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吾輩は書道家である🖌その1

🤱『左利きは右に矯正しなくては・・・』

今思えば、母親が昔ながらの考えの人でなければ、
今、私は書道家になっていないと言っても過言ではない気がするのです。

生まれつき左利きの私は、5歳の頃から近所の書道教室に姉と通い始める。
左で鉛筆を持ちたいのに、禁止されて、
右手で字を書くときの違和感にムズムズしていたのをなんとな〜く覚えている。

矯正できた後も、書道教室に20歳まで通い続けました。
姉はいつの間にか辞めていたけど。。。🙄

『特別な高校に行きなさい』

書道の成績も良く、展覧会でも賞をそれなりにとっていた。
が、別に書道が好きじゃなかった(本音)。
いつまでやってんだろ〜くらいな気持ちだったのは内緒🤫

高校受験の時、お習字教室の先生に書道の特別な高校を勧められたのです。
母は喜んでいたし、先生も推してくれていたのもあって、
とりあえず受けておくか、、、くらいの感じで受けたら
受かってしまった😲しかも首席で。
おかげで入学時の対面式という、全校生徒で集まる初めての集会で
代表になり、舞台の上でスピーチさせられるという辱めに遭ってしまう。

正直、書道で高校が決まるなんて、、、
地味そうだ、友達できるのか、3年間を諦めよう、とか思っていたのです。
そんな絶望気味の15歳だったけど、
思いの外、明るく楽しい、友達に恵まれた3年間を過ごすことができました。
(この辺の高校歴はまた機会があれば記したいですね)

『教育大の推薦を出そう、行きなさい』

とにかく高校3年間は優秀でした。
書道、勉学、部活、クラスでも中心核でいつも1番。
過去の栄光に縋り付くのはダサいので、あまり言わないようにしているのですが
自分でも抜かりなかったと思う。
必死だったんですよ、天才ではなかったから・・・笑

進路を決める時期、学年主任が教育大の推薦を出すから行かないか?と
推してくれました。
私の通っていた高校で国公立なんて合格したら、一躍ヒロイン✨👸
進学校ではあったけれど、レベルは高くなかったから。
父親・母親はとても喜んでいたし、教育大に行くもんだと思っていたと思うのです。

書道の先生になんかなりたくない‼️

私は、高校入学した当時から大学生活に強い憧れを持っておりました。
入学式の日、HRで担任が
『僕の人生で最も楽しかったのは大学の4年間だ‼️戻れるなら戻りたいくらいだ‼️』
と熱く語っていたのが、なぜかものすごく響いた。
『なんかよくわかんないけど、私、絶対大学に行こう』

そんな夢を抱いていたから、
教育大へ行き、もう進む道は書道の先生一本‼️
そんな道を目の前に出されても、全然嬉しくなかった。

『私、四年制の私大に行きたいの』
人生で初めて親の意向に逆らったのです。

寝ても覚めても勉強、吐いても勉強

希望の大学に行きたくて、大学受験は死ぬほど勉強しておりました。
塾では、自分より遥かにレベルの高い学生が山ほどいて
同じ授業を受けているのに、同じ時間、自習室で勉強をしているのに、
なんなら、私は休憩もせずに机に向き合ってるのに‼️
天才たちは、ちょこちょこお喋りタイムにWCに行くんですよ😂

そして、しっかり合格している😂👏

そもそもの脳みその作りの違いを思い知らされましたね。
そして、自分の勉強の限界を知ることができました。
これはこれでいい経験でした😌

何が良かったって、私も希望の大学に行けたのです✨
大学に入り、書道教室には通っていたものの、
どんどん筆とは離れて、20歳を期に書道教室を辞めてしまったのです。

私がまた筆を握り出したのは、
2015年に入社した広告の会社の一発目の仕事がきっかけ。

書道家🖌再スタートのお話は『その2』で💁‍♀️



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