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語尾砂漠・・・

語尾砂漠。私はこの言葉を、文章の語尾が単調なさまという意味で使いたい。元はと言えばかなり前にTwitterで見かけたものであり、私が考えた言葉ではない。

なぜこの語尾砂漠をわざわざ文章にする気になったのか、それは自分の書いた卒業論文を読み返しているときに語尾が単調であると感じたからである。

私の所属する学科ではまもなく卒業論文の口述試験が始まる。その対策というか準備として、自分の卒業論文を読み返しているのである。しかし、久しぶりに自分の書いた文章を読むと、これがとにかくつまらないのである。学術的に面白いかどうかなんてことは一介の学生には判断しかねるが、少なくとも文章が面白くない、単調なのである。

つまり、文末が「〜である」だったり、「〜と考えられる」だったりというものが続くことが度々あるため、文章に「波」がない。まさに語尾砂漠である。そのため読んでいると1時間もしないうちに眠くなってしまう。私が人を引きこませるような文章を書いているとは思っていないが、それにしてもここまでつまらないのだから驚いてしまった。

卒業論文は提出するまでに、少なくとも5回くらいは見直しをしている。それでも単調な語尾が続いてしまうのだから、困ったものである。いや、見直しをしているときはそこまで語尾表現が重複していることは気にしていなかった、あるいは気にならなかったのかもしれない。それが時間が経ってから読み返してみると、非常に目についてしまうのだから不思議なものである・・・。

私は文章を書くとき、同じ文末表現が続かないように意識している。noteのようにかしこまった文章を書く必要がない場所ではそれがうまくできるのだが、論文やレポートのように、ある程度かしこまった文章を書くときは文末表現に制限があり、それには結構苦戦を強いられている。例えば、「〜してしまった。」とか「〜だ。」と言った表現は避けなければいけないはず。それ以外にも体言止めとかも避けないといけなかったはず。

その点、学術雑誌に載っているような論文は文末表現にある程度の多様性がある。同じ文末表現が何回も続くことはそう見かけないからである。そのため文末表現で飽きたり、眠くなったりするようなことはない。内容が難しくて眠くなることは、あるかもしれないが笑。

今後はもっとかしこまった文章を書く機会が増えていく。上手な、お手本になりそうな例はあちこちに転がっているので、そういったものを参考にして、語尾砂漠から語尾のオアシスへと進化したいものである。

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