鬱エンド、逆スカッとジャパンだった「噛み合わない会話と、ある過去について」(辻村深月)

(少しネタバレを含んでいます)

辻村深月さんの短編集「噛み合わない会話と、ある過去について」を、「短編だし、通学時間の暇つぶしに読めるなー」と思い、手に取りました。間違いでした。後悔しました。すみませんでした。
暇つぶし感覚では手軽に読めない、本当にかがみの孤城を書いた人と同じ人物なのかと疑うレベルの、闇辻村深月さんでした。まるで私が追求されているような気分になる、逆スカッとジャパン。

どの話も、言う側はギリギリ覚えているような、なんの気なしに発した言葉が、言われた側はかなり傷ついている。あるいは、発言や行動、立場それらを通して、その人が自分をどう評価しているのかを解釈する。

そして、それは後に「噛み合わない会話」として発露する。

例えば、「パッとしない子」。美人教師の美穂の教え子には、国民的アイドルグループの子がいる。その子の印象はパッとしない子だったと、周囲に話す美穂。美穂はその教え子に、その才能を発揮させる場を用意させたと、控えめにそう話している。
彼がドラマの撮影で来校した時、彼は恩師と話したがる様子で、美穂と2人だけで話す場を設けてもらう。
美穂も、その様子を見て、自分のことを覚えていてくれたのかという嬉しさと、当時の感謝をもらえるのではないかという期待を胸に、彼と話し始める。
しかし、彼が口にしたのは、彼女がそんなつもりではなかった、そして、忘れていた、あるいは彼がそう解釈した行動や発言の数々を彼女につきつける。まるで復讐かのように、彼は彼女を追い詰める。

まさに、読む側が追求、糾弾されている感覚に陥る逆スカッとジャパン。辛すぎる。
当の本人は、本当にそんなつもりがないし、本当に覚えていない。本当にそんな悪いことをしたつもりがない。まさに、「この子は繊細すぎる」と思ってしまうほど、悪気がないのだ。

もしかしたら、私も同じ事をしているかもしれない、、、と、思わされる。

母•ママでは、今回の短編では、唯一少しファンタジーの要素が入った作品。子どものためを思い、子と親の立場をはっきりとさせ、子供を縛り付ける。
しかし、そんな親はいつかいなくなる。その言葉通り、現実が変化していく。

親と子の噛み合わないズレ。子育ての成功とは、成長した子どもが親の子育てを肯定できるかであるという言葉が刺さった。
近年、モンペ、毒親、親ガチャなど、子育てについての問題が社会問題化している。
その点、「子育て」はどういう状態が成功なのかという視点が、確かに欠けていた。昔は親と子どもが仲良くあることが子育ての成功だと思うこともあったが、社会に出るという視点で言えば、親と子の関係がどうであれ、子どもが社会に出られればそれは成功なのではないかと考えていた。でも、それは毒親の肯定にもつながる。
その中で、この言葉に出会った。
だけど、結局、子育ては結果論でしかないのかもしれない。

その他の話も、発言した本人はあまり覚えていなかったり、むしろプラスの行動をしていたと思っていたり、逆にあれが良くないことだったと思っていたことが相手にとっては良かっ家ことだったり、様々なズレが他者を傷つけて、傷付けたまま、ある時、「噛み合わない会話」として発露する。

もう救いようがないじゃないかと、読んでいる時に思ってしまった。簡単に誰かを傷つけてしまうし、それを自覚もできないことがある。
誰も傷つけずに人と関わるのは無理じゃないかと思わされる。私の心の中にいる、インナーシンジくんが、「できっこないよ」と言うのだ。

ただ、解説まで読んで少しだけ救いのようなものがあった。
つまるところ、向き合うしかないのだ。結局。そこで逃げてしまっては、こちらの側にも傷が残るし、もしかするの、それは連鎖する。
それが発露した時、向き合い、関係を再構築していくしかない。
そうすれば、もしかしたら、傷は瘡蓋になるかもしれない。
ただ、向き合う事もある意味で酷である。自分の中ある、無自覚な悪意、悪行と向き合わなければいけないからだ。ある意味で呪いだ。
それでも、「逃げちゃダメだ」とインナーシンジくんを発動させるしかないのだ。

この本を最後まで読んだ時、1度人間関係に絶望させる。しかし、最後の最後で少しだけ希望が持てる。
なんて酷なんだ…。でも、フィクションは自分1人では想像ができないところまで、思いを馳せることができる。
それが、フィクション(本でも漫画でも)の醍醐味だとおもう。
その点では、この本はそれを体現している。


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