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カタリスト・コミュニケーション時代の到来~カタガキ・コミュニケーションの時代から、自己中心的利他の時代へ~

5月(予定)にPeatix Japanの共同創業者CMOの藤田祐司さんと共著で「コミュニティ思考(仮)」という本をダイヤモンド社から出すことになりました。この原稿は、打合せ初期に、この本の序文のプロトタイプとして書かれたものです。その後「序文にしては長い!(笑)」という話になり、このテキストをそのまま使うことはなさそうなので、note記事にアレンジして出すことにしました。(ただし断片は本のどこかで使われることになると思います。)ぜひご笑覧下さい。

最近、様々な人たちから「なんで今、コミュニティが大事なのか」という質問を受けて、答えることが増えています。特に「10年前にもコミュニティの概念はあったけど、今のコミュニティは、当時のそれとはちょっと違っている気がする。何が違うのだろうか。」という質問をされたときに、自分でも考えさせられる機会がありました。確かに、日本においてはこの数年で、コミュニティのありようが、だいぶ変化してきた気がします。

色々考えてみて、時代の変化を「カタガキ・コミュニケーション」から「カタリスト・コミュニケーション」の時代への変化だととらえると、しっくり説明できることに気づきました。

「カタガキ・コミュニケーション」は、近代的企業組織・官僚組織(ピラミッド構造の組織)で重要視されるコミュニケーションで、「カタリスト・コミュニケーション」は、自分のビジョンを実現することで、周りの役に立ちたいという発想で成り立つ、ゆるいつながりを軸にしたコミュニケーションです。日本では、この数年で「カタガキ・コミュニケーション中心社会から、カタリスト・コミュニケーション中心社会への移行」という大きな変化があったように感じています。特に2年前くらいから生まれた「働き方改革」というバズワードが、時代の変遷、価値観の変化を象徴しています。

いったいどんな変化が起きているのか。なぜ「コミュニティの時代」と今言われ、そして、コミュニティのありようが変化してきているのか。コミュニティを長くウォッチし、コミュニティづくりを実践してきた1企業人の立場から、書き記してみようと思います。

僕たちは「カタガキ・コミュニケーション」の時代に生きていた

カタガキ

昭和から平成にかけては「カタガキ・コミュニケーション=肩書をベースにしたコミュニケーション」が有利な時代でした。「○○会社(大手企業)の××部の課長の△△さん」を例にとりましょう。人間関係は「そのカタガキの権威が通じるピラミッド構造の社会」に限定されます。たとえば、取引先であったり、社内の人たちが対象です。

「カタガキ・コミュニケーションの時代」は、血のつながり、宗教のつながり、地縁などの同族意識を基礎にした「強いつながり」を重視します。

組織構造はピラミッド型で、組織体の統率をとるのに適しています。近代以前の「強いつながり」を維持する規範は、産業革命以降の近代化と都市化の時代の到来で「資本主義」という規範にとってかわり「ピラミッド組織構造の企業や官僚組織」にカタガキ・コミュニケーションは長く生き残ることになりました。

カタガキ・コミュニケーションの社会では、「give<<<take」もしくは「take & take」の関係性が基礎になります。ピラミッド階層における下層の人たちが「take」される対象です。下層の人たちは代替可能なので「take」する側は、短期間でリターンを得て、リターンが得られなくなったら別の対象から「take」しようとする循環が生まれます。ゆえに、カタガキコミュニケーションの社会は「短期的リターン」をベースにした関係性が元に成立するのです。

たとえば、一部の大手の企業が「下請企業」に対して行っているやや過剰にもとれる効率化や、社内のリストラなどは、短期的な成果を得るために実施されるコミュニケーションは、短期的リターンを獲得するための典型行動です。「take」する側は少ないコストでより多くの利益を得て、される側は、最終的には交換されていく。良くも悪くも、このような循環で資本主義は発展してきました。

(ちなみに、日本の高度成長期は、社会全体の分け前のパイが増えていったので、この循環構造でも、下層の人々もそれなりの恩恵を受けることができました。ある意味、幸せな時代だったのです。)

このような社会では「安定的なピラミッド組織」の中で、より上位の階層に上がっていくことが、個人がリターンを得るために合理的な行動となります。会社においては、1つの強固な組織体(たとえばつぶれることのないと思われる大手企業)に従属し、年功序列である程度のステップアップが保証される中で、いつか「takeする側」に(より多くの利益を得る側に)行けるよう、ひとつのキャリアパスにしがみつく必要があったのです。

