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偏見や差別とはどこから来るのか

誰だって他者に対して偏見を持っていたり、どこか差別的な目でみることがあるだろう。それは何故なのか、どこから偏見と差別はやってくるのだろうか。

自分なりの答えだが、それはきっと``恐怖``から来るのだと思う。

人は、自分とは違う``何か``を持っている者に直面したとき、それが自分の感性に合っていれば受け入れるし、合わなければ偏見をし、差別をするのだろう。

もし``それ``を受け入れてしまったら、今まで生きてきて自分の中で構成された常識を否定されることになるからだ。

例えば、この世界はほとんどが男女二元論で回っている。そこで、この世には男と女しかいないと思っている人の元へ、男でも女でもない(もしくは両方である)と主張する者が現れたとする。すると、男女二元論者からするとそれはあり得ないと思うだろう。だってこの世には男と女しか存在しないのだから。事実、どちらでもないという人はいるわけだが、二元論者の立場になって考えてみると、その事実を受け入れてしまったら今までの自分の常識が否定され崩されることになるだろう。その自分の中の常識を崩されることが恐怖につながっているのではないか。

これは結構自分にも当てはまっている。

普段から仲良くしてるような学生時代からの友達とかは別だが、私は男性嫌悪をしてしまう。男性と話すのも嫌だし近づきたくない。男性がレジをやっていると他のレジに並んだりと普段から極力男性と関わらないようにしている。

私が男性嫌悪をする理由は書けば長くなるのでそれはまたの機会にするが、やはり嫌悪する理由の根底にはそれを受け入れると自分の常識を否定されるのではという恐怖がある。

その恐怖を打ち消す方法とは、もう少し自分の視野を広げることにある。色んな知識を得てもっとたくさんのことを受け入れれるようにしていかなくてはならない。ショーペンハウアーは言った。

``誰もが自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている``

ほんとにそうだと思う。今の自分の限界を知ることも大切で、それをしっかりと受け止めたうえでさらに視野を広げれるように努力していきたいものですね。

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