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高校生発 ロールモデルをみつけよう!#17 クフウシヤ 大西威一郎さん

                       取材日:2023年2月19日
                         編集長:佐藤菜々香

「クフウシヤ(読み:くふうしゃ)」は、神奈川県相模原市と福島県南相馬市に拠点を置くロボットベンチャー企業です。「まだ世の中にないロボット」の開発を目指し、お客様のニーズに答えることができるような、自律移動ロボットや協働ロボットを中心に事業を展開しています。

今回は、「株式会社クフウシヤ」代表取締役社長の大西威一郎さんにお話を伺いました。
取材中、実際に開発しているロボットを見せてくださり、具体例やジェスチャーを交えてお話してくださるなど、編集部員が理解しやすいように気にかけてくださる大西さん。取材の合間にはご自身のお子さんとの接し方を私たちに逆取材するなど、大西さんとの時間は終始穏やかな雰囲気に包まれていました。
大西さんのこれまでの人生とこれからのビジョンについて話していただきました。

大西さんを囲んで取材に伺った編集部員

〈個性的?な大西さんの幼少期〜大学時代!〉

                           (松崎里帆子)
大西さんは1977年12月29日に神戸で生まれました。小学六年生の夏までを神戸で過ごし、小学六年生の二学期に神戸から横浜に転校します。中学高校時代は大好きな音楽に熱中し、高校ではバンドを組み、BOOWYやユニコーン、MR.BIGやExtremeなど、日米様々なバンドのコピーをしていました。私も音楽が好きで、大西さんと好きなアーティストが同じだったので、意気投合して、とても盛り上がりました。「よく知ってるね」と言った大西さんの驚いたような笑顔が印象的でした。そんなロック好きな反面、小学五年生のときから歴史が大好きだったという大西さん。司馬遼太郎の『坂の上の雲』や 『峠』などの渋い作品を好み、「日本とはなんだろう」とよく考えていたと話してくれました。高校生の私たち年代でさえ抵抗感を覚えがちな司馬遼太郎の小説を、小学生の時から好んでいたという大西さんに、取材陣一同空いた口が塞がりません。

しかし、受験も控えた私たちが気になるのは、やはり勉強面。難しい本も好きとの話から「勉強も好きでしたか?」と聞くと、大西さんは苦笑い。「勉強大嫌いだったんだよね。日本史とか文系科目は好きだったけれど、成績は全然だよ。」とのこと。ロボット企業を立ち上げた大西さんが完全な文系であったことに驚きました。しかし大西さんは勉強面について、「人間は学歴や偏差値だけじゃない。偏差値と頭の良さは違う。学歴も大切だけど、それは勤勉さの証明の一つに過ぎないよ」と明るくおっしゃっていました。その言葉は、進路に悩む私たちの心に、とても響きました。

そんな高校生活を経て、大学は明治学院大学に進学した大西さん。どうやって大学を決めたのかを伺うと、ちょっと恥ずかしそうに、「なんとなく、明るくて楽しい学生生活を送れそう。面白くて気の合う人が多そうな気がする。そんなふんわりした理由なんだよね」とのこと。そんな大西さんのキャンパスライフは、とても充実していたように聞こえました。サークルでは、メンバー100人超えのテニスサークルの部長を務めますが、腕前は…。それでも部長に選ばれるという大西さんの人柄が、ありありと伝わって来ました。友達は多く、奥様も大学時代のご友人の紹介で出会ったそうで、仲の良さが伺えます。

大学の友人たちと卒業式の一枚_向かって右から2人目が大西さん

〈大西さんの挑戦&ベーシック期〉

                            (只野千聡)
大西さんにとって大学卒業後の生活は、「今」の大西さんのベースとなる時期でした。就活の時期、漠然と起業について考えていた大西さんは、「色んな経験を積んだほうが将来のためになる」という思いがありました。そして、大学を卒業した2001年から、
・2001~2004…ヤマト運輸グループのシステム会社で物流と情報と通信のアウトソーシングにかかわる仕事
・2004~2005…ホテルでの勤務(接客業からレストランまで幅広く担当)
・2005~2008…ITシステム会社でUNIX製品などの技術サポート

このように「提供する側」から「サポートする側」まで様々な経験を積んだ大西さん。

私は、「大学卒業後=就職」というイメージが強かったので、「なぜこのように職を転々とするのか?」「職を変える勇気はどこから出てくるのか?」など色んな疑問も浮かびましたが、これこそがベンチャー企業を立ち上げる大西さんの行動力の現れなのです。取材中、大西さんは私たちの取材のために事前に分かりやすいスライドを用意し、質問には積極的に答えてくれました。さらには私たちに『将来何になりたい?』『娘から見た理想のお父さんってどんなもの?』などの質問を投げかけます。興味があるものには立場・年齢関係なく自ら突き進んでいく方なのだなと感じた時間でもありました。

