赤ちゃんSF物語
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「たそがれ泣き、ってあるじゃない?Kはいつ始めるのかなって。
はやく始まらないかなって、私楽しみにしてるの」
面会中のご家族との、他愛ない会話のひとコマだった。
しかしその直後、彼女から耳打ちされた言葉に、
わたしはたちまちSFの世界に惹き摺り込まれてしまった。
「…あれはね、うまれ故郷の星に、日報の交信をしてるのよ」
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話してくれたのは、Kくんのママ。
30歳代半ば。妊娠中に、がんが見つかった。
ステージは重かったが、彼女はがんと闘いながら、
お腹に宿った命をはぐくみ続ける道を選んだ。
少しだけちいさく生まれたKくんは、わたしの勤め先である新生児集中治療室に入院となった。
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彼女がKくんの面会に来ると、病棟の空気がパッと明るくなった。
話す相手によって巧みに話題を選び、話題によってさまざまな引き出しを次々と繰り出してくる、たいそうアタマの切れる素敵な女性だった。
そんな彼女とわたしがこっそり交わしたSF物語を、
ここで少しだけ紹介したいと思う。
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赤ちゃんは、地球外生命体だ。
地球上の人間なんかよりもっとずっと高いレベルの能力を持った星から派遣されてきている戦士たちだ。
「子宮」という宇宙船の中に宿り、10ヶ月温存される。熟したところで、満を持して「生まれる」。
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この世に「生まれた」後、赤ちゃんたちは必死に地球環境に適応しようと
努力する。しかし、いろいろな要因に阻まれ、うまく地球環境に適応できない赤ちゃんもいる。そんなとき、人間たちは自分たちが開発したさまざまなデバイスを駆使して、赤ちゃんをなんとか生かそうとする。
努力の甲斐なく、地球上の環境に適応しきれずに、早々に散ってしまう戦士もいる。彼らはいったん、故郷の星に帰還することになるだろう。その後は、地球への再デビューへ準備を進めるのか、あるいは他の星を目指すのか、はたまた故郷の星に残り、後進の育成に尽力するのか、未知は星の数ほどある(かもしれない)。
いっぽう、地球上生命体としての生命活動を確立させた赤ちゃん
たちは、能力水準を「地球上の人間」レベルまで下げるため、日々
努力する。
地球上の人間は、わけのわからない独自の言葉をしゃべりかけて
くるし、地球上の人間としての「あるべき」作法なんかも伝えてく
る。なんとか持ち得るストラテジーを最大限発揮し、人間らしさを
習得する訓練の中で、徐々にレベルを下げていく。
その後も赤ちゃん戦士はすくすくと成長を続け、順調にレベルを
落とす。そして、赤ちゃんたちが地球上生活への適応において重要
な通過儀礼となるのが、冒頭に挙がった「たそがれ泣き」である。
その激しさゆえ、ときに世のママ・パパが手を焼く、あの「泣き」。
その実、赤ちゃん戦士たちの、地球上生活としての活動報告なのだ。
うまれ故郷の星に設置されたアンテナまで情報がしっかり届くよう、
地球上のいたるところから、今日も声を限りに「日報」が送信され
ている、というわけだ。
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無常にも、想像以上のスピードで彼女の身体をむしばんでいく病
魔に、さすがの彼女もしばしば弱音を漏らした。
ある夜、ひとりで面会に来ていた彼女の肩が小刻みに震えていた。
「K…せっかくKが命懸けでママのところに来てくれたんだもの、
ずっと一緒に暮らしたいよ…パパとにいにと、ずっとみんなで楽し
くしく生きたい…」
ぐっすり眠るKくんの頬を優しく撫でながら、彼女の頬がキラリと光った。
ふいに彼女は私の気配に気づき、パッと振り返った。
今までに見たことのない、底深い、静けさとさみしさの焔を湛えた瞳だった。
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「ねぇ看護師さん。赤ちゃんたちのうまれ故郷の星って、どんなと
ころかな」
日報を受けとるためのアンテナは必須ですよね、と応えると、彼女は少し微笑んだ。
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いつか、赤ちゃんたちのうまれ故郷と、地球との往復切符ができる日が来るんじゃないか。
わたしたちは、そんな途方もない未来の夢を交わした。