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読書記録『熟達論』

『学び』の面白さを言語化してくれた一冊。

- 概要 -
熟達論 / 為末大 (新潮社)

基礎の習得から無我の境地まで、人間の成長には5つの段階がある。その段階を昇るのに年齢は関係ない。では、壁を越え、先に進むために必要なものは何か。自分をどう扱えばいいのか。「走る哲学者」が半生をかけて考え抜き、様々なジャンルの達人たちとの対話を重ねて辿り着いた方法論が一冊に。

帯より引用

ザッソウラジオで面白いと紹介されていて読んでみたいとなりました。

- 印象に残った言葉・感想 -

「面白い」に意味はいらない
社会においては頻繁に「それをやる意味」を問われる。問われれば、しっかりと答えなければという気持ちになる。
もし「ただ面白いから」と答えても、聞いた人は満足しない。あなた自身も納得しないかもしれない。

熟達論 P53

自分が木工をしている理由は「面白い」からであって、それ以上でもそれ以下でもない。
木にはいろんな色があるから面白い。
木を削っているのが面白い。
頭の中で想像したものが形になるのが面白い。

作品が売れなくても、生活できる収入がなくても続けている理由は「面白い」からなんだと思う。

「見る」とは「分ける」こと

熟達論 p108

例えば本を読むとき、視界には本以外のものも入っているはず。しかし、意識の上で本以外は切り離され、本だけに意識が集中している。
本とそれ以外を「分ける」ことで、本を「見る」のである。

見えているものにどんな意味づけをするかで分け方も変わる。どんな意味を持たせるのかは人によって異なる。重要だと感じる場所が違ってくるからだ。
知識や経験が観察には大きな影響を与えている。

最後の子どもが砂浜で砂を積み上げて遊ぶ描写は熟達の過程が分かりやすく書かれている。
子どもが遊んでいる様子を見ていると『型』の前に『遊』があることの大切さがすごく分かる。
『遊』があることで『型』を越えて『観』『心』『空』に行けるのかなと思う。

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