カタガキ・コミュニケーションの時代から「カタリスト・コミュニケーション」の時代へ

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2020年現在、コミュニティの成り立ちは大きく変化し、「ビジョンを語れる人たち=語りスト=カタリスト」重視の時代に移り変わってきています。

カタリストはもともと「触媒」の意味ですが「自分の想いの発信をベースにして、それぞれのフィールドで周りの人たちに触発を与える人たち」と、ここでは定義しています。

カタリスト……すなわち「自分のありたい姿」を持ち、他者に想いをもって語ることができ、共感する仲間を巻き込める人たちが、より尊敬される時代になったのです。「ありたい姿」を中心軸にして、どんな行動をとっていくかを個人が選択していくので、複数のカタガキを持つ人たちも増えています。

たとえば著者(河原)の肩書を示そうとするとこうなります。「ファシリテーター」「企画屋」「コミュニティ・オーガナイザー」「イベント・プロデューサー」「コンサルタント」「研修コーディネーター」「EQPIコーチ」などなど……

全部名刺に書くとあふれてしまうし、他人への説明が大変なので、これらの活動を包括する概念として「コミュニティ・アクセラレーション」を提唱し、「コミュニティ・アクセラレーター」という肩書を名乗っています。ビジョンは「より多くの人たちがカタリストになれる瞬間を創る」こと。そして「世の中を変えようとするカタリストたちを触発できるカタリスト」であること。これらの行動は、そんなビジョンを実現する「手段」として実践しています。いいかえると、自分の理想を実現するために、新しいお仕事を創ってしまったのです。

「カタリスト・コミュニケーション」の時代は、ソーシャルメディアの発展により実現しました。自分のビジョンを発信する(語る)ことで、共感する仲間たちに届けることができ、ピラミッド構造の組織の論理に影響を受けづらい、より対等なつながりを形成することが可能になります。カタガキ・コミュニケーションの時代に重視されていた、血のつながり、宗教のつながり、地縁などを基礎にした「強いつながり」よりも、自分のビジョンに共感してくれる多様な人たちとの居心地のいいコミュニケーション「ゆるいつながり」が大事になります。

「ゆるいつながり」を一言で定義すると「あなたの言うことに共感するから、なんかあればいつでも相談してね!」と言いあえる、心理的安全性が担保された関係性です。

カタリスト・コミュニケーションにおける「コミュニティ」は、「ゆるいつながりの上での共助」を基礎にして成立しています。

カタリスト・コミュニケーションの社会では「give>>>take」もしくは「give & give」の関係性が基礎になります。自分が、ビジョンに共感した相手を助けたいと思ったら、助ける。そして、助けてもらった御礼を、別のかたちでその相手や他の相手に対してしていく。その連鎖で生まれていくのは、お互いへの敬意を前提に「共助」することでゆるやかにお互いがリターンを得続けて、長い時間をかけてお互いの活動を成長させていく「長期的リターン」をベースにした「共利」の関係性です。

たとえば、だれか1人が過剰な「take」をして、短期的な成果を得ようとする場合、長期的リターンを目指す集団の関係性バランスが崩れるため、その個人はコミュニティから距離を置かれる結果になります。

企業の論理を元にコミュニティに入り込んでいく際に、少なくない企業がコミュニティから嫌われていく原因の多くはここにあります。企業人にその気はなくても、資本主義の中の生存競争やピラミッド構造に染まっているので、無自覚に「take」行動をしてしまうことが多くあるのです。

では、企業人は(もしくは「共助」「共利」の関係性づくりに不慣れな人たちは)カタリスト・コミュニケーションの社会で、どう振る舞うのがいいのでしょうか。会社の中でなく、会社の外に仲間を創り、その仲間とビジョンを共有しながら、一緒に支えあって、時間をかけて一緒に成長していこうという姿勢を持つこと。そして、共助の姿勢を証明するために、仲間の気持ちを優先し、周囲と対話しながら行動し続けることが大事です。

自分が助けられるために、まずは、自分が仲間に対してできることを考えて、小さくてもいいから、まず最初に「give」してみる「Give first」の姿勢がとても重要になります。

