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時代遅れの鼻つまみ者/時代が求めた■■■#パルプアドベントカレンダー2023

1

 街から離れた真夜中の雪原で、一人で歩いているのはエンストした車を捨てたドライバーか幽霊だけだ。“なら、僕は幽霊か”昔、友人から聞いた冗談を思い出し、唾を吐き捨てニコは雪原を進み続ける。積もった雪は、ニコの膝まであり、一歩進むだけでも体力が奪われてゆく。弱音を吐くのが許されるならば、こんな場所を歩くのは御免だとニコの眉間に皴が生じる。
 だが、進むべき道はこちらであると見下ろした雪に残されていた。雪の上に、血と茶色の毛の混合物が童話のパン屑のように落ちている。雪が少しでも降れば消えてしまいそうな証拠。天候だけは、ニコの味方をしてくれていた。

「奴は…まだ先にいるのか」

 ニコの口から白い吐息が漏れ、凍りかけた鼻の中の内容物が僅かに解凍される。垂れかけた鼻水を啜り、ニコは歩みを止めない。ガチャガチャとレンジバッグにライフルバッグの内容物が中で擦れあう音と、雪を踏みしめる音だけがニコの鼓膜を叩く。

─…ォォォオオオオオ…

「……」

 その時、遠くからの重低音が風に乗って聴こえた。ニコは視線を上げ、目を細める。町から遠く離れた雪原。だがニコの視線の先に明かりが見えた。まるで蝋燭のように、灯が風に揺れ輝いていた。

─…ォォォオオオオオ…

 重低音は、明かりが見える方角から聞こえた。ニコは、無言でライフルバッグのチャックを開けハンティングライフルを取り出す。装弾数は5。最初の一発で仕留めそこなえば、弾を込め直す猶予は恐らくない。ライフルを構え、ニコは足を進める。



 明かりのある場所にあったのは、大量の粗大ゴミだった。恐らくは、不法投棄の場所なのだろう。足音を立てないように、警戒をしながら粗大ごみの山と山の間を進む。目指すべき場所は分かっていた。不法投棄場の中心部で、炎が上がっている。恐らくは、そこに奴はいる。そして、中心部に至るだろう道へ気づかれぬよう顔を出し、奴を見つけた。

「ブオオオオオオオオ!ブオオオオオオオオ!ブオオオオオオオオ!」

 燃え盛る炎の前で、一頭の大きなトナカイが狂ったように鳴いていた。普通のトナカイの鳴き声とは違う。まるで、大砲の発射音のような爆音を放ちながら、天に向かい吠え立てる。炎に照らされたその体はルビーのように輝いている。恐らくは、ほぼ全てが返り血。誰も、奴に怪我一つ負わせることすらできなかった。生き残った一人がそう言っていたのだから確かだ。
 ニコは、ゆっくりとハンティングライフルを構えると、スコープでトナカイの姿を収める。鍛え抜かれた筋肉だ。毛皮の上から、狩りの初心者のニコですらそれが理解できるほどに盛り上がった筋肉。どこを撃てば、一撃で仕留められるか。胴を撃ち心臓を狙うか。頭を狙い脳を吹っ飛ばすか。いや、骨に阻まれるか?銃を撃ったことすらないニコには分からない。

『待ッデイダ』

 その時、トナカイが鳴くのを止めた。

「っ!」

 ニコは咄嗟に引き金を引く。銃声。だが、弾丸はトナカイの頭を貫くことはなかった。トナカイはインファイトのボクサーのように頭を振るうと、弾丸は角の隙間を通り、炎の中のテレビの液晶を破壊した。

「ブオオオオオオオオォォォォォォォ!」 

 トナカイはひと際大きく大きく鳴くと、ノーモーションでニコの隠れていた不法投棄の山へ突進した。成体の雄のトナカイの体重は最高で300Kgほど。だが、ニコの目の前にいるトナカイは5m近い巨体、おそらく5~600Kgの大質量。ニコの隠れている不法投棄の山では、ひとたまりもない。咄嗟に飛び出さなければ、おそらくそれで死んでいた。
 不法投棄の山は爆破でもされたかのように散らばり、辺りの山々を倒壊させてゆく。ニコは、降り注ぐ電化製品たちに押しつぶされないように転がることしかできない。右へ、左へ。テレビを避け、オーブンを避け。

