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あっという間の1年間。捨て活中の今。

久しぶりにnoteを書く。ほぼ1年ぶり。
最後に記事を書いた後、近所で梱包のパートを半年間やった。
なんと10年ぶりくらいの労働。
あんなに働くことを怖がっていた私だけど、“なんだかんだパートをやれて良かった〜”なんて感謝の気持ちで辞めることができた。進歩よ。今度ちゃんと記事にしたい。

今はまたパート主婦から専業主婦に戻ってのんびり時間を過ごしてる。
以前と違うのは数ヶ月後に離婚を控えていることと、この住処が売却物件になっていること。

ずーーーーーーーっと抱えてきた私の離婚問題は、予定より2年ほど早く決着がつこうとしている。
合わせて、片付けなければならないモノやコトが山積みで、今はそれらをコツコツと処理している。

モノ・コト・ヒト。要らないはずなのに、いざ対峙すると“まだ価値がある”とか“これ高かったし”とか“いつか使うかも”とか“2度と出会えないかも”とか、いろんなストッパーがかかってなかなか捨てられない。

そういうときって無理して捨てずに、一旦保留しておくといい。

その次、そのまた次くらいには不思議とプッツリ執着が途切れる感覚が湧いて、ちゃんと捨てられる。
勢いでもなんでもなく、悔いなく理性的に捨てることができる。

“手放すべきもの”って、実は意識の底ではちゃんと認識してるんだよね。
ただ、表面に常駐している“漠然とした恐れ”に引っ張られて、判断を鈍らせちゃってるの。
それが悪いと言うよりも、なんか人間ってそういうもんなんだろう。

だから、急いで捨てようとしなくていいんだ、しんどいなら。
時間が経って、再度対峙したら“あー、やっぱ要らんな、コレ”って瞬間が必ずくる。そっからはスムーズだよ、ホント。

離婚が2年早まったのもそんなとこ。
パートを始めた直後、深夜に警察署からの電話で起こされて。
20分後、タクシーの運転手さんにクリーニング代を渡し、深々と頭を下げながら“もうここで終わらせよう、きっと終わらせられる”って静かに思ったの。

その時はゲロまみれ&顔面蒼白で支離滅裂な発言をしていた夫だけど、今はだいぶ健康的になった。なんと断酒が1か月以上続いている(続きますように)。

うまく機能しない歯車にしがみついたって良いことなんて何もない。
それぞれがあるべき場所に還るのが善き。


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