また大西さんは、「大学卒業後の経験は今の自分の土台となった」と話していました。この時期のことを話す大西さんを見ているだけでも大西さんにとって重要な時期だったことが伝わってきました。社会に出た時には、それまでの経験や学びが役に立つのだなと、大西さんの話を聞きながら、自分の進路に対する考え方にリンクする部分がありました。時折私には、大西さんが「進路担当の先生」に見えた時間でもあります。

〈挫折を乗り越え今へ〉

                            (高野真帆)
ITシステム会社を辞めて、2008年から1年間、法政大学専門職大学院イノベーション・マネジメント専攻(MBA)で学んだ大西さん。
大西さんのお父さんが2009年から飲食業に挑戦することから、マネジメントを学んだ大西さんも一緒に働きました。そして、焼きそば店・ビストロ・寿司店の3店舗を開業します。コンセプトは「日本料理の技術を使う」こと。しかし、開業から3年で、ビストロ以外の2店舗は閉鎖となります。2店舗を閉鎖するという大きな挫折を味わった大西さんでしたが、「苦難こそ我が師」という言葉を何度も胸に刻み、気持ちを回復させます。私はこの言葉を聞き、大西さんの挫折をしながらも、自分を奮い立たせ前へ進もうとするしなやかな精神に感銘を受けました。またその当時を振り返り、大西さんは「今思うと、MBA時代に学んだ、”concept=needsでなければならない”が腹落ちしていなかった。お客さんのニーズに合致したコンセプトを設定することが大切」とご自身の反省点をきちんと見つめていることが印象的でした。

気持ちを回復させてきた大西さんは、2012年から相模原市産業振興財団の中小企業診断士として働き、その後、神奈川県「さがみロボット産業特区」のコーディネーター役としてロボット産業に関わるようになります。コーディネーターとして仕事をしていく中で、アドバイスをするよりも自分でやってみたいという思いが強く芽生え、2014年にはついに自らロボットビジネスに挑戦し、クフウシヤを立ち上げました。今でも株主は100%大西さんですが、当時はお金が無く、奥さんから一時的にお金を借りて資本金を用意して会社を設立するなど、大変な日々をおくっていました。このようなエピソードを聞きながら、やりたいと思ったことをきちんと行動に移すことのできることは大西さんの大きな強みだと感じました。

〈クフウシヤの方針_福島とともに…〉


                            (田中由唯)

文系出身ながらロボット開発の経営者である大西さんにとって、ロボットを開発していく分野は理系のスタッフの専門性が発揮される場であると認識しています。だからこそ、経営者として理系が活躍できる場を作りたい。会社の調整役やおもしろそうな仕事を受けたいなど、文系の視点で捉える姿勢が新鮮でした。

まだ世の中にないロボットを創りたいとの想いでロボットの開発会社「クフウシヤ」を起業した大西さんからクフウシヤの方針を三つ教えていただきました。

1つ目は、全ての分野への広い知識を持つ
ロボット開発は大きく分けて、①ソフトウェア②電気③メカの3つの開発が必要です。大手などは各分野にスペシャリストがおり、自分の分野に特化した仕事をします。クフウシヤは、ベンチャー企業のためエンジニアは自分の得意分野以外の全ての分野についても広い知識を持つことを求められます。このことは、ロボット開発にゼロから百まで関わることに繋がっています。

2つ目は、大手企業が作りそうなロボットは作らない。
ベンチャー企業のクフウシヤは、大手企業より開発資金と人数に劣るという点があります。勝てそうにない競争相手に挑むよりも方向性を変えてライバルを増やさないようにしています。「大手企業と競い合うよりも、まだ、誰も作ったことがないロボットを作りたい」と楽しそうに話す大西さんです。

3つ目は、人生も仕事も思い通りにならないのが当たり前。
うまくいかない状態をどうやって克服していけるのかとの疑問に大西さんは、困難なときこそ楽しく明るくそして前向きに工夫していくとの信念を話してくれました。その姿勢は今の不透明で不確実な時代にとって必要なことであると思います。そして現在、ロボットの特区となった南相馬に事務所を構えている大西さん。南相馬では復興の助けになるようなロボットを開発したいと話します。今回お話を聞き、クフウシヤで作られたロボットが福島で活動している姿を思い浮かべとてもワクワクした気持ちを感じました。

〈クフウシヤとは?〉

                           (但野むつ美)

「ビジネスなんて、思い通りにいかないのが当たり前。」
大西さんはこのコンセプトを元に2014年にクフウシヤ本社を相模原市に立ち上げ、2019年に南相馬市に新たな事務所を置きました。

