見出し画像

分類

こんにちは。
あたま2.5です。

今回は分類したがる友人Tの話。

わたしの友人は最近、世の中が決めた分類の中で自分自身がどこに当てはまるのかを妙に気にしている。
ここでの分類というのは様々で、パーソナルカラー、MBTI、骨格診断、、、など。
何個かの質問に答えたり、自分の姿を見てどの特徴に当てはまるかを判断することで、自分自身がどの分類に当てはまり、なにが似合うのか、どんな行動を取るのが適切かを知る。現代の自己分析方法のひとつ。

先に言っておくと、これらの診断や分類を否定する気はない。
自分もそれらの診断でなるほど…と思うこともあるので。。
ただ、それらを見て思ったことがあったため記録しているだけである。

それらの診断での結果はせいぜい4つ程度の分類から多くても20くらい。
みんな誰しも人と被りたくない、型にはまりたくない、なんて言うくせに自分から誰かが決めた型に当てはまろうとしている。

SNSではプロフィールに自分の当てはまる型を並べて自分は何者かを提示している。

確かに何通りかの型に当てはめ、それらが共通する人物と共感を求めあうことは悪いことじゃないし、むしろ賛成。
それに、小さな出来事の積み重ねで出来上がっている自分を見てもらうにはどのSNSのプロフィール欄も小さすぎる。そりゃ検索すれば似たような性格や顔、骨格が出てくる決められた型に自分を当てはめることでより効率的に自分を知ってもらうことができた方が良いだろう。

ただ、そんな決められた型だけで個人を語らないでほしい。
誰かが決めた性格の型、顔のタイプ、骨格の型、、、それに自分を当てはめる必要なんてなくて、その型ならこうした方が良いなんて決めごとに従わなくていい。

いろんな方法で自分を客観視しようとしてる(友人)TはTにしかない魅力があるし、それに当てはまるかな、、こんな色似合うかな、こんな性格かな?!と喜怒哀楽してるのもTの個性だって認識してる。そうやって少しでも他人から見られている自分の姿が気になっていろいろ調べちゃう研究熱心なところも尊敬してる。
だから型に当てはまろうとしなくてもいいんだよ。。。

ただ思ったことをそのままに書きなぐった今回のnote ですが、これは最近、それらの診断を行うことで自分を客観視するどころか自分を見失いつつある友人に伝えたいことです。
面と向かってこんなこと言えないのでここに書いてみました。
こんなこと伝えたってあんた誰?って思われるだろうし、たぶん、絶対伝えないだろうと思いますが、こうやって拙い言葉で書くことで、少しですが自分の思ってることの整理ができたんじゃないかなと思います。

見てくださった方、ありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?