「ブオオオオオオオオ!」

「ガッ!」

 そして、転がる先に待っていたトナカイの前足が、ニコの脇腹を打ち据え、ニコは血を吐きながらゴミの上を転がる。脇腹の痛みを堪え、腕の力で上半身を無理矢理持ち上げ、ニコは奴を見た。

『待ッデイタ。ニゴ』

 炎を背にトナカイは、ルドルフ8世は赤い鼻を輝かせながら僕の目を見た。


2

 サンタクロースのトナカイの名前を聞かれて、全頭の名前を答えられる人は、あまり多くはない。だが、ある一頭の名前だけは知ってる人が多い。赤鼻のトナカイ、ルドルフ。後世で生まれた、9頭目のトナカイ。今や過去の栄光。二度と出番の来ない主役。


『ニゴ。オレ゛ハオ前ヲ待ッデイダ』

 ルドルフ8世は、ブルルと鼻を鳴らしながら、ニコに語り掛ける。頭の中に響くテレパシー。力あるトナカイが、因子を有する者にのみ使えるコミュニケーション。だが、ルドルフの声は濁ってニコに聞こえた。痰でも絡んでいるかのような、不鮮明な思念。他のトナカイたちの声は鮮明に聞き取れたのに。
 ニコは、ハンティングライフルをもう一度構えようとするも、自身の手の中に無いことにこの瞬間気づく。

『探シデルモノ゛ハゴレガ?』

 ルドルフは首を揺らし、角に引っ掛けられたハンティングライフルを見せびらかす。それを、勢いよく首を振り炎の中へ放り込む。十秒ほどでライフル弾が暴発する音が数発響き渡った。ニコが咄嗟に家から持ち出せた銃器は、今おしゃかになったハンティングライフルに、どこにでもあるようなハンドガンが2丁。ハッキリ言って、火力不足でしかなかった。

『コレデ、オレ゛ヲ殺ズノハ無理ニナ゛ッタナ゛』

 ルドルフは、楽し気に鼻を鳴らす。対抗手段無し。その事実を、認めざるを得ない。
 ニコは立ち上がろうとするも、脇腹の痛みに体が言うことを聞かない。苦悶の吐息を絞り出す。内臓に無視出来ぬ痛手。内出血ないし破裂してるか?大きく呼吸をし、痛みを吐き出そうと足掻く。病院に駆け込むなど望むべくもない。

「ルドルフ。お前の目的はなんだ?」

 ニコに出来るのは、痛みに慣れるまで時間を稼ぐこと。ルドルフ8世が何を思い、凶行に到りニコを殺さなかったか。その戯言に付き合い状況を打破するための準備を整える。

『ニゴ。オ前ナ゛ラワガッデルンダロウ?』

 ルドルフは、ニコをジッと見つめた。そこに込められたひどくドロドロとした執着を、ニコは感じ取った。なにせ、まだ十五に満たない生涯の半分近くからの付き合いだ。隠そうとしても、そんなものは看破できる。

『ニゴ。オレ゛ドオ前デ、一緒ニグリズマスヲヤ゛ロウ』

 やはりな。ニコは内心そう吐き捨てた。ニコはルドルフ、ルドルフ8世がどのような境遇だったか知っていた。知っていて手を差し伸べ、失敗し、今に至る。ルドルフが凶行に及んだことを知った時、ああそうか、と。動揺することはなかった。胸の内にすとんと落ちた。だからこそ、即座に追跡をすることができた。

『オレ゛ドオ前デ、一緒ニクリ゛ズマズヲヤロ゛ウ!今ノオレ゛ダチナ゛ラ出来ル!』

 クリスマスをやる。それが単純に集まって七面鳥を焼き、ケーキを食べ、もみの木の下にプレゼントボックスを置くようなことではないのは、誰の目にも明らかだろう。

『サンタグロースのニゴト、ソリヲ引グオレ゛デ!』

 ニコの父親、当代のサンタクロースと、ニコの兄、次代のサンタクロースをバラバラに轢殺したトナカイは、楽し気に未来を語る。


3

 父親が、サンタクロースだということに気が付いたのは何時だっただろうか。父親が毎年の12月24日の夜に家から姿を消している時だっただろうか。父親の下によくトナカイが集まっているのを見た時だったろうか。父親と兄が掌からプレゼントのおもちゃを生みだしていたのを覗き見た時だったろうか。そして…ニコがサンタクロース足りえない事を知ったのは何時だっただろうか。

『これは…』

父親の目線に、哀れみと諦めと安堵が入り混じっていた時のことだろうか?