クフウシヤではソフトウェア開発の技術をコアに自律移動ロボットの試作開発や受託開発を行っています。「まだ世の中に存在しないロボットをつくる」べく、15名の社員とともに開発を続けるベンチャー企業です。クフウシヤは、他の企業がどれか一つに専従するであろうソフトウェア・電気・メカの技術を融合して3つとも開発していることも大きな魅力です。

クフウシヤの研究室を見学させていただくと、早速たくさんのロボット達が私たちを出迎えてくれました。その中にはお掃除ロボット「Asion」の姿も。Asionは実際に南相馬市のホテルや多目的ホールで使用されている業務用ドライ掃除ロボットです。クフウシヤの大きな開発のひとつとも言えます。そして、もうひとつの大きな開発である「階段昇降ロボット」は特許登録済のロボットです。このロボットの特徴は階段昇降はもちろん、階段を掃除することもできること、自立移動が可能なロボットであること、そして、南相馬市内の工場で作られた部品が使われていることです。以前、私たちが取材に伺ったタカワ精密さんが作った部品も使われているのだとか。まさにMade in 南相馬のロボットですね。

この「階段昇降ロボット」にはクフウシヤと南相馬の繋がりがたくさん詰まっていました。「ビジネスなんて、思い通りにいかないのが当たり前。」と明るく前向きにクフウするクフウシヤ。もしかしたら南相馬市のどこかでクフウシヤのロボットと会えるかも?と私たちをワクワクさせてくれました。

〈大西さんの考える浜通りと南相馬の魅力。そして未来へ〉

                            (西内春満)浜通りに拠点を構える工業系の企業は年々増加してきており、2022年時点では、なんと73社が浜通りに集まっています。その中には“ほりえもん”という愛称で親しまれている堀江貴文さんが代表を務めるインターステラテクノロジズ株式会社や、2021年7月に静岡県で起きた熱海土砂災害での迅速な対応により捜索用地図の作成に大きく貢献した株式会社テラ・ラボなどがあります。
その73社のほとんどが、工場を自社で持たない、いわゆる“ファブレスベンチャー企業”です。これは、全国的に見てもかなり稀であると言えます。私もそれを聞いて、驚きを隠せませんでした。
なぜ浜通りにはこんなに多くのファブレスベンチャー企業が集まるのでしょうか?
私たちからの疑問に大西さんはその理由は3つあると言います。

1つ目は、実証実験のしやすさです。
大西さんは、以前神奈川県相模原市で実証実験をする許可を取る際に、その建物のオーナーや、管理者、警備会社にたらい回しにされ、苦労しました。一方、2023年2月9日に福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズで、階段昇降ロボットの実証実験を行った際には、福島イノベ機構の職員の方が、事前にスパリゾートハワイアンズに話を通し、実証実験をする際に必要な手続きの主要な部分を支援してくれるなど、大変な調整手続きを快く引き受けてくれました。開発は、"トライアンドエラー"の繰り返しです。地域ぐるみでの協力そして実証実験をしやすいという環境は、工業系の企業にとってはとても魅力的ですね。

2つ目は、ものづくりがしやすいことです。
浜通りには、金属加工や樹脂加工、回路設計などの工場を持ち、高い技術力の会社がたくさんあります。そのため、自社で工場を持っていないのに新しいことに挑戦していくファブレスベンチャー企業でも、ものづくりのコラボレーションがしやすいのです。

3つ目は、支援制度の充実です。
現在、浜通りでは産業の発展から復興を目指す“福島イノベーションコースト構想”という国家プロジェクトを進めています。そのこともあり、国や自治体、金融機関等の心強い支援制度がたくさんあります。私が思いついたのは補助金だけでしたが、それ以外にも採用支援や、製品のPRなどの幅広い支援を受けられます。また、大西さんは2022年4月に階段昇降ロボットに関する特許を取得しました。その当時、特許取得について何も分からなかった大西さんに、福島県の職員の方や弁理士の方が丁寧に一から教えてくれ、膨大な資料作りを助けてくれたといいます。

以上3点は大西さんが語った浜通りにファブレスベンチャー企業を惹き付ける理由です。それ以外にも大西さんは、南相馬市の魅力を熱く語りました。
大西さんは、小・中学校への講演や、南相馬ロボット産業協議会の会合への出席など、地域の人々との交流を大切にしています。交流を通して親交をもった南相馬市の方に嫌な人は一人もいないと聞き、嬉しくなりました。