一方で、大事なのは「こうありたい!」「これがやりたい!」ということを、どんどん表明していくことです。他人を助けてばかりでも、対等なコミュニケーションは生まれません。

楽天大学学長の仲山進也さんが提唱する「自己中心的利他」という概念をご存じでしょうか。「自分が夢中になってやっていると、まわりの人が喜んでくれる状態を確立すること」を指しています。これは、他者を巻き込み、喜んでもらいながら、自分の夢中になっていることを継続して、ビジョンを実現しようというマインドにつながっています。ビジョンを実現するのは「エゴ」ではあるけれども、「他の人に喜んでもらえることをやろう」という発想が前提にあり、ただのエゴではないところがポイントです。

「カタリスト・コミュニケーション」の社会は、まさにこの「自己中心的利他」が基礎になっている社会です。企業に属しているなら「自分の会社は、世の中にとって、絶対に役立つ企業なのだ」「自分が扱うこのプロダクトは、世の中に広がることで社会はもっとよくなるのだ」という信念をまず持つことが大事になります。企業人の目線から、心の底からこの信念を語れれば、巻き込まれたいと感じる「仲間」は絶対に見つかります。

このような社会では、所属するピラミッド構造組織の上位階層に上がることではなく、水平的に自らのつながりを広げていくことが、長期リターンを得るために合理的な選択行動となります。ゆるいつながりの網の目を張り「小さいgive」が連鎖する環境を創り出すのです。

カタリスト・コミュニケーションの社会では、自己中心的利他に沿って、さまざまな場で行動し続けてていると、自分のビジョンにあわせて、行動が多岐にわたってきて、複数の所属を持つことにつながっていき「パラレル・キャリア」を実践する人たちが増えてきます。

「働き方改革」の本質はここにあります。個人がそれぞれのビジョンに応じて、行動を選択できるようになり、自分でどれだけそれぞれの活動にコミットするかを選べるようになりました。経済産業省や経済界の思惑はさておき、実際のところを言うと「働き方改革」とは、企業中心の原理でまわっていた「労働」という行為を「個人のビジョン中心」の営みに戻していくプロセスなのです。

「組織本位の騙り」の時代から「自己中心的利他を語る」時代へ


思えば「カタガキ・コミュニケーションの時代」は、「語り」の時代ではなく「カタリ=騙り」の時代でした。
自分が本心で思っていないことを建前で語ったり、組織優先の合理行動をすることで「take」し続ける時代です。ゴールは、ピラミッドの上に上がること。そのために自己中心的に振る舞う人たちで溢れた時代でした。しかし、1つの企業が、個人を一生支えられる時代は、終焉を迎えようとしています。カタガキ・コミュニケーションに支えられた人たちが信じた、壊れることのないピラミッドは、もうじきに崩れようとしています。

しかし前向きにとらえれば、僕たちは、「騙る」必要がない、正直に自分の「想いを語れる」時代に生きているということなのです。外から与えられた既存の価値観が崩壊していく中、大事なのは、自身のありたい姿を正直に「語る」ことで、仲間を巻き込んで、共に生きていくことです。2020年が、コミュニティの時代の幕開けだと僕が信じている理由はそこにあります。僕たちはもう、自分の本心を偽って「騙る」必要はないのです。

僕は企業組織をやめることを推奨するわけでもありません(僕も複業サラリーマンです)。仲山進也さんの「自己中心的利他」の概念の個所で紹介した通り、サラリーマンをやりながら、より自分の行動を「カタリスト・コミュニケーション」にシフトしていくことは十分可能です。自分なりの方法でマインドシフトし、行動のエッセンスに、「利他」「共助」の発想を取り入れていけばいいのです。

一方で、いちばんやってはならないのは、本心では「うちの会社はダメだ」とか「このプロダクト(サービス)は何の役にも立たない」とか思いながら、しかし仕事に必要だからと「騙り」をして、周りを騙す行動です。コミュニティの人間は、真っ先にその嘘を見抜きますし、短期的リターンは得られたとしても、コミュニティからの評判はどんどん低下していくでしょう。

ともあれ今の時代は、自分が価値だと思うものを創り出し、それを発信する人たちにとっては、とてもいい時代になっています。今この時代に自分が何を本心で語れるのかを、自身の「自己中心的利他」と向き合って問いかけてみてはいかがでしょうか。

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