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【道具】Macの話

仕事ではWindows(とLinux)を主に使っているが、プライベートのPCは10年前からMacを使っている。
学生時代に買ったiPhone 3GSが最初のApple製品だったのだが、それ以前から大学のメディアセンターに備えていたiMacをよく触っていたため、そこから数えればMac歴は15年になるだろうか。
また、前職の会社でもMacがメインだったので、それ以降、私用のデバイスはApple製だけになった。
iPhone、iPad、Apple Watch、AirPods Pro、そしてMacBook Proと一通りは持っているが、どれも直感的に扱えるし、データの連携で余計な手間やケアをする必要が全くないところが非常に良い。
もちろん完璧ではないし値段も高いが、ブランド料や使い易さの対価だと思えばこんなもんだろう。
中でも10年前に購入したMacBook Pro(Retina, Mid2012, 15インチ)は本当に名機で、SDカードやHDMIも備えており拡張性が良く愛着があった。


移行作業中の新旧MacBook Pro。流石に新型(写真左)を前にすると多少の古臭さ否めないが、
旧型(写真右)でもそこまで古臭さを感じないのはデザインの完成度故か。

外観を求めるプロはどれだけいるのかという回答?

ただ、流石にソフトウェアアップデートが止まり、セキュリティ上問題というのも相俟って、1年半ほど前に新しいMacBook Pro(2021, 14インチ)を購入したのだが、処理能力の高さもさることながら、先祖返りのような外観も個人的には気に入っている。
デビュー当時、外観が「昔のPowerBook G4みたい」「普通のノートPCみたいになってしまった」と、総じて「スタイリッシュじゃなくなった」という意見が多かったように思う。
だが、曲がりなりにもProを名乗っているのだから、ターゲットは性能を求める層か、Macでお金を稼ぐ人(プロユース)向けのはず。そういった人から見れば、 外観<< 性能 なのは当然だ。
そういった声を反映してか、クラシックな印象を持つ外観になったものの、性能に関しては従来の比ではないし、SDやHDMIも使える古き良き形になったという点で、良い意味で親しみやすい現実主義的な形になったようにも思える。

新しい葡萄酒を古い革袋に入れるという新しさ

「新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れねばならない。(※)」とは新約聖書に書かれている言葉だが、実際にこれを実行するとなると非常に難しい。

新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れねばならない。
→新しい考えを表現したり、新しいものを生かしたりするためには、それに応じた新たな形式環境が必要で、いつまでも古い形式にばかりこだわっていてはならないという例え。

新約聖書「マタイによる福音書」第九章

新しい考え方に対して、新しい形式や環境を要するというのはある意味当たり前の話であるのだが、その前段階として自身がそれまで得てきた知識や慣習(=古い考え方)で理解しようとするのだから、どうしてもすんなり受け入れるのは時間が掛かるし、場合によっては拒絶反応すら起きる。
マックス・プランクかリチャード・ファインマンのどちらかが(この辺はうろ覚え)、量子力学を初めて学ぼうとした学生に対して「今までの古典力学の概念で理解しようとするな」と言ったらしいのだが、それもまた上記に近い事だからだろう。

今にして思えばAppleとしてはIntelと決別し、自社開発した新しいチップ(=新しい葡萄酒)を搭載したMacBook Proなのだから、本来はもっと外観(=新しい革袋)からスタイリッシュに作りたかったのだろうと思う。
個人的には、新しい葡萄酒自体は良かったが、新しい革袋をApple自身も作り切れなかったか、前回のMacBook Pro(※)で懲り懲りだったかと思う。

前回のMacBook Pro:2016年に登場したMacBook Proは、性能も上げつつ、より薄く・軽く・カッコ良くという方向に舵を切った結果、キーボードは薄く、ポートはUSB-Cだけにし、Fnキーを廃止しTouch Barを付けた。
しかし結果的にはキーボードの故障が頻発し集団訴訟に発展、Touch Barはその具体的な使い方が分からず、SDやHDMIが直接使えずポートを付けるハメになり、薄くなった事でむしろ冷却ができず熱を帯びるなど問題も多く、ユーザー離れや移行控えを起こした。

実際、Apple M1が出た時に初搭載されたMacBook Air, Pro, Mac miniは全て従来の筐体の流用品だった。言うなれば古い革袋に新しい葡萄酒を入れていた。
本来なら教えとしては良くないのだろうが、むしろ分かりやすさや安心感の点ではウケた。それでいて中身は最先端なのだから、売れないはずがなかった。
SDやHDMIを復活させ、キーボードは昔ながらの形式に戻し、必要なだけ厚みを確保して冷却も十分できるようにする等したMacBook Proもある意味その系譜に入る。「新しい葡萄酒(=M1Pro)を古い革袋(=クラシカルな筐体)に入れた」現行MacBook Proやその周辺プロダクトは、その点でも新しいと思う。

理想と現実の狭間でもがくApple

思えばAppleという会社は、昔から新しい規格を採用したり、自身で規格を作る事が大好きな会社だった。それが前のユーザーを置き去りにする事であっても「仕様です。」みたいな感じで片づけてしまう。
前のユーザーを置き去りにするというよりは、今の自分たちの考え方が見た目の良さや使い易さに繋がっているという自負や理想主義、またそれを裏付けるような膨大な検証の成果があるというプライドが強かったからだろう。傍から見れば高飛車だが、それが罷り通る程の力があのリンゴマークからは見えた。

ただ、見た目の良さはともかく、それが使い易さに直結するとは限らない。
また、人間という生き物が本質的に保守的な部分を有する以上、慣れ親しんだやり方とメリットは大きいが慣れないやり方を天秤に掛けて前者を選ぶ事も多い。

この辺りは理想主義だけでは立ち行かないというのを痛感したようにも見える。また、どれだけ巨大企業でも、同業他社を押さえてその中から選んでくれるユーザーがいないと成り立たないと思ったのかも知れない。
現行のApple製品を見ていると、理想と現実の狭間でもがいたような、いわゆる「ユーザーからの声」を反映した仕様が散見される。そうでなければMacBook ProでSDやHDMIを復活させるという事はしないだろうし、EUから「USB-Cを付けなかったら販売禁止」という半ば恫喝に近い法案を突き付けられたとはいえ、USB-Cを搭載したiPhoneやAir Podsを発売する事もなかっただろう。
それは一見後ろ向きな感じにも見えるが、ユーザーの声を聞くようになったあたり、Appleも変わっていると捉えればこれから出てくる製品も楽しみではある。

東京へのセミナーで移動中の新幹線にて。この絶妙なサイズ感。


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