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長女の流血事件簿①

ADHDっ子

長女は落ち着きのない子供だった。

検診でADHD(注意欠陥多動性障害)を疑われ、

小学校に入ってもずっと、経過観察と言って、

教育委員会から、ちょっとした要注意人物

扱いをされていた。

私としては家にもっと落ち着きが無く、注意が

欠陥している要注意人物(旦那)がいるので、

「子供なんだし、こんなものでは?」

くらいに思っていた。

好奇心旺盛、活発で人懐っこい長女は

しょっちゅう転んだり、ケガをした。

目の放せない子ではあったが、

私はそれに慣れっこになっていて、

少々、転んでケガをしても

「またか・・・。」

くらいに思うようになっていた。

特に次女が産まれてからは

今までのように常に長女を追いかけ、

転びそうになったら、助けるという事が

できなくなっていた。

そして事件はおこった

その日、私と娘3人で夕食を食べていた。

この日のデザートはハスカップのジャムを

ヨーグルトにかけたもの。

牧場で採れた濃い紫の果実、

ハスカップを煮詰めてジャムにしたものが

娘たちの大好物だった。

食卓に長い事、座っていられない長女は

早々に食事を終え、隣の部屋に行き、遊び始めた。

保育園から帰って、後はお風呂に入るだけ。

次女の服はお風呂に入る時に脱がせば良い。

2人目の育児は、とにかく手抜きをどこまで

できるかが勝負。

洗濯物が増えるので、お食事エプソンなどせずに

服を赤紫色に染めて食べさせていた。

まだ上手に食べられない次女に食べさせるのに

必死だった私。

そして、「ドン!」

と隣の部屋から音がした。

また転んだか・・・・。

と思いながら、部屋がやけに静かな事に

気が付く。

いつもなら、長女が大泣きしながら、

やってくるのに・・・。

そっと隣の部屋を覗く。

・・・長女がいない。

やがて、家の外から

「うっ、うっ。」

とすすり泣く声が・・・。

恐る恐る窓から外を見ると、そこには血まみれ

になった長女が立っているではないか!?

病院へ

救急車!

と思ったが、この時、私達が住んでいたのは、

地元の病院から徒歩10分。

車で行けば、もっと早く着ける。

「救急車よりも車で行った方が早い!」

そう判断した私はタオルで血が流れ出る長女の

頭を抑えた。

そして、

「ここ、抑えてて!」

長女、自らタオルを抑えさせた。

なぜなら、まだ歩けない次女を置いて

いくわけにはいかないからだ。

次女を抱えて、チャイルドシートに乗せた。

そしてタオルで頭を抑え、固まったまま動かない

長女も抱えて車に乗せる。

病院は診察時間が終わり、玄関が閉まっていた。

裏の緊急窓口に行き、インターホンに向かって叫ぶ。

「娘が頭をぶつけて、血が出ているんです!」

すぐに看護師さんがドアを開けてくれた。

ものすごい形相で看護師さんを見つめる私。

「あらあら、大変!」

そう言って、看護師さんは私が腕に抱いていた

次女を受け取った。

それもそのはず、助けを求める私の腕の中には

ハスカップで見事に赤紫色に染まった次女が

抱かれていた。

まさかこの服のまま外に出る事になるとは。

「いえ、こちらなんです。」

私は後ろで泣き叫ぶ事もなく、静かに頭を

抑える長女を差し出した。

そして、病室へ呼ばれ、

無事に診察を受けることができた。

先生が傷口の診察を始めると、

やっと我に返った長女は大声で泣きだした。

その様子を見て、先生は

「これだけ泣けるんだったら大丈夫だ。」

とあっさり一言。

傷口の周りの髪の毛を切って、消毒して、

巨大なホッチキスのような物でパチン、パチンと

留め始めた。

「この傷なら、脳までいってないね。

CTスキャンに入るまでもないか。」

そういって、CTスキャンはおろか、

レントゲンすら撮らずに処置は終わった。

帰宅

そして、真っ赤な服を着た

2人の娘を連れて帰宅。

ホラー映画のようなワンシーンだが、

ようやく家に帰ってから、何が起きたのか

現場検証をすることができた。

その時、長女は窓を開けて、お尻を外に出して

部屋の方を向き、座っていたらしい。

・・・なぜそんな事をしたかというと、窓に

座ったまま、外におしっこをしようとしたらしい。

いつもの事ながら、長女の行動は私の想像を

はるかに超えてくる。

そして後ろ向きに頭から落下。

幸い1階だったものの、落ちた先の庭には花壇が。

花壇の周りを囲うようにコンクリートブロックが

置いてあり、そこの角に頭をぶつけたらしい。

パックリときれいに割れた傷は、先生いわく、

「くっつきやすいから、大丈夫」

らしい。

現場検証を終えて、部屋を見ると、長女は

ショックから赤ちゃん帰りをして、次女の

クーファンの中で丸くなり、眠っていた。

帰宅した旦那に一部始終を報告すると

「そっか。大変だったね。」

の一言。

落ち着きのない子供だった旦那は、子供の頃に

トラックとバイクとタクシーにひかれた事が

あるらしい。

むしろ、なんで生きているのか、

不思議なくらいだが、子育てにケガや

ハプニングは付きものだと理解しているらしく、

さほど動揺もせずに自分でラーメンを作って食べ始めた。

それから数年が経ち・・・

小学校高学年になった今でも、

長女の頭はその時に傷を負った部分の毛が

生えずにハゲて残っている。

長女の後ろ姿にハゲを見つけては、あの日の事を

今では懐かしく思い出す。

後頭部なので、本人は鏡を見ても見えず、

ポニーテールにすれば、ハゲは隠れてしまう。

周囲の同年代の女の子たちが、ファッションに

気を遣う年頃になったが、頭ボサボサでも

気にしない長女は、特にコンプレックスには

感じていないようだ。

ハゲた部分は頭が大人と同じ大きさになった

タイミングで縫い合わせれば、

隠すことができるらしい。

いつか長女も大人になり、ハゲを気にする時が

来るのだろうか・・・。

友達に指摘されて、

気にし始めたらハゲを隠すように

縫い合わせてもらおうと思う。

それまではあの日の思い出として、

このハゲすらも愛おしく眺めていようと思う。



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