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『チェンソーマン』チェンソーの悪魔について

※最終巻までのネタバレ注意

◆チェンソーの悪魔の強さ

 最終巻まで読んで残った疑問は、「何でチェンソーなんだ」ということ。悪魔は『恐怖されることで強くなる』らしいが、とはいえチェンソーがなぜそんなに恐怖されるのか謎である。


 悪魔は、概念が恐怖されることで地獄か人間界に生まれる。

「コーヒーの悪魔」が居るとすれば、さすがに恐怖が少ないので弱い。「闇の悪魔」なら、悪魔も人間も『根源的恐怖の名前を持つ』うちの一つとして、最高クラスの強さとなる。


 悪魔は悪魔に恐れられたほうが強くなるので、チェンソーは人間界よりも悪魔界のほうでより恐怖されているのかもしれない。例えば爆弾の悪魔よりも、銃の悪魔のほうが強いなど、強さは現実の威力ではなく、それを恐怖する数に依る。

 そもそも現実の法則と、チェンソーマンの世界の法則が一致しているとも限らない。


◆ネットに落ちてた考察のまとめ

 自分の考察と切り分けるのにネットの考察を引っ張ってくると、銃の悪魔が「じゆうの悪魔」と音遊びができるように、チェンソーの悪魔も実は「戦争の悪魔」なんじゃないのかという説があった。


 元ネタっぽいものに『ヨハネの黙示録の四騎士』という地上の人間を殺す権威がある。その四騎士とは「支配(弓と冠)・戦争(剣)・飢餓(食料と天秤)・死(疫病や野獣)」である。

 そのうち支配の悪魔からは「死 戦争 飢餓はなくなったほうが良い」とか「自分が喰われて一部になる」こともやぶさかではないと語られている。


 また別の説だが、chain saw manなので、「鎖を断ち切る者」と訳され、その能力が「輪廻転生の繋がりを切る=喰われると存在がなくなる」という意見もあった。


◆筆者の考察

 ネットの考察で見当たらなかったのが感情に対する考察。他の人が見落としている描写として、『強い悪魔は自分の能力とは逆のものを求めるのではないか』ということ。


 例えば、暴力の悪魔は暴力が嫌いだった。

 またあるいは、銃の悪魔は各国に拘束されるのに甘んじていた。

 そして、支配の悪魔は他者との対等な関係を築きたかった。


 チェンソーの悪魔が戦争の悪魔だとすると、能力が戦争っぽくなく、支配の悪魔が「なくなったほうがよいもの」に戦争も加えている点で矛盾がある。

 だからチェンソーの悪魔は言葉遊びではなく、本当にchain sawなのだろう。そして強過ぎるchain sawの悪魔は、その逆を求めた。


 chain sawの悪魔は誰かに抱きしめてもらいたかった。


 すなわちchain sawの悪魔は、「誰かの記憶の繋がり(=恐怖)を断ち切る悪魔(ヒーロー)」

 それは根源的恐怖で言えば、『孤独の悪魔』なのではないだろうか。


 チェンソーの悪魔にとって、敵との決着の付け方をsawする(断ち切る)ことではなく、chainする(繋がる)ことで行うデンジの戦い方は、まさに夢を叶えてくれたも同じなのではないだろうか。

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