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「子育て」と「自分育て」

今朝、数日ぶりにストレッチをやって思ったこと。


昨日はなんだか自己嫌悪な1日だった。
雨なのと前日の夜の不快な記憶を引きずっているのと生理前なのと…。
理由は色々思いつくのだが、せっかくあった大量の自由時間を有意義に使えない。
1日が終わる頃には自分に対して諦めのような態度になっていて、ひたすらYouTubeを観て終わってしまった。…まぁ、いつものことね。

気を取り直す意味もあって、今日は早起きしてストレッチをした。
天気は晴れて気分がいい。
まだ誰も起きてこない静かな部屋に、お気に入りの音楽を流して寝ぼけた体をウーーンと伸ばす。気持ちがいい。

途中、ふと、“ありがとう”って言葉が頭に浮かんだ。
ありがとう? 誰に??

ーー自分に、だと思った。
私は、昨日の鬱屈した思いを断ち切るべく、早起きして行動した自分に対して感謝したのだと思った。

おかしな話だけれど、“自分”て1人じゃないのかも。
もしかすると複数いて、それぞれが意思や性格を持っていて、でもそれだと脳がパンクしちゃうから、普段はなんとなくひと纏まりとして認識されてるのかも。
さっきはリラックスして頭が空っぽだったから、1個人としてひょっこり出てきてくれたのかも。…なんて思ったり。

私は“ありがとう”って言葉が出てきてくれて嬉しかった。
思いもよらぬ人から自分のやってることが認められて、喜んでもらえた。
自分だけの中で起こった奇妙なやり取りだけど、ああこれは子育てと同じなのかもしれない。

「子育て」も「自分育て」も変わらないのかも。

「子育て」は大変。

だからつい、大人は楽したくて甘やかしちゃう。
言うことを聞かせる為にお菓子を与えたり、構って構って言われるのが嫌だからテレビやゲームに子守りをさせたり。
他にも、やり方を説明したり説得して行動させるのが面倒で、「こちらがやってしまった方が早い」って、そそくさと子どもがやるべき仕事を取り上げちゃったりね。
これって、優しさじゃなくて“甘やかし”で、延々と私の仕事は減っていかないし、子どもも自発的な人間にならないし、お互い良いことないのよね。
そのくせ、“甘えさせる”時間は全然取ってあげなかったりしてさ。
拙いお喋りを延々と聞いてあげるとか、「見て見て!構って!抱っこー!」っていう子どもらしい自然な欲求。
それらに応じず、前述のような甘やかし策でついつい流してしまう。

「自分育て」もそんな感じかも。

私は私を“甘やかし”てなかったかな?
必要ないはずのお菓子を食べることで気を紛らわせたり、予定してた行動から逃げてYouTubeを観続けたり。
運動するのも億劫で先延ばし。
そう、中途半端に手をつけて、何でもかんでも先延ばし。
だって、面倒臭いからね。

本当は、私は自分に構って欲しいんだ。
私の課題と日々向き合い続けて欲しい。
自分を責めるんじゃなくて、頑張った自分を褒めたいし、褒めて欲しい。
子供を抱っこするみたいに、自分の身体も大事に労って欲しい。

面倒でも。億劫でも。それは絶対に無駄な時間じゃないから。
ちゃんと未来の自分に反映するんだから。

自分自身を振り返ってみてよ、子どもだった頃の私。
うんと甘やかされただけの心が空っぽの私は、今や自立の出来ない、自信のない大人になってるじゃない。
アレやんなきゃいけないとか、アレがあるから出来ないとかさ、色んな言い訳ばかりほざいてないでよ。
「自分育て」から逃げないでよ。


ホント似てる。
同じだ、子どもを育てることも、自分を育てることも。

もう、私は大人だ。

周回遅れで、私は私を育ててるんだ。

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