人助けして文句を言われた話

今朝のこと。

あるゲームのランクマしながら、足を組んで電車に座っていたところ、文句を言うオバサンに遭遇。
ここまでは私に問題があるから構わない。

その後、同車両でお客が倒れた。

倒れた人を救護した女性が「緊急停止ボタンを押してください!どこにありますか?」と車内に声を張りながら、こちらの方を見たため、ランクマを放棄しボタンを探して押下。
非常停止ボタン越しに駅員に状況を説明した。

救護した女性が転倒した男性の様子を見る限り、貧血で倒れたいらしい。
「次のところまで進んでもらったほうがいいかもしれません」と、おそらく女性はこちらに向かって言ったのだが、言葉からニュアンスが掴みづらく「ん?(どういう意味)」と反応に困った。

貧血ぐらいなら電車を止めるまでもなく、次の駅に着いてから救護するので足りるだろうという判断をしたのだろう。

すると、先ほど文句を言っていたオバサンが、
「あんたがちゃんと状況を確認しないで押すからよ」と言ってきた。こいつマジかと思った。


とりあえず車内で確認できた状況を、非常停止ボタンのマイクから追加で駅員に説明。
救護を行う2名と周囲の乗客4名ぐらいは、転倒した男性を気遣いながら駅員に引き渡し、事なきを得る。

同路線で起きた人身事故に比べれば、倒れた人も無事問題なく回復しそうだから、それはいい。別に助けたことに対する見返りにも興味ない。

ただ、人を助けて損をするのはどうなのだろう。
自分が動かず誰かが動いていれば、もっとスムーズに事が進んだのかもしれない。
けれど、目の前に倒れた人間が居るのに、黙りをして目を逸らす10名近くのオーディエンスを差し置き、文句を言われる筋合いはないだろう。

もちろん、文句を言うオバサンの人格に問題があることは承知の上だ。人助けに見返りがないのも当たり前。

問題だと思うのは、
①明らかに問題が目の前にあるのに、迷惑事に巻き込まれたくないと無視する人々の雰囲気と、
②ただ文句を言いたい人間のせいで、人助けしようとする気持ちを削がれるということ。

倫理観は、村八分のように、はみ出た者を叩くためにあるんじゃなく、社会に住まう人々が過ごしやすいようにあるものだと個人的に思う。
利己性をいかに全体の利益に還元するか、ということ。

今日の出来事を振り返って、まるで社会の安定は、少数の人間の貢献で成り立っているようだと感じた。

3割が貢献する者、6割強が傍観する者、1割弱が攻撃する者。
さて、電車の車内は、世間をサンプリングするのに適した空間だろうか。

ーーー
4年前ほど、神奈川トリエンナーレの帰りの電車(確か湘南新宿ラインの新宿ー池袋区間)で、癲癇持ちらしき男性が倒れたときを覚えている。
そのとき自分は、「誰か助けなきゃ」と口にしただけだった。
傍観、混乱よりはましだが、何もしてないことに変わりはない。
ずっと心残りだったが、今回は少し行動できただろうか。

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