フレンド、ヒア・アー・マイ・フェアウェル・ワーズ

久々にオヌシの新刊は出ぬを見返してたら書きたくなったのでミューズ・イン・アウトリスペクトです

「ヨッ」アカシマは開かれたドアから差し込むLEDボンボリの明かりに照らされ、目を細めながら手を上げた。「思ったより元気そうじゃないか」ドアを開けた家主、ベンカイの顔は逆光で見えづらかった。

だが、明かりに目が慣れればその血色のいい顔が喜びに満ちているのがよく分かった。大学の頃は瘦せぎすで、目が落ち窪んでいる、どこにでもいるような典型的なナードだった男も、売れる小説家になれば存外健康的になるものかとアカシマは妙な感慨を得てしまった。

「それじゃあ、上がらせてもらうぜ。土産も持ってきたしな」アカシマはコケシマートの袋を掲げ、中の缶詰と安い悪質なアルコールの類をベンカイに見せつけた。「オイオイ、そんなもの買ってきたのかよ」「いいだろ。オレとオマエの暗い青春の味わいだぞ」

学生寮で、裸電球に照らされながら酒とサカナをつまみながら語り合う。それこそが二人にとっての「儀式」だった。「…ま、俺とお前の久々の再開を祝うには、これがピッタリか」ベンカイは、袋を受け取るとリビングへと歩きだす。アカシマは慣れない上等な客用ファースリッパに足を通した。

◆◆◆

「そういやオマエ知ってたか?貝合わせ部のニシガミ=サン、部の男全員とファックしてたって」「マジかよ!?大学のマドンナにそんな裏があったとは…」一目見て高価だと分かる家具が一通り揃ったリビングで、二人は酒を飲みながら語り合っていた。

「オマエ、あの時ニシガミ=サンに懸想をしてたっけな」「アーアー!俺が言ってたのは前後したいなくらいで惚れてたとは言ってない!」二人は、まるで学生時代に戻ったかのように語り続ける。時刻は午後10時。その時、ダルマ型電話のコール音が鳴り響いた。

「アー…」ベンカイは困ったように頭を掻きながら電話とアカシマを交互に見た。「…仕事の電話だろ?構わないさ」「悪いな…」ベンカイは立ち上がり、受話器を取る。恐らく編集辺りが原稿の催促をしているのだろう。ベンカイは今、それだけ忙しいのだ。本来アカシマごときに構う暇がないくらいに。

アカシマはアルコールを呷りながら、所在なさげにリビングを見渡した。生活感の、使われた痕跡があまりない家具たち。部屋の一角に雑に積まれた、読まれないまま埃を被ったファンからの手紙。かつて二人が押し込まれた寮の部屋とは大違いだった。

「待たせちまったな。今抱えてる原稿を明日の夜までに頼むって…」「やっぱり売れっ子は寝る暇もないか」「…………」ベンカイは何も言わず座り直すと、口を付けていたアルコールを一気に呷った。二人とも、何も語らず時計の針が規則正しく時を刻む音だけがリビングを満たす。

「今は…」ベンカイが、切り出す。「…今は、どうしてるんだ」それは、現状の確認だった。ベンカイが今の今まで聞かなかった、アカシマが大学を卒業してからどうしてたかの疑問だった。

アカシマはスッと肩掛けカバンから写真を取り出した。ベンカイは写真を受け取ると、それを見た。結婚式の写真だった。アカシマともう一人、同じ年頃の女性が幸せそうに笑う写真だった。「三年前に結婚してな。今は娘が一人」

「そうか…おめでとう」ベンカイは写真を返し、祝いの言葉を述べる。だが、その笑顔にはどこか陰りがあった。聞きたいのは、それだけではないのだろうと、アカシマはアルコールで溶けだした知能で感じ取っていた。

「…教えてくれないか」「…何をだ」「…なんで、大学を卒業した時、行方を眩ませたんだ?俺に何も言わずに…」ベンカイの問いかけにアカシマは答えぬまま、新しいアルコールの缶のプルタブを開け、呷る。「…月が砕けた年を、覚えているか」

「ああ…」月が砕けた年、あまりに多くのものが変わった年。アカシマとベンカイはその時、大学の三年生だった。「オールド・オーボンの夜、マルノウチ・スゴイタカイビルの前で暴動が起きて、多くの人々がビルの前で暴れていた」「…………」

「あの時は何が起きてるかわかんなかったよなぁ。陰謀論だの、ニンジャが出ただとかイッキ・ウチコワシだの…情報が錯綜してな…」「何が言いたいんだよ」「あの日、オマエは暴動に参加してオレは寮の部屋に籠っていた。それが全てだ」アカシマは眼を閉じ、あの時を思い出す。

『行かなきゃ、行かなきゃいけない気がするんだ!』大学の学生からの伝聞の、人々の熱に当てられ、浮かされたようなベンカイ。『ヤメロ!ハイデッカーに殺されるぞ!』アカシマは友を引き留めようとした。『ウルサイ!』『アッ!』だが、縋るアカシマの手を振り切り、駆け出すベンカイ。

