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自己選択できる人/できない人の世界の差

彼の国ではストライキが多発しているそうですね。

暴動や強盗に発展してはいけないけれど、きちんと「嫌なものは嫌」だと、国に対して伝えられることそのものは、国として健康だと思う。
美しいパリが炎に包まれているという映像に衝撃を受けましたが、それでも言うべき時は言い、やるべき時にやる姿勢が凄いな。今の日本には、そして国民にはその体力がないのだと感じざるを得ません。

島国特有の「自国民同民族」とか「みんな一緒がいい」といった同調圧力によって、外しても構わない自己選択のマスクすら、「みんながしているから」という自己選択力の欠如によって(花粉症の方ももちろんいると思いますが)面白いほど風景が変わらない。それもこれも全ては自分の選択ではあるものの、何かがあったときだけ「こんなはずじゃなかった」「聞いてない」と言うのもどうかと思う。
選択することを恐れ、選択を先延ばしにすることで私たちはいくらでも他者の所為にすることを覚えました。

投票行っても、投票したい人がいない?それなら白票投じればいい。
和を乱してはならない。人に迷惑をかけてはいけない。
え?生きてる時点で誰しもみんな周りに迷惑かけながら生きてくもんでしょ?誰1人として生まれた瞬間に立ち上がって、ご飯を作って食べられる人間なんていやしない。赤子ってそういうもんだからいいの?
地球に生まれ落ちた時点ですでに、きっと他の動物達からみたら人なんざ存在すら大迷惑ですよ。

誰かに何かを言われるのを怖がって、周りの多数の声を聞き取ってビクビクしながら生きていくのか。

職場でも、保育園や小学校でも同調圧力の脅威を感じない日はなかった。
それで、自らを守っている?毎日食べる食事の選択から、ワクチン接種に至るまで、全ては自己選択でできていると自覚しておいた方がいい。

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