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言葉を紡ぐとき、私の頭のなかには「ドラマ」がある

ラブレターは、いつも“送る側”だった。

だから、彼女のツイートを初めて見たとき、自分のなかに芽生えた感情に名前をつけることができなかった。

IDENTITYのインターンで知り合ったるみちゃん(@rumibouz4)が、私の記事を読んでファンレターを綴ってくれたのだ。とても丁寧に、繊細に。ライターとして、これ以上に嬉しいことがあるだろうか。

私が本格的に記事を書くようになったのは、大学3年生の秋ごろ。スロバキアに留学している間、当時義兄が運営していた旅行メディア「Reisen」にスロバキアのガイド情報やヨーロッパ旅行記を載せたのがきっかけだった。

今読んでみると、リード文やタイトルはおろか、記事の構成、写真の構図など基本的なことすらできていない。ただ、間違いなくこの経験は私のライターとしての出発地点だった。

帰国後、もっと本格的に記事を書きたいと熱望し、「IDENTITY名古屋」のライターインターンに応募。執筆するうえでの基礎的な知識は、ほとんどここで教えてもらった。

最初のほうは、ひとつのレストランを紹介する1,500文字程度の記事を書くのに丸1日かかることも。WPの埋まらない下書きページを眺め、何回ため息をついたことか。

だが、そんな私もインターンを始めて1年が経つ頃には、記事を書くことにだいぶ慣れ、自分のブログを始める余裕も生まれた。ごくたまーに、まれーに小さなバズを起こすことも。

基本的に「IDENTITY名古屋」で記事を書くときは、名古屋に住む人たちが欲している情報を、いかに早く、いかに分かりやすく文章に落とし込むかということに注力していた。サイトの色や雰囲気を優先させ、文章に自分っぽさを出すことはほとんどない。

私がブログを始めたのは、単にライティング能力を高めたいという理由だけでなく、“私らしい”文章を書きたかったから。画家が“絵”で自分を表現するように、カメラマンが“写真”で自分を写すように。私は“言葉”で自分を書きたかった。

ブログの記事は、「IDENTITY名古屋」で書いていた記事よりもはるかにPVが少ない。けれど、ブログを始めてから、私は文章を書くことがもっと好きになった。

そんな折だった。IDENTITYの共同代表であるモリ ジュンヤさんからUNLEASHでも、記事を書いてみない?」と誘ってもらったのは。

正直、最初は少し躊躇した。「UNLEASH」に入る前の私は、ビジネスへの関心が薄く、知識も乏しかった。そんな自分が、ビジネス領域の記事を書けるのか?書いていいのか?と不安ばかりが先行したが、意を決して入ってみると楽しくてしょうがなかった。

「UNLEASH」で記事を書くことが楽しい理由には、今まで自分が知らなかったことを知れるということがある。だが、それ以上に文章にわずかな自分らしさを出せるということが嬉しかった。

「UNLEASH」で書く記事には、「IDENTITY名古屋」で鍛えた文章スキルと、自分のブログで培った自己表現力の両方を、ほど良く反映できていたのかもしれない。

最近は、本当に有難いことに「リードを参考にしています」という声も、ちらほら頂けるようになった。

どうすれば、あんな風に?と思っているかたが、どれほどいるかは分からないが、この機会に私がリード文を書くときの考え方を紹介できればと思う。

文章を書くときは、頭のなかで「ドラマ」を作る

noteのなかで、るみちゃんがこんな風に指摘していた。

彼女が書くニュースはもはやニュースじゃなくて、映画だ。よく考えてみれば映画も他人事だけど、いつの間にか感情移入していたり、登場人物に自分を重ね合わせていたりする。それと似たようなことが、彼女の文章の中で起こっている気がするのだ。

それまで深く自覚していなかったが、確かに私は記事を書くときに、よく頭のなかで「ドラマ」を作っている。(物語の長さ的に言えば、一話完結のショートドラマみたいなもの)

