は決まっていきます。

①QOLの向上
②既存サプライへの参加
③サプライとシステムの設計
④無能と有能の調和
⑤ボトルネックモグラ叩き

目的の細かい話は別の機会にするとして、今年の僕の最初の目標は「共有性の高いアーカイブを作る事」です。

クリエイションを生業とする場合
制作→流通→利用→価値
と言う基本サイクルで機能していくと考えていて、これの分岐的なループの中で様々な業界が回っている気がしています。

制作がボトルネックになっていなければ、次に何処がボトルネックになるのかと言えば、流通の部分です。
しかし、これを超えても利用や価値創造の部分でボトルネックが発生するかも知れません。

文字で概要的に書いてしまえば単純ですが、実際は各セクションの関係各位や視点、業界、市場、役割など様々な分解が可能な多数の連鎖構造の繋がりでサプライチェーンが構成されている事を鑑みるに、作った物事が何処でボトルネックに引っ掛かるのか、全く読み切れないのが実情だと思います。

だとしたら、まずは流してみる、と言う単純な作戦に出るのが良いのでは、と言うのが僕の視点です。
色々な制作物を流して、何処に引っかかるのか観察してみる作戦です。

この作戦では作る事と流す事に息切れさえしなければ、ボトルネックを解消する度に成果を上げる事が出来るので戦略として好きです。
そして作る事が出来るならば、次にやるべき事は流す事。

流す、と言っても比喩的な表現で実質的には認知、共有、使用、など様々な要素の集合体です。
この中での主体的項目は共有になるので、共有性を高める方向性になります。

さらに共有コストの問題、特に発信労力の課題がすぐにボトルネック化するので、それを解決したいと考えると
「アーカイブにして全部流す」と言う作戦が良いのではないか、と考えています。

この考えがどれ程まともなのか、僕自身も分かっていませんが、今年は、その実験から始めていきます。


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