『ニゴ!ニゴ!ニゴ!オレ゛達ナラ゛出来ル!』

 ルドルフ8世はまくし立てる。オレ達なら出来ると連呼し続け、ニコが色よい返事を返すのを疑いようもしない。その全身をニコの家族の血と肉片で塗れさせて…狂っているとしか言いようがない。
 ニコは、歯を食いしばり立ち上がる。痛みには慣れた。そして、肺いっぱいに空気を吸い込み、口を開いた。

「悪いが、僕はサンタクロースにはならない」

『…………ナンデダ?』

 ルドルフは、酷く困惑したような声色でニコに問う。

「サンタクロースが、父さんが決定したことを覚えているだろう。もう、サンタクロースがプレゼントを配ることはないと」

 父が、サンタクロースが宣言したサンタクロースクリスマスプレゼント配布撤退宣言。それは、全てのサンタクロースに、クリスマスのプレゼント配布業務に携わる人々へ通達された。ルドルフ8世も知っている。何故、その結論へ至ったかの理由も。

「もう、この世界はサンタクロースがプレゼントを配らずとも生きていける。それに、元々配っていたのはヨーロッパだけだったのがいつの間にか海を飛び越えて世界各地に広まって、サンタ一人じゃ限界に来てるのも周知の事実だろ?」

 サンタクロースがプレゼントを配り始めた時代。1000年以上に渡り人々が良く生きるための、貧しくとも明日を生きるための指針足りえた希望。だが、世界はその希望に頼らざるを得ない状況からは、脱し始めているのを誰だって感じ始めている。それこそ、三人の娘が身売りを考え、聖人が金貨を投げ込まなければいけないような時代からは。
 さらにプレゼント配送エリア拡大もサンタクロース廃止論の原因だ。一人の人間が夜通し魔法の力も何もかもを絞り出し限界を超え25日の朝を迎える前に配り終えなければならない。その後は、数ヶ月間はマトモに生活することすらままならないボロボロの状態。それが、人口が増えれば増えるほど悪化するのは想像に難くない。いずれはクリスマスを一回迎えただけでサンタが死ぬことになる。祝祭とはいえ、生贄を捧げる祭りでは断じてない。

「あとは、今を生きる人々が何とかする時代だ。父さんは、そう考えた。兄さんだって、それに同意した」

『ゾレバ、ア゛イツラ゛ノ考エデ、オ前ノ考エジャナ゛イダロウ!ニゴ!』

 ルドルフが吠える。聞きたいのはそんなことではない。お前が、ニコが、どう思っているのか。答えてくれと言い募る。

「…仮に、仮にだ。僕がサンタクロースをやれるとしても、その時はルドルフ、お前の出る幕じゃない。それも、知っているだろう?」

『アア゛知ッデイル゛!知ッデイ゛ルドモ!』

 ルドルフは、地面に落ちていた物を噛むと、それをニコの足元へ放る。それは、ニコの兄が持っていたスマートフォンだった。持ち上げたスマートフォンの画面はひび割れていたが、ルドルフの見せたいものが映っていた。
 画面に映されているのは宇宙ステーションに取り付けられたライブカメラ。太陽に照らされていない地域の、都市の明かりだった。

『街ノ明カリガ!オレノ先祖タチノ仕事ヲ奪ッダ!』

 初代ルドルフがその鼻の輝きでサンタクロースのために活躍した時代。そこから数代のルドルフは活躍できたが、時代が、技術が進むにつれルドルフの血統が活躍することは無くなっていった。ガス灯から電気に。そして今やサンタクロースが行動する地域で、完全な夜の闇に包まれている場所はない。元々が8頭立てで行われていたソリの牽引だ。その上、NORADだの軍関係者すら協力していた今となっては、暗い夜道なんてものがなくなれば輝く鼻のルドルフは、無用の長物でしかない。

