嘘を本当にするために

「しまったな…」

男が1人、便座に座ってタバコをふかしながら途方にくれていた。男は用を足しておらず、ただ頭上の錆び付いたファンの音を聞きながら、己の無用心さを恨んでいた。

「こんなもので本当にあの野郎をぶっ殺せるのか…?」

男の腰にある、2丁拳銃。男の相棒。どんな奴も、男はこれで頭を吹き飛ばし、報酬を受け取ってきた。だが男がこれから己の迂闊によって殺そうとする羽目になった敵は、これで殺せるとは到底思えない存在だった。

この街のヒーロー、男も、女も、老若男女問わず惹き付け、男とは天地ほど差がある存在だ。そんな奴と、自分が高校三年間を同じクラスで過ごしたと言うのだから、自嘲の笑みさえ浮かんでしまうと、今の己のありかたを見て、男は紫煙を吐き出した。


切っ掛けは、仕事終わりに、たまさか友人と会って、そのままバーで酒を飲んでいた時の事だった。あの時飲んでいたのはビール?芋だったか?いや、あの雰囲気のバーだからカクテルだったか?今となってはアルコールと、己の置かれた状況で思い出せない。

それで、てきとうに話をしていたら、今日がエイプリルフールだということで、その場で即興で嘘をついて笑おうということになった…はずだ。それでアイツが嘘をついて、俺の番になって、それでついた嘘が、こうなっちまった切っ掛けだった。

「俺はあの男を、この街のクソッタレヒーローをぶっ殺せる男だ」

そうして次に、アイツが嘘をつく番になるはずだった。だがそうはならなかった。「お兄さんがたや。もうエイプリルフールは終わったよい」いつの間にか、俺たちの後ろに老婆が立っていた。みすぼらしい身なりの、しわくちゃの婆さんだった。婆さんもほろ酔いで、ワインを飲んでいた。「ほれ。もう午後になっちまったぞい」婆さんが指差した時計は、もう午後になっていた。午前中から飲んで、何時間飲んでいたかは思い出せねえ。

「それより、あやつを殺すか。ヒェッヒェッヒェッ!面白いのう。しかし、午後に言ったということは、それは本当の事にしなきゃいかんぞい?どれ、ワシが一つ、後押ししてやらんといかんのう」婆さんはそう言うと、ひょいっと右手の人差し指を俺に向けると、その指を回した。

何の呪いだと友人と笑った直後、婆さんの指が光り、その光が俺の胸に吸い込まれた。友人と今の現象にギョッとした途端、心臓がまるで全力疾走した後のように暴れだした。

「おい婆さん!コイツに何をした!」友人が婆さんに掴みかかろうとするも、なんと婆さんは半透明になり、友人は婆さんをすり抜け、そのまま壁に頭から激突、それで気絶だ。

「それはワシのおまじないじゃ。あやつを今日中に殺さんと、お主の心臓は破裂するぞい?ヒェッヒェッヒェッ!」そう言うと婆さんは俺にあの男の事を少しだけ教えてきた。

あの男は何か異世界からの侵略者だか何かからこの世界を守っていたこと、あの男が侍らせている女達は仲間だということ、あの男がテロリストを倒したというニュースは、その侵略者のボスを倒した時の事を報じられたというもの。

「さて、それじゃあ急がんといかんぞ?」婆さんはそう言うと、透明になって消えやがった。俺に清算を押し付けて。


そして、今に至る。奴のよく通る道の近くの雑居ビルのトイレ、そこで時間を潰していた。

おそらく、暗殺は失敗する。そうなったら奴との戦いだ。いや、奴の仲間も駆けつけることになる。そうなりゃ嬲り殺しだ。…奴の仲間か、多分彼女も来る。


男が今から殺さんとするヒーローを嫌う訳、それは単純に、惚れた女を取られたからだった。彼女はヒーローの幼馴染だった。大人びた、優しい少女だった。それこそ、階段から転げ落ちた馬鹿な同級生を介抱するくらいには。それで男が惚れて、仲良くなって告白したのだ。だが、ヒーローが好きだからとフラれた。

そこまでは、納得がいった。体育館倉庫から、彼女とヒーローの睦み合う声が聞こえた時は、結ばれたのだと、心の中で祝福した。だがその後だった。ヒーローが別の女とよろしくやってる声を聞いたのは。ヒーローが侍らせてる女の1人だった。

それからも別の侍らせてる女とよろしくやってるのを見聞きした男は、理解できなかった。彼女と、恋人になったはずではなかったのか。この事を、彼女に伝えるべきか。だが証拠がない。このままではヒーローと彼女を別れさせるために嘘をついていると思われる。そうして卒業まで何も出来ず、別の大学に進学し、ヒーローたちはああなって、男は表社会から裏社会へと転がり落ちた。


あの婆さんは、ヒーローが色んな女とよろしくやることが、侵略者とやらと戦うことに必要だったということを匂わせていた。だったらヒーローも、侍らせていた女達、彼女も、納得していたのだろう。

だが、俺は納得していなかった。だからあんな与太話を信じてここまで来た。彼女はヒーローにとってなんなのか。大切な幼馴染なのか、信頼できる仲間なのか、ただの性欲解消の為の相手なのか。

そう考えて、今度こそ自嘲の笑みを浮かべた。なんだ、まだこんな青臭い感情を持っていたのか。俺はタバコを山のように灰が積み重なった灰皿に押し付け立ち上がった。俺は、クズだ。人の命を奪って金に変えて食いつないでる社会の敵だ。でも、クズにはクズなりの譲れない正義があるのだ。

だからヒーローを殺す。彼女をそんな異常な事態に巻き込んだヒーローを殺す。彼女1人と結ばれなかったヒーローを殺す。

悪が、正義を殺すのだ。

「…今日はエイプリルフールなんだ。そんな嘘があったっていいだろう?」

俺は、このビルの警備員の死体を跨ぎ、トイレから出ていった。