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困ったときは受給しよう!生活保護!

はじめに

はじめまして、ちゃむと申します。
現在27歳女、鬱、PTSD、不安障害など精神的な面で働けず、無職です。
生活保護受給者です。

今回のnoteを書く目的は、
生活保護受給はこわくない!
を皆様にお伝えすることです。


生活保護とは

生活保護ってなんぞや?という方のために、ざっくりとですが説明します。

お金がなくて困った!働けなくて困った!生活できない!
そんなとき、国からお金を支給してもらえる制度のことです。

本当にざっくりですね……。厚生労働省から引用しましょう。

生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。

厚生労働省HPより

厚生労働省のHPリンクも貼っておきます。

健康で文化的な最低限度の生活ってなんだろう。いろいろ考えさせられる言葉ではありますが、単身者でひと月当たり10万円~13万円ほど支給されます。国が定めた「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためには、毎月それくらいのお金がかかるということですね。
私の場合、毎月約11万円支給されています。
毎日外食したり旅行に行ったり高いものをたくさん買えるほどの金額ではありません。
でも、毎日朝食、昼食、夕食を食べれて、お菓子も買えて、こうしてネットでいろいろ発信できる環境がある。十分です。

私の生活費を一例として載せておきます。
家賃4万1000円
光熱費1万5000円
通信費2000円
ここまでで5万8000円ですね。
食費が2万円
その他日用品5000円
貯金に1万5000円
残り1万2000円が自由に使っていいお金としています。

どうでしょう。家賃にもよりますが、十分な生活ができています。
貯金がほとんどできないじゃないか!と心配する声もあるかと思いますが、生活保護はあくまで「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためのお金を支給してもらえる制度です。

人によって状況は様々。
もしかしたら明日働けなくなるかもしれない、が人生なのです。
失業手当をもらっても、貯金を切り崩しながら生活しても、いつか終わりは来ます。
そんな時、お金がなくては生活できませんよね。
それを助けてくれるのが、生活保護です。
困ったら生活保護に頼りましょう。
頼っていいんです。


生活保護に至った経緯

簡潔に、生活保護を受給するに至った経緯を書きます。

・両親ともに毒親
・大学進学から一人暮らし
・新卒で企業に勤めるも2年で辞める
・半年ほど引きこもる
・転職するも半年で辞める
・次に就職するもまた半年で辞める
・精神科へGO!鬱、PTSDと診断される
・貯金を切り崩しながらの生活に限界が
・掲示板に現状を書き込む
・掲示板で生活保護を勧められる
・生活保護受給

簡単に書くと以上です。
以下詳しく書きますが、長いので飛ばしていただいてもかまいません。
目次を貼っておきますので、「困ったときは受給しよう!生活保護!」をぽちっと押して飛ばしちゃってください。


私の人生、ちょっと気になる、という方はそのまま読んでください。


私の人生、どこから坂道を転げ落ちて行ってたんだ……
そう、生まれた時からですね。
毒親の元に生まれてしまいました。
暴言、暴力、存在否定、人格否定が当たり前。家庭内のサンドバックでした。兄妹は私を含め3人で、私は中間子です。
母は兄が大好きで甘やかして育て、兄は立派なマザコンになりました。
妹は勉強が苦手で考える、ということをあまりしないせいか、毒親の元でも元気に過ごしています。自分の親が毒親であることに気づいていない可能性のほうが大きいです。中間子の私は自分の親が毒親だと気づいたのが早めだったこともあり、反発していたせいか、見事サンドバック役になりました。

小学生の時、夜寝るときは、誰かが何かを言ってる音に敏感で、それがとても恐ろしく、耳を塞ぎながら布団を頭までかぶって寝ていました。
その頃にはもう鬱症状が出ていたんだと思います。

中学生になる頃にはもう、家庭がおかしいことに気づきました。そして毒親という言葉も知りました。
気づけば自殺の方法を検索する日々。何度も自殺を考えました。
けれど、なんとか生きました。