「…もう終わったんだよ。クリスマスは」

『終ワ゛ッダ!?イヤ゛始マ゛ッテスラ゛イナ゛イ!オレ゛ノ!オレ゛達ノクリズマスバ!』

 ルドルフ8世は、ルドルフの末裔は、世界へ聞かせるように大きな声で啼いた。

『オレ゛ノ手ガ、声ガ、何モガモガ届ガナ゛イ場所デ勝手ニオレ゛ノ未来ヲ決メラ゛レデ!ゾレデ納得ガデキルワ゛ケガナイ!ニゴ!オ前モゾウダロウ
!?』

 ルドルフを取り巻いていた諸々に、ルドルフ自身が関われたことなど一度もない。先祖がルドルフで、生まれたときからこの鼻だから。最高意思決定機関がサンタクロースで、従うしかないから。
 だが、ルドルフ8世は納得などしなかった。出来なかった。抗って、抗って、抗いぬいてその果てに心折れたのならば、納得ができたのかもしれない。だが、一度も抗うことすら許されずに黙して従えと無言の圧を与えられ、それに納得できるわけがない。だから、ルドルフは…

「…………」

 自身に語り掛け続けるルドルフを、ニコは冷めた目で見ていた。
 数十分も前に目にした惨劇は、当たり前だが色鮮やかにニコの目に焼き付いている。まるで車でも突っ込んだかのように壊れた三人家族の住まう家の壁。燃え盛る家の中に転がるバラバラになった父と兄の残骸。そして、家のすぐそばで大量に殺されていたトナカイたち。瀕死の重傷だが生き残ったトナカイたちは、ニコに語る。

『ルドルフが!ルドルフ8世が!』

『あいつがサンタクロースを殺した!』

『あの恩知らずめ!サンタクロースの庇護があればこそこの世に生を受けられたものを!』

 トナカイたちは、ルドルフ8世が凶行に及んだ原因の一つたちは口々にルドルフへの怒りを、憎しみを、そして鉄槌を求める声を上げる。

『ルドルフ8世を殺せ!殺すんだ!』

『サンタクロースを殺しておいて、逃げ延びるなんて許されない!』

 自分たちが、原因であることにすら気づかないけだもの達は無責任にニコを囃し立てる。

『殺せ!殺せ!赤鼻のルドルフを殺せ!』

『殺せ!殺せ!サンタ殺しの愚かなトナカイを殺せ!』

『『『『お前が最後に残されたサンタクロースの後継者なのだから!!!!!』』』』

だから、ニコは…


『ニゴ!答エロニゴォ!』

 ルドルフはニコに叫び続ける。寄る辺なき子供のように、トナカイはサンタクロース足り得る子供に問いかける。必要としてくれ。捨てないでくれ。共に生きてくれ。それだけで満足なんだと。だが、ニコは。

「お前とクリスマスなんかやるわけないだろうがクソッタレトナカイが」

 ニコは、最初からルドルフ8世を殺すために、ここへ来たのだから。

『ニ、ゴ…?ドウジデ…?』

 ルドルフは、信じられないというように目を見開き、たたらを踏む。燃え盛る不法投棄の山にぶつかり毛皮が、肉が燃えようともルドルフは気づかない。

「そもそも、僕の家族を殺しておいて、お前をソリ引きとして起用するわけないだろう出来損ないの血統め」

─あんな鼻を周りに晒して恥ずかしくないのかね?俺なら恥ずかしすぎて切り落としちまうね。

─新参者がでかい面をしていた罰さ。早く野垂れ死にしないかな。

「そもそも、お前は生まれたこと自体が間違いなんだよ」

─これはこれはルドルフ卿…今日もかつて使われていた鼻が輝いていますな…ククッ…

─何が卿だよ貴族気取りめ。自分じゃマトモに番いも見つけられないゴミが生きていられるのは誰のおかげだと思ってんだか…

─ルドルフの血統を受け継いだ子供にはあの鼻が遺伝する。呪いだよあんなのは…

─自分の子供にあの鼻があったらと思うとゾッとするわ。あんな奴のところには好き好んで誰も嫁がないわよ…サンタクロースの命令でもない限り…

「恥知らずの裏切り者。恩を仇で返すことしかできない役立たずめ」

『止メロ…止メデクレ…!』

─今まで、先祖代々「サンタクロース」に仕えてくれて感謝する。これからは、自由に生きてくれ。

『オ前モ゛…オレ゛ヲ…裏切ルノガ…?』

─ルド!ルド!