朝になるまでベンカイは帰ってこず、アカシマは一睡もせず待ち続け、ボロボロの彼が戻って来た時安心して気絶するように眠りこけた。「だから!何が言いたいんだよ!」キレ気味に叫ぶベンカイを、アカシマは冷ややかな目で見る。カバンから取り出すのは、古い本だった。

アカシマとベンカイ、二人だけの小説同好会が自費出版した作品の一冊だった。アカシマはページを丁寧にめくる。「あの時代は身近な場所にテロリストがいるってどこでも叫ばれてて、オレたちは真に受けて自衛のために警棒を買って服の内側に忍ばせてたよなぁ」

それは、最初は何気ない始まりだった。ジョックのように筋肉も無く、サイバネにするだけの金もない二人は、マッポが横流しした中古の警棒を買った。それを、学生寮の外では四六時中身に着け武装していた。

「でも、その警棒がいつの間にか飛び出しナイフになって、果てはチャカになっていた。寮の部屋でアレを買ったこれもいいなって語ってよ…オレたちは、誰かをいつでも好きな時に殺すことができるって心地に魅入られていた」アカシマは、楽し気に語った。

講義を受けるとき、アカシマは胸ポケットにナイフの重みを感じていた。構内を歩けばホルスターのチャカの重みが。アカシマの心臓を高鳴らせた。ベンカイも同じだった。「今にして思えば、密告されたら問答無用でハイデッカーのお世話になってただろうけどよ」ページをめくる音。

「けど、それがオレたちの小説に脂を乗らせた。サスペンスやスリラーが好きで書いてたのも相性が良かったな。学生の自費出版で結構売れたのも、妙にリアルだから惹かれたって買った人の声も聴いたよな」ページをめくる音。

いつでも人を殺せる状態にある。ナイフの刃のギラつきが、鈍く光るチャカが、薄暗い興奮が、二人の小説を形作ったのだ。「女を知らない方が女への欲求が高まるって、大学の先輩が偉そうに言ってたが、今になってその通りだと思ったよ」アカシマは本を閉じ、次の本を取り出した。

「オマエの、オマエとオレの小説には、あの暗い喜びが必要だった。一線を越えないまま抱え続ける欲求が…まだ、わかんないのか?」アカシマは、ベンカイの目をのぞき込む。

古い友人だった男の目は揺れていた。怯えか。「オマエ、あのオールド・オーボンの夜に人を殺しただろ」「っ!」「オマエが帰った朝、硝煙の臭いがしたのを嗅いでてな。暴動に参加したなら服に臭いも付くかと思ってたが…」アカシマは掴んだ本を見る。四年生の時に出した自費出版の本。

「これを読んで理解したよ。オマエが人を殺したんだってな。オマエが喧嘩を吹っ掛けたのか、それとも喧嘩を売られての過剰防衛なのか。オレには分かんないけどさ」「証拠は!証拠はあるのか!」ベンカイが叫ぶ。「物的証拠は一つもない。けど、俺には分かる。お前のファンだった俺には」

アカシマは、ページを一枚一枚めくる。何度読み返しても、三年生の頃に出した本に宿っていた熱が、暗い欲望が、この本に、文章に、文字に一文たりとも宿っていない。精巧な殺人の描写があるだけの物語だ。

「コイツが小説同好会の歴史で一番多く売れたっけな。だから、オレは卒業と同時にお前とは縁を切った。創作への方向性の違いってやつだ」「…………」ベンカイは、力なく椅子にもたれ掛かる。30代になったばかりのベンカイは、やけに老け込んでいるように見えた。

だが、アカシマの言いたいことはまだ終わっていない。アカシマは次々に本を出してはテーブルに並べてゆく。「オレは、オマエとの縁を切った。なのに何故、今更こうして会ってるか。わかるか」「…テレビ局の、取材だったか」

ベンカイの出した小説が映画化されるにあたって、NSTVが大学時代の自費出版の本からアカシマを探り当て、取材に来たのが先日のことだった。「その時に、テレビ局からオマエが今まで出した本を貰ってな。卒業してからオマエの本は読まないようにしてたんだが…」テーブルに並ぶ本の数々。

「読んでわかったよ。オマエが今も人を殺し続けてるってな」残虐に、リアルになる殺戮描写。それに比例して上がる発行部数。人々の暗い喜びに火を灯す物語の数々。「だから、オレはこうしてオマエに会いに来たんだ。オマエに別れを告げるためにな」アカシマは立ち上がり、ベンカイを指差す。

「オマエは、オマエの魂を売り渡した。大衆に迎合する云々ではなく、オマエは小説家であることすら辞めようとしている。こんなもの、小説じゃなくて唯の殺人鬼の武勇伝を元にした自伝擬きだ」アカシマは、ベンカイの小説たちに残ったアルコールを浴びせかけた。

「黙れ…!黙って聞いていれば!俺の事を何も知らないでペチャクチャと!」ベンカイは立ち上がり、握りこぶしを作りアカシマを睨みつけた。バン!