大学は美術系に進みたかったのですが、親にとって芸術とは「遊び」でした。否定され、ついでのように人格も否定され、行きたい大学は諦めざるをえませんでした。
「なんとかこの家から出ないと死んでしまう」
という考えに支配されていた私は、県外の文学系の大学を選びました。両親はそれにも反対しました。「県外に出るなんて!」「お金がいくらかかると思っている!」
選んだ大学は私立じゃないし、今はどの子も県外に出てる。精一杯説きました。土下座しました。どうかこの家から出してくれと泣いて土下座しました。
ちなみに、私は田舎育ちです。都会の人には無い考えかもしれませんが、「県外に出る」ということは、どこかおかしい子だ、と思う親は少なからず、まだ存在するのです。私の両親のように。

晴れて私は県外に出ました。
一人暮らしの大学生活です。そして、私が「鬱」を意識し始めた大学生活です。
休みの日は一日中寝て過ごしました。それしかできませんでした。
なにもできない。……鬱では?
実家にいたころは、平日も土日も関係なく起きて何かしらしていましたし、ずっと寝ていると怒られたので、一日中寝ていることはありませんでした。
でも一人になってみると、体が睡眠をこれでもかと欲しているのです。

精神科に行くという考えはありませんでした。だって、大学には行けるし、友達とも楽しくお喋りできる……
今は「でも、それ鬱だよ!」と断言できるのですが、その頃は「うつ病」という言葉さえ調べませんでした。

就職に関しては、「実家に帰ってこい」「公務員になれ」「学校の教師になれ」「親の言うことを聞け」「親の言うことに従っていれば間違いない」などと何度も連絡が来ました。私はスマートフォンを遠くに置いて、遠くからその声を聞いていました。私が返事をする必要もなく、親はそんなことを繰り返し喋るだけ喋って、満足するのです。
当時の「嫌いなことランキング」堂々の1位が「親と電話すること」でした。

私は親の言うことを聞きませんでした。大学がある県とも違う、県外の企業に就職を決めました。
正社員なのに、「ちゃんと正社員なんだろうな?」と何度も何度も聞かれました。「本社の住所と連絡先を言え」と突然言われ、言わなければ「それでも社会人か!」と私が泣くまで怒鳴りました。
「実家に帰ってこい!」
何度も何度も言われました。先ほども書きましたが、田舎の親には「子供が県外にいると体裁が悪い」と感じる親がいるのです。私を愛しているからの「帰ってこい」ではないのです。あくまで体裁を守りたいのです。

実家に帰るわけがない。死んだって帰らない。私は心に決めていたので、何を言われようが絶対に折れませんでした。

そうして新卒として勤めた会社は、2年で辞めました。
おそらく精神と体が限界だったのでしょうね。毎日毎日疲れ果てていました。わけもなく泣き出して周囲を困惑させたこともありましたし、そんな自分にも困惑していました。
お風呂に入る度、親に言われたことを思い出しては泣き、同じ悪夢を何度も見ました。

PTSDです。
辞めたい、仕事を辞めたい。それしか考えていませんでした。そして2年ちょうどで辞めてしまいました。
すぐに転職するのは精神面でも体力面でも無理だと考えた私は、それから半年ほど、貯金を崩しながら生活しました。
今思えば失業手当もらえばよかったのに、と思うのですが、当時はそんなことさえ考えるのが億劫でした。
とにかく休むんだ!休んで、次考えよう……やすんで……かんがえ……

考えるも何も、ずっと寝ていました。

もうそれしかできませんでした。そのころにはもう、自分がうつ病だと理解していましたが、やはり精神科には行きませんでした。

そして貯金もいよいよやばい!となったとき、再就職しました。

でもそこは半年で辞めました。なぜかというと、悪口が当たり前の職場だったのです。入社初日に隣で悪口を言われる経験、ありますか?
なかなかインパクトの強い場所でした。
これは精神科の先生に話していなくて診断されていないのですが、
おそらく適応障害も出ていたんだと思います。
そのせいか、なぜか仕事も全く覚えられませんでした。何度もする作業を、いちいちメモを見ながらでないと出来ませんでした。そしてさらにひどくなる悪口……負のスパイラル……
半年も勤務していたのが奇跡のような職場でした。