「お前となんか、出会わなければ良かった」

『ニゴォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 ルドルフの絶叫が、トナカイの鳴き声が人間の絶叫へと変わった。ルドルフの体が、サンタクロースの血肉を浴びた獣の体がミシミシと音を立てながら変わる。蹄が割れ、そこから肉が、指が芋虫のように伸びる。トナカイの顔が人間の、30代前半の男の顔へと変貌してゆく。
 やはり、父さんと兄さんの生き胆を食っていたか。ニコは当たって欲しくなかった予想に肝を冷やす。生き胆を食らえば、相手の長所を自分のものに出来る。古い童話でも描写されているような、古い民間信仰。だが、相手がサンタクロースで、魔法の力が関わるなら、それは迷信ではなくなる。

「ニゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!!!」

 2mを優に超える角を生やした大男が、サンタクロースの力を簒奪したトナカイが、サンタクロースの子供へと突進を開始した。


4

『ニコ!受け止めるんだ!』

『う、うん!』

『…よし。何事もなく生まれたな』

『ありがとうございます…私たち番いの出産に立ち会ってくれて…』

『ルドルフの血統の出産に立ち会うのは、サンタクロースの務めだ。私の長男も、風邪をひいてなければ立ち会わせるはずだったんだが…』

『と、父さん!この後どうしたらいいの!』

『敷き藁の上にゆっくり置くんだ。足を無茶な方向に曲げないように…そう、そうだ』

『ふう…これで大丈夫だよね。初めまして、ルド。僕はニコ』

 それは、過ぎ去った日々の一幕。もう二度と戻らぬ、ある春の日の事。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 ルドルフ8世は、絶望の絶叫を上げながら、ニコへと突進する。ニコはレンジバッグからハンドガンを取り出すと、ルドルフへ乱射する。だが、ルドルフの血を纏った毛皮はサンタクロースの服へと変わり、でたらめなまでの魔法の力が、唯の弾丸を弾き飛ばす。

「ニゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」

 ルドルフの拳は空を裂く音を響かせながら、ニコの頭に振り下ろされる。ニコがその一撃を躱せたのは、ただの幸運だった。足元のゴミが壊れて重心が後ろに引っ張られ尻もちをついた瞬間、ニコの眼前を殺意を込めた拳が通り過ぎ、ニコの足元を爆ぜさせた。ニコはしがみ付くことすらできず舞い上がり、ゴミの山に不時着。全身に、割れたガラスや金属片が刺さる。痛みを食いしばり立ち上がる。ルドルフの次の攻撃が迫っているからだ。

「ドウジデダア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 ボコボコとルドルフの掌から、ぬいぐるみが大量に湧き出すと、ルドルフは一度その場で回転し、腕をまっすぐに燃え盛る炎の山に突き刺し、ぬいぐるみに火を灯す。それを何度も、何度もニコ目掛け投げつける。
 降り注ぐ炎。ニコは右往左往して避けることしかできない。レンジバッグは投げつけられたぬいぐるみに当たった瞬間捨て、マガジンの破裂から身を守ったせいで失った。

「オマエダゲハ!オマエダゲハアアアアアアアアアアアアア!」

 ルドルフが空の手を巻き上げると、地面から大量の鋭いジンジャーブレッドがルドルフの爪の延長線上に飛び出す。クッキーであろうとサンタクロースの力で生えたクッキーは鋼鉄にも勝る強度。ニコの全身をずたずたに切り裂き、その上で数本のジンジャーブレッドに腕が貫かれ、磔となる。

「ニゴォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!オ゛レヲミロ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」

 ルドルフがニコの肩を掴み、ジンジャーブレッドをへし折りながらニコをゴミの地面に押し倒す。肩の骨が握力で砕かれ、それ以外にも体中で骨が砕ける音を、ニコは聞いた。
 勝てない。今のニコでは、ルドルフには勝てない。

「ニゴ…!ニゴ…!ニコォ…!」

  ルドルフの声から狂気が怒りが、殺意が薄れ理性の色が差す。ニコの顔に、冬なのに水滴が数粒落ち、そして流れ落ちた。

「どうすれば…!どうすればお前はサンタクロースになってくれるんだよ…ニコォ…!」

 ルドルフは、ニコに問う。両者ともにわかっていた。これが最後の問いになると。否定しようと受け入れようと、どちらだろうと最後になる、と。
 そして、ニコだけは理解した。あと数秒後に、最後のチャンスが来ると。

