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人を勝手にカテゴライズするのは止めて

出会って最初にする質問はとても重要だ。その人の印象を左右する。
海外にいて思うこと。出会って早々に「英語話せるんですか」と聞いてくる人にろくな人はいない。

私は育ってきた中で海外生活をしたことがないし、学生時代に留学の経験もない。英語に触れてきたのは、子供の頃に通っていた英会話と学校の英語の授業くらいだ。だから、私はその質問をされたときは「話せません」と答える。
その瞬間、私はその人にとって英語の話せないかわいそうな主婦として認定される。その後の会話は終始ちょっと馬鹿にされる。まるで、海外に触れたことがないような人として、日本でちゃんとした仕事に就いたことがないような人として。

まだ海外旅行したことがあるかも、日本でどんな仕事をしていたかも話していないのに。

バックパッカーのような波乱万丈な旅じゃないけれど、これまでヨーロッパやアメリカ、近隣のアジアを含めると10か国ほど旅行してきた。英語が話せないと言っても、仕事で使ったことがなかったり、ネイティブと同等に話せないだけで、ホテルでスタッフとやり取りしたり、ショッピングを楽しんだり、十分に旅行を楽しめる。大学受験までしているのだから、ある程度の単語は覚えたし、文章だって読める。

私は英語が話せなくても困っていない。

あの人は、まるで自分レベルの仕事はしたことがないと決めつけて話していたけれど、日本ではそれなりに大きな会社に勤めていた。社名を言えば知っている人もいて、テレビでCMが流れるような。夫が海外赴任になって両手放しで喜んでついてきたわけではない。仕事を続けることとそれ以外のことを天秤にかけて、海外生活は私にとって大きな経験になるはずだと思って決めたこと。人並みに仕事に誇りを持っている。

そもそも、英語が話せるかどうかってあいまいな質問すぎやしないだろうか。どのレベルに達していれば話せると言えるのだろうか。
私は気づいた。
ああ、この質問をしてくる人は自分には立派な経験があって、それを理由に話せると答えられるから質問してくるのだ。
例えば、英語圏の国で育ったとか、留学していたとか、海外色豊かな大学に通っていたとか。
その人にとってそれは美談なのだ。自慢なのだ。自信なのだ。
本人が気づいているかはわからないが、出会って早々英語ができるかを聞いて、マウントを取られただけの話だ。

違う質問に例えるなら、出会って早々「勉強できるんですか」と聞かれるようなものだろうか。
きっとびっくりして引いてしまう。突然なんなのだ、デリカシーのない人だ、空気が読めない人なのだろうか、勉強できる自慢のナルシストなのだろうか、と。

はじめに単なるデータにしかならない質問をしてくる人は苦手だ。そういう人はたいてい自分が優位に立てる質問をする。人を勝手にカテゴライズして、損得考えている。見た目ばかり気にするつまらない人だと私は思う。
逆に、中身のある質問をしてくれる人は話を引き出すのがうまいし、本人の話も面白い。自分に自信があって、相手を尊重できる。そういう人とかかわることは本当に面白い。

海外生活は出会いと別れの連続。いい人との出会いがあればその逆もしかり。

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