次の職場は間を挟まずすぐ就職しました。
今までのどの職場より安心して働けるし、自分にあった職場でしたが、
ある日突然職場に行けなくなりました。
きっかけは体調不良で1日休み、その次の日、電車に乗ったはいいけど、降りれませんでした。
それからずるずると2週間ほど休み、ついに精神科に行きました。

精神科では泣きながら今までのことを話しました。
鬱、PTSD、と診断されました。
私は特に驚きませんでした。そうだろうな、という感じです。
きっと精神も体力も限界突破していたんでしょう。
職場には相変わらず行けませんでした。
急に休んで、急に消えた社員となってしまいました。
半年という短い間しか務められなかったの今でも残念です。

貯金を切り崩しながら生活していたのですが、それもいよいよ底が見えた時、また企業への応募にチャレンジしていました。
私がどんな精神病を患っていようとお金は減り続けるし、そうすると生活できなくなるからです。
でもなかなか採用には至りませんでした。
ある日、ボーっと布団の中で「練炭自殺」と調べていました。
やばい!と焦った理性ある私は「発言小町」という掲示板に現状を書きました。
すると、役所に行って、助けてもらって。など、生活保護を勧められました。
この掲示板について、ひとつ前の記事に書いてあるので是非みてみてください。
リンクを貼っておきます。

生活保護って、もっと困っている人のためのものだと思っていました。
でも、精神面が不安定で、働けていなくて、お金もない状態はもう生活保護を受給するべき時だったのです。

この掲示板で生活保護を受けてもいいんだよって書いてくれていなかったら、私はずっと職探しと自殺について考えていたと思います。
そして鬱、PTSDは悪化していたと思います。

困ったとき、頼るべきは自分の頭ではなく他人の知恵。
自分の狭い世界じゃ知らないことが多すぎます。生活保護のことも、まったく知りませんでしたし、受給できると思っていませんでした。

でも実際は役所に行って、「生活保護を受給したいです」と言えば、スイスイ手続きが完了しました。
助けて欲しいといえば、助けてくれる国なのです。

私は今も生活保護受給者ですが、以前より随分精神面がマシになりました。
また働けるようになる日もきっと来るはず。
それもこれも、生活保護制度のおかげで精神の治療に専念できる環境を手に入れることができるようになったからです。

このnoteを見ている方で、私と同じような方がいればぜひ生活保護を検討してみてください。


困ったときは受給しよう!生活保護!

生活保護はよく分からない……
生活保護を受けるなんて、プライドが許さない。

そんな考えの方も多くいるでしょう。
でも、もし明日電車から降りられない日が来たらどうしますか?
実家にお金の面で頼れる人はいますか?
失業手当を貰い切っても仕事がない場合はどうしますか?

そんなときは生活保護を受けましょう。
国の制度に頼りましょう。

私も生活保護なんてよく分からない状態で手続きしました。
生活保護受給者なんだ……いつまでこの生活なんだろう、という不安も抱えています。

でも困ったときは、生活保護を受給してください。

生活保護を受給する一歩手前というのは本当に危ない時期です。
お金もないし、お金がなければ不安でどうしようもないし、自殺を考える人もいるかもしれませんね。私のように。

そんなとき、生活保護があるよ!大丈夫だよ!と言ってくれる存在がどれだけありがたいか……
生活保護受給はこわいものでもなんでもありません。
自分が明日も生活できるようにする制度です。

困ったときは役所に行って、相談してください。
「生活保護を受けたいです」
その一言で大丈夫です。

最後に、厚生労働省のHPより引用します。

生活保護の申請は国民の権利です。
生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、
ためらわずにご相談ください。

厚生労働省HPより

ここまで読んでくださってありがとうございました。
元気な方もそうでない方も、生活保護を必要とする可能性は誰にでもある、そういう時、頼っていいんだよ、と伝えられていれば嬉しいです。

ちゃむ

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