「…何をやったところで、僕がサンタクロースになるわけがないし、お前をソリ引きの先頭にするわけがないだろ」

「…そうか」

 ルドルフが、小さく応えると彼の口が大きく引き裂けた。まるで、砂に隠れる魚が小魚を捕食するように大きく開かれ、拡張された口。ニコを捕食する気だ。彼の父と兄の生き胆を捕食した時とは違う。その全てを取り込む。

「…さようなら、ニコ」

 そして、ルドルフの口が一瞬にしてニコの全身を包んだ。瞬間、轟音と共に、ルドルフの脳天に大きな風穴が開いた。辺りに散らばる脳漿、肉片。ルドルフの巨体がゆっくりと倒れ、口に覆われていたニコが外にまろびでる。
 ニコの手には、マグナムが握られていた。先ほどまでどこにもなかったはずのマグナム。そこから放たれた弾丸が、ルドルフの命を奪ったのだ。

「…ハァ…ハァ…………僕が、サンタクロースになれるわけがないんだよ」

 何より、口に覆われる前と違うのはニコの纏う服。ニコの服は黒いサンタクロースの服だった。その黒いサンタの服は、淡い光に包まれたかと思ったらばらけ、先ほどまでニコの着ていた服に戻った。

「…なれるわけないだろうがよ…僕が…黒いサンタクロースが、子供に与えるのは罰なんだから…」

 ニコは、手からマグナムを取り落とすと、力なく倒れた。落ちたマグナムは光の粒子となって消え去った。

 黒いサンタクロース。悪い子供に罰を、石炭を与えるサンタクロース。あるいは、鉄を用い血の粛清を与える悪魔。それが、ニコだった。だが、ニコが出せるのは石炭ではなく銃だった。
 それを知った父と兄は、折れた。世界が求めるのが、石炭ではなく銃と知って。親が求める子供への罰が、銃だと知って。救いようがないと、心が折れた。サンタクロースにはもう、何もできないと決断してしまった。

 ニコは知っていた。ルドルフを追い詰めたものは多く存在した。だが、トドメを差してしまったのが自分だということを。自分がいたせいで、父はクリスマスを辞めることを決断してしまった。自分が。どうすることも出来ない何かのせいで、全てが。

『オレ゛ノ手ガ、声ガ、何モガモガ届ガナ゛イ場所デ勝手ニオレ゛ノ未来ヲ決メラ゛レデ!ゾレデ納得ガデキルワ゛ケガナイ!ニゴ!オ前モゾウダロウ
!?』

 ルドルフの言葉は、ニコの言葉だった。自分の手が届かない場所で、人々は悪を求め。自分の声が届かない場所で、人々は死を求め。自分の何もかもが届かない場所で、ニコは子供を処刑する悪魔にされてしまった。

「…僕たちはどうすればよかったんだろうな。ルド」

 どうすれば、この事態を回避できた?
 ルドを軽んじるトナカイたちに、もっと強く否定すればよかったのか?だがサンタクロースではないニコの言葉を、トナカイたちは聞き流すだけだった。
 クリスマスへの希望を募らせ、非合法のサプリを飲んでまでトレーニングを重ねるルドを強く止めればよかったのか?だが、ニコが強く否定したら、ルドは自害しただろう。
 父がもう少しルドに気を使うよう進言すればよかったのか?クリスマスが近づくにつれ鬱の症状が垣間見える父に、何を言えばよかったのだろう。

 いくら考えようとも、どうすればよいかはわからない。だが、第一にポイントオブノーリターンに足を踏み入れたのは、ルドだった。ニコの家族を殺した。だから、こうなるしか、無かったのだ。

 遠方から、犬の鳴き声が聴こえる。警察犬だろうか。恐らくルドかニコを追ってきたのだろう。この場に転がるルドを、角の生えたサンタクロース衣装の大男の死体を見たら、警察はどう判断するだろうか。

「……………」

 ニコは、空を仰ぎ見る。今は、何も考える気にはなれなかった。辺りには炎が迫っている。だが、これからのことを考えるのが億劫になった。

『ルド!大きくなったら、一緒にクリスマスをやろうね!』

『うん!』

「…ルド、僕は…」

 ニコは、眼を閉じた。今はただ、クリスマスの夢が見たかった。何も知らない頃に夢見た夢を。
 辺りにはただ、肉と夢の残滓が焼ける臭いだけが漂っていた。


《完》