脚本、監督、演出、大道具・小道具、カメラマン、キャスティング、たまに演者。

これらすべての役割を自分がこなす、小さなドラマを頭のなかで思い描く。

例えば、先日取り上げてもらったこの記事。

リードは、できたてのご飯を食べる前の幸せと、ご飯を食べたあとの憂鬱な片付けについて触れている。このとき私は、頭のなかで「ご飯を食べるシーン」を自分の好きなテイストで物語化していた。

時間は、土曜日の夕方5時。同棲している彼氏と近くのスーパーへ行き、夕飯の買い出しをする。メニューは、彼の好きなハンバーグと煮物。お昼を食べた時間が早かったので、とにかくお腹が空いている。いつもは、洗い物は食前にほとんど済ます派だけど、今日はお腹が空きすぎて一秒でも早くご飯を食べたかったから洗い物を後回しにした…など。

ドラマのシナリオを書いている感覚に近いだろうか。登場人物の設定や、時間帯、場所、雰囲気など割と細かい部分まで(勝手に)決めてしまう。

物語の多くは、自分が体験していることでもあるが、他人から聞いた話をもとにドラマを作ることもある。

この記事のリード文は、当時深夜まで働いていた彼の愚痴をもとに書いたもの。「味に飽きたから、コンビニ弁当はもう食べたくない」と、彼はよくうなだれていた。

気をつけているのは、そのドラマの内容が、3人に1人くらいの割合で共感されるものかどうかということ。特に、その記事のターゲット層が経験していそうなことを題材にできているかということ。

私の場合、1つの記事に対して3つくらいのドラマを作り、そのなかで一番しっくりきたものをリード文に落とし込むことが多い。

「ドラマ」を作るためのヒントは、日常にある

もともと、自分が「人の目を気にする」性格であり、「人間観察」が好きなので、記事を書くとき以外もドラマを作ることがよくある。

例えば、電車に乗って出かけるとき。スーツを着ている中年のサラリーマンを見て、その人の生い立ちや家族構成、趣味などを勝手に想像する。

スーツに皺はなく、ネクタイがおしゃれな柄で、さっき取り出したハンカチも綺麗に折りたたんであったことから、きっと奥さんは綺麗好きで面倒見の良い人なんだろう。じゃあ、この人と奥さんが今週末に出かけるとすれば、どこで何をするだろうか。とか。

ショッピングモールですれ違ったカップルをみれば、二人の馴れ初めを考える。

服装と髪型の感じからきっと二人の出会いは軽音サークルで、「My Hair is Bad」のライブに一緒に行ったときからぐっと距離が近づいて付き合うことになった。彼女がショッピングにしては大きすぎる鞄を持ってるから、昨日はここから近いところに住んでる彼の家に泊まったんだろうな。とか。

ドラマを作るというより、妄想に近いかもしれない。1日に最低でも3つは作っている。無意識に。(気持ち悪くてごめんなさい…)

彼にこれを話したとき結構引かれたので、あまり堂々とできるものではないが、私はこれでリード文をつくるときにだいぶ助けられている。

この記事なんかは、よく行く薬局で見かけた女性をもとにリードを書いた。

こう考えると、妄想や人間観察が好きなひとは、記事のなかに「人間味」「共感」「エモさ」をだすのが得意なのかもしれない。

興味がある人は、不審者に間違われない程度にトライしてみてほしい。

最後に、こんなにもたくさんの人にリード芸を褒めてもらっておきながら、私個人は3月いっぱいを持って、「IDENTITY名古屋」「UNLEASH」「AMP」での執筆活動を一旦ストップする。

とはいえ、やっぱり私は書くことが大好きなので、近いうちにまた秀逸なリード文と共に颯爽と戻ってきたい。

頭のなかに、新たな「ドラマ」を描いて。

P.S. ファンレターを綴ってくれたるみちゃん、noteで紹介してくださったジュンヤさん、私のリード文を好きだと思ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。


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