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ゴールデンボーイ/スティーブン・キング

スティーブン・キングの「ゴールデンボーイ」を、映画鑑賞・小説も読んだ。

容姿も家庭環境も才能も恵まれた少年トッド。
ふとしたことからナチの強制収容所の行為に興味を持つ。その矢先、バスの中でナチの戦犯だった老人を見かけ、彼を執拗に調べ上げ、ついには家を訪ね、脅迫しつつ収容所での話を聞かせろと要求する。…

小説では特に、トッドの笑顔が怖い。
なんのくったくもなく、ただただ興味の赴くまま老人に強制収容所の話をしろと強要する。
無邪気な欲求。脅して、貪欲に己の欲求を満たそうとする残酷さ。
対する老人ドゥサンダーは、始め死神か疫病神に目をつけられたように嫌々トッドに話をするが、
だんだんとその心理が変化してゆく。
おぞましい過去の経験を語るドゥサンダー。
その事実を2人が共有することによって、奇妙な結びつきが生まれる。
2人に生じてゆく意識の混濁。
そして「共犯」へ。
2人とも狂っていく。離れても、それぞれに。

映画のシーンで一番印象的なのは、トッドがドゥサンダーにクリスマスプレゼントだと言って軍服を持って来た場面だ。
仮装衣装屋から買ったものだから階級章や細部は違っているがとにかく一式揃っている。
トッドはそれを着てみせろとドゥサンダーに命令する。例の如く脅され、彼は嫌々着る。
気をつけ!とトッドは命令し、更に行進しろと言う。
初め「やめてくれ」と言っていたドゥサンダーが、行進を始めるといつしか背筋を伸ばし、腕を振り、機械的に足踏みを繰り返す。
それには言うに言われぬ迫力があり、恐ろしくなったトッドがやめろと言うが、ドゥサンダーはまるで聞こえないかのように行進を繰り返す。…

利口で抜け目のないトッドはずっと自分優位にドゥサンダーを押さえ込んできたつもりだったが、だんだんと立場が対等から逆転してゆく。
この間、5年くらい物語は年月を費やしている。
収容所の話を通じて長い時間を共に過ごし、互いを知り尽くしてきた2人だが、長く生きてきたぶんドゥサンダーのほうが一枚も二枚も上手であった。
映画ではトッドがまんまとドゥサンダーとの繋がりを隠しおおせたように終わるが、原作は違う。

ドゥサンダーもトッドも、交流がなくなってからは互いにあずかり知らぬところで罪を重ね、黒い衝動に抗えなくなってゆく。
まるで悪い毒が、じくじくと体内に増殖してゆくようだ。
ドゥサンダーの心臓発作、そして入院という事件で終幕はやってくる。偶然の巡り合わせで露見する、ドゥサンダーの正体。
この運びがなかなか面白い。
そしてトッドの周到に見える受け答えにも綻びが。

「ゴールデンボーイ」は映画と小説、両方鑑賞すると物語に厚みが加わり、とても面白いと思う。
映画だけだと、あれ?これで終わり?このままで?という感じだが、小説はそうではないからだ。ぜひ両方堪能されることをお勧めする。

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