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人さま事=神様事

岸田家のみなさんが好きだ。

朝からベッドでずっと読み返している。中でもこのnoteにあらためてパワーをもらえたのだ。

そう、コロナになり、私の元から去って行った人がいる。会話も重ねたが私的に最後まで真意が分からなかった。ただ単に、もう私から離れたいことだけ伝わった。

自分も含めて人というものが移り変わっていく。

でも悲しかった。何故なら相手が最後まで自分の言葉として想いを口にしてくれなかったからだ。恨みつらみを言ってもらう方がましだった。


●●さんに言われたから、△△さんから指摘があったから

なんじゃそりゃ。でも時々こうした出来事に出くわす。私にとって●●さんも△△さんも今、この場にとって「第三者」であるからだ。

私と君の話なのだ。

私ってばいまだに根に持っている。根に持つというかトラウマになっている。その人にとってお付き合いの優先順位が違ったというだけのことだけどとても深く傷ついた。きっと相手も鏡なので私が傷つけたことにもなる。

でもさ、だからちゃんと向き合いたかった。話題をそらすんじゃなくて対峙して、無理だったって決着つけたかった。。。。


あー。つまり私も「この人に愛されている」とおごり高ぶっていたのだろう。私の愛がそこにあったから、つまるところ片思いで振られてしまったのだ。仕方ない。こればっかり仕方ない。


そうなると愛する事が怖くなる。自己愛というものがここで登場する。長年自己を許容することが難しい生き方をしてしまっていたので、自分を好きになる(ダメなところも含めてアタシ)というものにアレルギー反応があった。

しかし、どうあがいてもアタシだし、貴方もあなた。

誰といても永遠に一緒にいる存在=自分なのだ。

これに気がついた時にあきらめと同時に、自分の事を好きになる練習を使用と前向きになれたのだ。

おいどん大好きクラブに私も参加している。もちろん交代制で。

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