自己紹介③寝たきりゾンビ
やっぴー( ^ω^ ) 近所に美味しいカレー屋さんがあって
幸福度増し増しのどうも!
こっから私の人生の転機がやってくる。厄年ってすごいw
続きは↓
○育児〜発病○
息子と私。最悪のコンディションでスタートした育児は地獄絵図「ちゃんとしなきゃ病」なのに息子におっぱいを満足に与えられず寝かせてあげられず泣かせてばかりいる
「ちゃんとできない自分」にとどめを刺すように聞こえる息子の泣き声に私が毎日泣いていた(産後鬱)
育児書で読んだ通りにはならんのよ〜。とは知っていたがwはるか斜め上いく通りにならんで詰んだ。
逃げ場はねぇ。
100日頑張ればとか言うけどそんなん嘘。栄養状態劣悪コンビニに光はない。(夜泣きも産後鬱も栄養欠損は大きな要因です)息子が隣に居るとプレッシャーで手が震え眠る事すら出来なくなる。けれどもそばを離れる訳にもいかずじゃん?と私の脳内。
ふすま一枚隔てて隣同士で寝てみる。なんてシュールな毎日を限界ギリギリの体力で過ごす。愛したい。我が子を。せっかく生まれてきてくれたんだから。
私が子供を産むことにしぶりがあったのは、自分の遺伝子を持つ私に似た子が生まれてしまったら好きになれる自信がこれっぽちもなかったからだ。「あすかを辞めたい」が口癖だった自分が大嫌いと感じるわたしが自分に似た子を愛せるとは到底思えなかったのよねぇ。
義理のお母さんに「半年経てば大丈夫よ」(善意)と言われて半年もこの地獄耐えろとか鬼なんか?と鎖国を申し入れようと決意するほど心の大きさはおチョコ以下でしたよ( ^ω^ )はい。
期待に応える事ができずに赤子様申し訳ございません。夫様、役立たずの嫁で申し訳ございません。その他の皆様、全員敵でございます。近づかないで♡噛み付いちゃうぞ♡ガルルルル・・・・!
けど、飼育員の自分もいる訳ですよ。自分ができないからダメなんだ。自分でなんとかしないと。あぁ〜やばい。逃げれないし。なんとかしないと〜。わぁ〜。
で、4ヶ月の日々が過ぎていく間に。息子のアトピーが発覚。
成長曲線が下の下。見るからに成長も遅く情緒不安定な彼を前に私が「ちゃんと」産んであげられなかった事にただ泣いた。
時を同じくして、引越し。私の妊娠中から最熱していたアトピーも爆発した。お尻から太ももにかけてただれて下着を通り越してパジャマまで浸出液が染み出すようになっていた。痒くて寝れない。
とち狂った生きるのに必死な野獣はお尻が真っ赤なお猿さん。なんかもうほんとに正解と出口を探し求めて「生きる」のに必死だったなぁ・・・。書いてて思うけど私は私を抱きしめたいよ。よく生きてた。偉い。
○血迷う〜決断○
気がおかしくなっていたので、引越しの荷解きも誰の手も借りず夫が仕事にいってくれてる間に1人で全部やった 4ヶ月の息子を抱えて。周りは私を助けたかったと思う、けど聞く耳を持たなかった。だって「ちゃんと」しないと私の存在価値はないのだから。その時の私から生きる意味を奪わないでくれた周りに感謝よ。まじで。ありがと。
流石に死ぬかもしれん!と思い。皮膚科で1番強いステロイド薬を貰い塗布。2日でつるつるの肌になったが、あまりに効きすぎる効果に怖くなったのと、
医師に、「もう一回子ども産んだら治るんじゃない?」と言われたことで「あ、こいつねぇな(・ー・)」と思ったのでもう薬を使わないことを決める。
ネットでありとあらゆる情報を読み漁る。
自分の通帳に残っているお金をつぎ込んで、ヨレヨレの体で息子を連れて県外まで勉強しに行ったり。お金が無くなった後は申し訳ないと思いながら、夫君からの援助で出口の見えない道を進んだ
アトピー完治した人のブログを頼りに試しまくって意識が消えるまでお風呂に浸かったり、お金をかけて通っていた漢方薬局に常連と思しきアトピー重度の患者さんを発見し「あぁ、ここに通うだけでは治らないのだな…と落胆」
夜は寝汗で布団に何度もカビが生えるようなことまで起きた。重度の夜間低血糖(毎日乾燥機かけてたよw)それでもこれは好転反応!とか言って粘ってた私を抱きしめてあげたい。そこじゃないよ。こっちにおいで。
歩けば、ティンカーベルかな?ってくらい皮膚の粉が私の周りに落ちて、
布団はいつもザラザラしていた。掃除機が哀れになる掃除の時間。ダイソンもゲンナリよね。お疲れ様。
2歳になった息子は私に気を使い困ったことがあっても私に頼ることはなかった。
一緒の布団で寝ても朝、目が覚めると、私を起こさないようにお気に入りのタオルを持って夫の部屋に移動して行った。小さくそっと動く背中を見て私はまた泣いた。
朝と夜の認識があるのに、身体が全く眠くなってくれない、毎日力尽きて意識を失うように眠った。
急速に体重が落ちXSのデニムがゆるゆるに髪の毛がバサバサと抜けるようになった。万年ダイエッターだった私は病的に痩せているのに。嬉しさを感じていたし、今度は食べてしまい太るのを今度は怖がるようになっていた。
診断は受けていないが、摂食障害だったと思う。空腹でも食べることが怖く、大食い動画を見て擬似体験をさせて過ごしていた。何が何だか自分がわからなかった。
根拠も怪しい断片的な情報で体が回復の方向に向かうはずもなく。
耳の奥が膿んで詰まり音が聞こえず息子のオムツを変える体力も気力も無くてそんな自分が生きてることにパニックになり、逃げたくてしょうがなかった。
自分であることから。生きていたいけどあすかを辞めたかった。
何を思ったか、お風呂で叫び泣く。
ようやく自分が【ヤバイ】のだと自覚した。
私、ちゃんとするどころか迷惑しかかけてない辞めよう。それと同時に、どれだけ私が病んでも周りは私を見捨てず愛しぬけるのか試している自分にも気付いて吐き気がした。(2021年春)
幼少期から「可哀想」であればあるほど「かまってもらえる」=愛してもらえると言うある種の成功法則を
私は「ちゃんと」できない人と、薄々気付いていたからこそ貫こうとした私は筋金入りの「寂しがり」をこじらせたなれの果ての姿が今の症状なのだと気付いたら、あまりの自分へ人間らしい愛しさと、滑稽さに諦めがついたのである。
だせぇことしてる場合じゃねぇなぁ。
治して恩返しするしかねぇなぁ…。
と、陰極まれば陽に転ずとはこのことか!?とメソメソ泣くのは辞めました。スパッと。
泣くのをやめて、アトピーを辞める。私はあすかとして生まれてきたのだから
私を生きるしかないじゃないか。はい。やります。
と決めたら人生が動き出した。やっぱ決めるって大切♡
希望が私の前に降ってきた話はまた次回!
今日も最後まで読んでくれてありがとう!
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