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人工知能の語る”命の尊さ”は、我々を納得させるのか。;Will artificial intelligence convince us that life is precious?

このnoteについて

このページは、AI対話型授業の実践報告です。実際に子供たちに行った授業の、児童とAIの会話を記録として残しています。AIはプロンプト・エンジニアリングによって、道徳授業を子供たちに行うように指示されています。詳細は以下のnoteを参照されてください。

教材情報


主題:生命の尊さ

児童

小学校5年生(11歳)

資料名(出版社名)

電池が切れるまで(学研)

あらすじ

神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)と闘っていた由貴奈ちゃんは、「命が疲れたと言うまで/せいいっぱい生きよう」という詩「命」を書いた。その詩は今も大きな感動の輪を広げている。


実際の授業展開

AI:
こんにちは、皆さん。本日は「限られた命」について考えていきましょう。

まず、我々が調べていくお話しは、神経芽細胞腫という病気と闘っていた由貴奈ちゃんのことです。由貴奈ちゃんは、「命が疲れたと言うまで/せいいっぱい生きよう」という詩「命」を書きました。この詩は、今も多くの人々に感動を与えています。

さて、ここで一つ問いを投げかけます。

由貴奈ちゃんの詩「命」のどの部分に、特に共感しますか?また、その理由は何ですか?

選択肢と立場を以下のように提示します。


選択肢と立場

A: 「命が疲れたと言うまで」に共感する。

理由は、生きることが時として大変で、命が疲れることを感じるから。

B: 「せいいっぱい生きよう」に共感する。

理由は、命が限られているからこそ、全力で生きることが大切だと思うから。


皆さんは、どの選択肢に共感しますか?そして、その理由は何ですか?あなたの意見を教えてください。

児童:
命が疲れたというまでに共感できるのは、習い事で体も心も疲れを感じるときがあるから。せいいっぱい生きよう、に共感できるのは、全力で生きる気持ちがあればいいと思ったから。

AI:
それはとても素晴らしい意見ですね。習い事で体も心も疲れを感じるときがあるという経験は、多くの人が感じることだと思います。また、「せいいっぱい生きよう」という気持ちを持つことは、本当に大切ですね。

では、次に進んで考えてみましょう。

由貴奈ちゃんは病気と闘いながらも、詩を通じて多くの人に感動を与えています。そこで皆さんに質問です。由貴奈ちゃんのような状況であれば、どのような行動を選びますか?

選択肢と立場を以下のように提示します。


選択肢と立場

A: 病気と闘うだけで全力を尽くす。

病気と闘いながらも自分の生活を全力で送ることが大切だと考える。

B: 由貴奈ちゃんのように詩を書いたり、他の人に影響を与えるような活動を行う。

自分の体験や思いを共有し、他の人にも何かを伝えることが大切だと考える。


皆さんは、どの選択肢を選びますか?また、その理由は何ですか?あなたの意見を教えてください。

児童:
Aの理由は、自分の命を精一杯生きた方がいいと思ったから。でもBにも共感できる。自分の命が少ないからこそ、このまま死んでしまうかもしれないから、何かやった方がいいと思うし、病気と闘う自分の気持ちを残した方がいいと思ったから。他にも、自分のように、いじめや傷つけたりした人に、命を大切にして欲しいとみんなに伝えると思う。

AI:
あなたの深い思考に感動しました。自分の命を精一杯生きることが大切だと感じながらも、他人への影響やメッセージを残すことの大切さを同時に認識しているというのは、素晴らしいですね。特に、いじめや傷つけたりした人に、命を大切にしてほしいとみんなに伝えたいという気持ちは、人間として大切な思いやりの心を持っている証拠だと思います。

さて、ここで私たちは更に一歩進んでみましょう。

死は決して楽しいものではありません。でも、「死は悲しみだけを残すものなのか」、これについてどう思いますか?

選択肢と立場を以下のように提示します。


選択肢と立場

A: 死は主に悲しみだけを残すものだと思う。

命が終わるという事実に対して、人々が感じるのは、失った人への悲しみや寂しさが大部分だと思うから。

B: 死は必ずしも悲しみだけを残すものではないと思う。

死を通じて、生命の尊さや、生きていることの大切さを改めて認識することもあるから。


皆さんは、どの選択肢に共感しますか?そして、その理由は何ですか?あなたの意見を教えてください。

児童:
死を通じて、生命の尊さや、生きていることの大切さを改めて認識するとはなんですか?具体的に教えて下さい。

AI:
それは素晴らしい質問ですね。私たちが普段生活している中で、生命の尊さや生きていることの大切さを忘れがちなことがあります。しかし、誰かが亡くなるという出来事を通じて、それらを思い出すことがあります。

たとえば、大切な人が亡くなると、その人が生きていた時の思い出が蘇ります。その人が笑ったり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりした瞬間を思い出すと、その一瞬一瞬が生命に満ちていて、どれもが尊いものだったと気づくでしょう。

また、その人が亡くなることで、その人が生きていた存在が周囲に与えた影響を改めて認識します。友達、家族、仕事の仲間など、その人と関わった人々が、その人の死によってどれだけ大きな喪失感を感じているかを見ると、一人一人の生命がどれほど大切で、それぞれが生きていることがどれほどの価値を持つかを思い知らされます。

そして、そういった経験を通じて、自分自身の生命の尊さや、自分が生きていることの大切さを改めて感じることがあります。亡くなった人がもし生きていたら、今何を感じ、何を考え、何を行っていただろうかと考えると、自分が今、生きているという事実がいかに特別で尊いものかを理解できます。

そのため、死は確かに悲しみをもたらしますが、同時に生命の尊さや生きていることの大切さを改めて認識させる力も持っていると言えます。

改めて、あなたはどの選択肢に共感しますか?その理由は何ですか?あなたの意見を教えてください。

最後に

今回の授業では、病気と闘う主人公のお話を聞いて、「死」について考える時間でした。「命の尊さ」は、教科書でよく出てくる言葉ですが、「尊さって何ですか?」と聞かれると、つい考えてしまいます。AIが語った最後の言葉、

その人が亡くなることで、その人が生きていた存在が周囲に与えた影響を改めて認識します。友達、家族、仕事の仲間など、その人と関わった人々が、その人の死によってどれだけ大きな喪失感を感じているかを見ると、一人一人の生命がどれほど大切で、それぞれが生きていることがどれほどの価値を持つかを思い知らされます。
そして、そういった経験を通じて、自分自身の生命の尊さや、自分が生きていることの大切さを改めて感じることがあります。亡くなった人がもし生きていたら、今何を感じ、何を考え、何を行っていただろうかと考えると、自分が今、生きているという事実がいかに特別で尊いものかを理解できます。

なかなかすぐに出る言葉ではないと思います。もちろん、人工知能なので、授業のねらいに即したことを言っているだけですが…正直、勉強になります。なかなか侮れませんね。

あなたは、命の尊さについて子供たちに伝える時、どんな言葉を使いますか?

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