少し余談ですが、交流を大切にしている大西さんは交友関係がとても広いのです。特に、以前取材させて頂いた株式会社タカワ精密の渡邉光貴さんとは仲が良く、「昨夜も一緒に晩御飯を食べたんだよ」と取材中にもその仲の良さが垣間見え、年上と知りつつ大西さんを微笑ましいと感じてしまいました。仲を深め、仲良くあり続けるにはメリハリが大事だと大西さんは語ります。昼間は真面目に仕事の話をして、夜は仕事の話を抜きにして楽しくわいわいと。それが大西さんなりの交友関係のコツです。
南相馬の魅力を私たちに伝えてくれる大西さんは、浜通りは、有名な秋葉原や渋谷、または世界的に有名なシリコンバレーよりも優れているとも話します。秋葉原や渋谷、シリコンバレーではソフトウェアをメインに扱っています。一方、浜通りはソフトウェアだけでなくハードウェアも両方をメインに扱っています。その点では確かに秋葉原や渋谷、シリコンバレーよりも優れていると言えるかもしれません。現在、最先端の技術が集まっており、日本中から注目されている浜通りには、情報も人脈も仕事も集まっています。もしかしたら、"Made in 浜通り"のものが日本中、引いては世界中に広まるのも夢ではないかもしれませんね。

〈高校生へのメッセージ〉

                     (佐藤菜々香・猪狩ひより)
大西さんが大切にしている言葉や考え方、高校生だった当時の大西さん自身に今、かけたい言葉を教えていただきました。
◆将来の夢と仕事は違っていい
ー皆さんの将来の夢は何ですか?ーとの問いに対して、看護師、地方公務員、プログラマー、システムエンジニア、保育士、薬剤師、栄養士、…などの職業を思い浮かべる方が多いと思います。大西さんに問われ、私も職業を思い浮かべました。

「夢と仕事は違ってもいい。『夢』とは、自分の好きなことややりたいこと。『仕事』とは、人の役に立つこと、人に喜んでもらえることだと思う。『夢』と『仕事』の両方を大切にすることが、楽しい人生を送ることにつながる。」
これはエアレース・パイロット/エアロバティック・パイロットの室屋義秀さんがいった言葉です。

大西さんがこの言葉を知ったときの想い、そして今の私たちへのメッセージを伝えてくれました。
「この言葉を聞いたとき、夢を叶えるためには、わくわくすることを見つけることが必要だと感じました。高校生時代の私(大西さん)には、自分にとってのわくわくすることを見つけられずにいました。人に迷惑をかけないことが大前提ですが、自由にやりたいことに向かって一生懸命に挑戦する気持ちを大切にしてほしい。そのためには、楽しい未来への勝手な思い込みを自分の中で持つことが大切です。『自由にやりたいことに突き進む』ことは、楽しくて前向きな気持ちになるための一つの方法と考えます。」

「自分でやると決めたことでも、周りの人から「無理ではないか?」「やめておいたほうがいいよ!」といわれることもあります。それでも、他の人の意見に左右されることなく、自信をもって自分の本当にやりたいことに挑戦し続けてほしいです。そのためにも、なによりも大切なのは、当たり前の日常です。家族との関わり、心身の健康、感謝の気持ちを常に大切にしてください。」

大西さんから高校生の時の自分へ伝えたいことを伺いました。

◆夢を掴むチャンスは必ず誰にでも数回はまわってくる
皆さんはこの言葉をどう捉えるのでしょうか。当然、人によって考え方は違っていて良いと思います。私は、チャンスは自分で掴みに行くものだと考えていました。そのため、機会を逃してはいけないと焦りを感じることも少なくはありませんでした。この言葉を聞いて、積極的に行動するのも大事だけれど、受け身の姿勢も時には大切なのかもしれないと思いました。様々なチャレンジを重ねてきた大西さんは、次のように語ります。

これまでたくさんの人をみてきて、誰にでも平等にチャンスは回ってくると感じています。そのチャンスを最大限に生かしてほしいですね。たとえ、うまく行かなくても落ち込む必要はありません。次にできればいい。大久保利通はこのような言葉を残しています。「最善を得ざれば次善を、次善を得ざれば、その次善を」次へ、次へと、気持ちを切り替えていくこと。大切なのは瞬発力よりも持続力だと思います。何事も放っておくと、悲観的な見方をしてしまうものです。自分で意識すれば、物事をポジティブに捉えられるようになります。「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。」自分次第でモチベーションはあげられると考えています。あきらめないで行動することで見えてくるものもあるはずです。

◆思いやりの心をもつ人間であれ
「情けは人の為ならず」という言葉があるように、人への親切は必ず自分に返ってきます。また、人の痛みを知ることで、思いやりの心を持つことができるでしょう。思いやりを持っていると自然と周りの人も応援してくれるようになります。味方が多いほうがいいですよね。もちろん、感謝の気持ちも大切にしてほしいです。

〈編集後記〉


文系、理系関係なく自分が出来ることは何かと自分自身に向き合う姿が印象的でした。
ありたい姿に向かって持続的に取り組むことをこれから大切にしていきたいと思えた時間でした。
大西さん、本当にありがとうございました。

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