ポプラの木~第六章 伊吹山登山③
明日の風
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まだ明るい日没前だったが登山口から樹林帯に入ると山間の深い木々の茂みの影が足元を暗くした。すぐ段差のある傾斜の坂道が続いた。パーティのみんなは一歩一歩足元に集中して足の裏全体に体重を掛けおしりの力を利用して膝を上げて登った。二合目あたりで日没になりあたりが暗くなったため、懐中電灯を使用する事になった。三合目には途中スキーゲレンデの急坂もあり、二時間三十分で到着した。ここまでパーティにケガ人もなく順調だったので二十分間の休憩になった。それまで景色を眺める余裕もなかったが、高原のお花畑に、黄色いゆうすげの、一夜花が群生していた。西の方に見える長浜の市街地の夜景が、遠くにわずかな明かりを点滅させていた。空には雲の間に星が揺れるように輝いていた。三合目を出発して五合目までの途中、土曜学校の他に山頂を目指している人たちが追い抜いていった。ヘッドライトをつけての装備で三十分程過ぎたころには、山頂近くの登山道に明かりが見え隠れしていた。六合目の避難小屋までは、樹林帯を登り到着後は予定の休息をとった。気象の変化が起こったのは八合目付近で、胸突き八丁のくねくねの斜面をひたすら進み高度を上げていく辺りから次第に霧が出てガスってきて、目前の視界を奪う状況になっていた。当然に山頂付近の岩場のがれ場は、よっんばいになって登る状態が続いた。九合目の遊歩道の合流地点を過ぎ緩やかな山道を登って山頂小屋を目指した。ようやくパーティ全員が、頂上の三角点に到着したのが、十時四十五分だった。予定よりも時間がかかり、パーティ全員が疲弊していた。暗闇で霧とガスに包まれての登頂は、感激よりもこれ以上登らなくていいんだという安堵感と解放感があった。山頂小屋では御来光の見える朝四時三十分頃まで仮眠休憩の予定で山頂小屋でパーティの受付を済ませ仮眠ができる場所を用意してもらった。仮眠したいが信哉は体のあちこちが筋肉痛で、気が付くと足の裏には豆ができているし、膝や手足に擦りむいた傷があったりで、パーティのみんなも、同じような事を口々に話していた。仕方なく眠れなくても、横になって体を休める事にした。幸い小屋には薪ストーブが焚かれていたので、部屋は十分暖かかった。朝までうとうとした気分で興奮していた気分も和らいで、みんな少しの時間眠ったようだ。気が付くと、志賀先生が御来光の見える時間まであと十分とパーティのみんなを起こした。山頂小屋を出ると、五時間ほど前にはガスと霧がかかっていた事が嘘のように、あたりの近景が次第に薄明るくなって、三合目までの視界が拡がっていった。頂上の三角点に立つと山頂から見える中景に、霊仙山の領域が見えはじめた、はるか西方の美濃の空と濃尾の地平との先に、群青色の雲海を背景にした、光の帯がかぎろいとなり、次第に光度をまし薄黒い紫色、赤色、橙色、黄色へと変化して黄金色に輝く光となって、御来光として、山頂の一隅を照らしだした。初めての体験で言葉にならなかった。御来光が拝めた事は一人で登ったのではなく、パーティとして登らせていただいた事への天からの「贈り物」だったのかもしれない。それがなにより感謝の気持ちとして素直にうれしかった。今日という日は斎藤信哉にとって忘れ得ぬ日となった。
「思い出せない日はない、思い出は希望の異名だから」と登る朝日が山すその湖北の長浜に夜明けを告げる頃、河合真知子が、父修三の作った歌を仲間の前で初めて口ずさんだ。
故郷
見上げる空のかなた
雲の間に間に見える
高原に吹く風に
揺れる一夜花
見下ろす北の大地
拡がる琵琶の湖
伊吹おろしに光る
湖面のさざ波
見渡す限りの
遠く続く山なみ
限りない空の果て
はるか地平とめぐり合う
古に続く道
たどる巡礼街道
悠久の先に仰ぎ見た
故郷に山河あり
「思い出せない日はない、思い出は希望の異名だから」と登る朝日が山すその湖北の長浜に夜明けを告げる頃、河合真知子が、父修三の作った歌を仲間の前で初めて口ずさんだ。
故郷
見上げる空のかなた
雲の間に間に見える
高原に吹く風に
揺れる一夜花
見下ろす北の大地
拡がる琵琶の湖
伊吹おろしに光る
湖面のさざ波
見渡す限りの
遠く続く山なみ
限りない空の果て
はるか地平とめぐり合う
古に続く道
たどる巡礼街道
悠久の先に仰ぎ見た
故郷に山河あり
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