アカシマは、カバンから紙の束を取り出すとそれをベンカイの目の前に叩きつけた。それは、どこにでもあるような原稿用紙だった。アカシマの名が、物語が綴られた原稿用紙。見たことのないタイトル。「これは…!」ベンカイはすぐに理解した。これは、アカシマの新作だと。

「つまんない男になったよ。オマエ」アカシマはそう言い残すと、拳を握ったままテーブルを、アカシマの新作の原稿を見下ろし続けるベンカイを背に、彼の作品の売り上げで打ち立てられた高級住宅から足早に立ち去った。

◆◆◆

酷く、虚しかった。ベンカイは、アカシマの原稿の文字を読みながら振り返る。全てはあのオールド・オーボンの夜。一部の過激な暴徒に殺されかけたのが始まりだった。殺されかけ、その時にニンジャ化し暴徒を返り討ちにして生還したのが真相だった。今思えば、それが過ちの始まりだった。

あの時のチョップで引き裂いた肉の感覚を、カラテで砕いた骨の感覚を思い出しながら書いた小説は、彼が書いた小説で一番売れた。『まるでホンガンジセンセイの作品みたい!』自費出版の本を買ってくれた人の中には、そう評してくれる人もいた。

『なんでだ!なんで俺に何も言わないんだ!』そして、卒業してすぐにアカシマが行方を眩ませた。その後、夢だった小説家になるために小説を書くも、そこまで売れなかった。『在学時と作風が違いすぎるのが原因だね』編集の指摘が耳に痛かった。

『イヤーッ!』『アバーッ!』そうして行き詰って、ベンカイはファック&サヨナラをしようとしているチンピラを殺した。『これですよこれ!この血生臭さと心臓を握り潰されるような感覚!』そうして書いた小説はよく売れた。そうして、ベンカイの栄光に満ちた日々は始まった。

殺す獲物の選別には気を使った。かつて言われたホンガンジのようという言葉で、ホンガンジについて調べて理解した。彼も同じニンジャで、恐らくニンジャスレイヤーなる都市伝説めいた存在に殺されたと。だから、殺す相手は賞金稼ぎに狙われるような悪党に絞った。

『センセイ!面白かったです!』殺せば殺すだけ小説は売れた。『センセイ!次の作品はこういうのがいいのではないでしょうか!』だが、何時からだろうか。『センセイ!次の作品を!』小説を書くことが楽しくなく。『『『センセイ!次の作品を!』』』ただの作業になりだしたのは。

みんなが求めているのは俺の小説ではなく、唯の殺人レポートなんじゃないのか?俺がやってるのはただ味付けを変えてるだけで…そう思い始めてから、全てが億劫になりだした。〆切に間に合わせるため無理矢理今までの経験を絞り出す日々。そんな時、アカシマが接触を求めてきた。

それに、かすかな希望を抱いていた。昔に戻れるんじゃないか。あの日々が帰ってくるんじゃないか。だが、蓋を開けてみれば友人だった男が突きつけたのは、己が過ちと別れの物語だった。

「ああ…」ベンカイの目から涙が溢れ出す。アカシマの書いた物語は、あの頃のままだった。あの頃と同じ、暗い欲望を抱えたまま、その物語はより洗練されていた。

『ここの描写がまだるっこしいんだよ!』『アッ!?お前のここ二重表現になってんぞ!人のこと言えた口か!?』『なんだと!』『この!』『夜中にうるせぇぞテメェら!』『『スイマセン!』』

お互いがお互いのライバルで、編集で、第一号のファンだった。そして、ベンカイの第一号のファンは、ファンであることを辞めたのだ。あとに残るのは、虚無に満ちた栄光だけ。

ベンカイは、リビングから寝室へと移動し、クローゼットの奥の棚を開けた。そこには今まで殺戮に用いた凶器の数々が眠っていた。そこから、一つのチャカを取り出した。古いチャカだった。ベンカイは、ベッドに腰掛け下顎にチャカの銃口を押し当てた。

そして、銃声が鳴り響き数秒後爆発する音が響き渡った。

◆◆◆

「本日のニュースドスエ。タマ・リバーにラッコが現れ住民が川に飛び込み…」街頭ビジョンでオイランキャスターがニュースを読み上げる。「タイショウ、オカンジョウ」「へいっ!」アカシマは屋台の主にトークンを差し出し屋台を後にする。朝食を済ませ通勤の再開だ。

「続いてのニュースドスエ。人気小説家ベンカイ=サンの失踪を受け出版社のアタラシイ・ホン社の役員がケジメを…」アカシマは数秒だけ街頭ビジョンを見上げ、そして何事もないかのように通勤するサラリマンの群れに、日常へと戻っていった。

【フレンド、ヒア・アー・マイ・フェアウェル・ワーズ】終わり。