僕の漫画の主人公第6話~一番楽しい夏だった

→前のお話を読んでいない方はこちら:https://note.com/asu_name_dream/n/n7c8164e89fe4

「ええ?がっかり…!」
彼女は僕の方をみていきなりそう言った。
「もっとイケメンかと思って期待してたのにただのでぶじゃない。道理でみつからないわけだ。エマ、かっこいい男子しかさがしてなかったから…。」
僕は、自分の容姿が攻められることよりも、いくらハーフとは言え、彼女がものすごく流暢に、しかもなんの問題もなく日本語を話していることに対して、かなり驚いていた。顔はアメリカ人だから、アメリカ人のふりをしている日本人というわけではなさそうだ。だが、どうして彼女はこんなにも日本語を話せるのだろう。家で片方の親と日本語でしょっちゅう話でもしているんだろうか。日本に留学に来たと言っていたが、勉強をする必要などないのではないだろうか。会って早々に、僕は彼女に苦しめられた。
「あのさ、質問していい…?」
「なに?」
エマはさっきの甲高い声とは裏腹に、ロボットみたいな声で答えた。
「きみってほんとにアメリカ人?」
「あら、英語で話かけてやろうか?Are you kidding me? I'm really American….」
そのあと彼女がなんと言ったのかは、まったく聞き取ることができなかった。授業で聞いたことのないほどのスピードの英語だったし、聞いたことのない言葉が次々と飛び出してきたのだ。きっと鉄ならこんな英語はチョチョイノチョイなのだろう。というより、おそらく神林や勇ちゃんにとってもそうなのかもしれない。
とにかく、彼女がアメリカ人であることはわかった。
「わかったわかった。I understand! Stop! Stop!」
僕は知っているだけの単語で彼女の話を止めると、彼女はロビー中に響く声で笑った。
「ハハハハハハ。あんたって最高!ほんと英語できないのね。」
エマはひとしきり笑うと、さすがにつかれたのか、床にスーツケースと鞄を投げ出した。
「ほら!早く行きましょう。エマ、とっととあんたんち行って寝たいんだけど…。」
いきなりわがままなことを言いだしてきた。これはなかなか手ごわい。
「寝たいって…。ていうかさあ、一応自己紹介してよ。礼儀として…。」
「あ、あたしとしたことが忘れてた。何語で自己紹介してほしい?」
「きみは日本語の勉強に来たんだろ?日本語でやれよ。」
僕は半ばいらいらしてエマにそう言った。エマはまた少し笑って、そして一応まじめに自己紹介をした。
「エマスプロートです。ボストンからきました。お世話になります!」
これが、僕の夏休みをぶっ壊した女との出会いである。
「ねえ。タモンはどこ?」
家まで向かうバスの中で、彼女は突然僕にそう聞いた。質問の意味がわからなくて、僕はぽかんとしていた。
「タモン?」
「タモンって言ったらタモンだよ。」
「なにそれ。街の名前とか?」
エマはいやそうにため息をついて、ボストンバッグの端っこをかんかんとたたいた。
「一つだけ教えてあげる。あんたのユーモアのせんすはくそだから。」
「別に笑わせようとおもってぼけたんじゃない。ほんとにわからなかったんだ。」
「じゃあ言い換える。あんたって馬鹿ね。」
自分の特徴を言い当てられたのでうなずくしかなかった。
「それで、タモンって何?」
彼女はまたバッグの端っこをリズミカルにたたいてこう言った。
「鉄保!」
「ああ!」
さすがに僕は自分を攻めた。「タモン」と呼ばれそうな事物は、意外とすぐそばにあったというのに、なぜ気づかなかったのだろうか。
だが、この質問は難しい。鉄の本当の居場所を伝えることは僕にはできない。口止めされているというのもある。だが、もし口止めがなくとも、僕はエマにはその話をしたくなかった。留学していきなり好きな人が倒れた知らせを聞いたら、誰だってそのあとの行く末に希望を持てなくなるだろうから。
「あいつは…今いない。」
「いないってなによ。どこにいるの?」
「昨日から旅に出た。」
「旅?」
僕は必死でシナリオをこしらえた。
「甲子園にいけなかったから、おれは日本列島の縦断の旅に出るんだって言いだして…それでどこにいくとも告げずに昨日出ていったって、たも…タモンの妹さんが言ってた。」
こんな適当なシナリオを、頭のいい彼女なら信じるはずがないと思った。ところが彼女はあっさり納得してしまった。
「ふうん。わかった。合いたかったのになあ…。」
その顔はやはり悲しそうだった。悲しくないほうがおかしい。好きな人とやっと合えることになるはずだったのに。でも、エマがそういう顔をするのは新鮮だった。
「エマさーん!」
家の近くの公園まで来たとき、一人の少女がエマを呼んだ。幸だった。ふたりはとても仲よさそうにハグした。
「サッチー!元気だった?」
「めっちゃ元気です。エマさんは?」
「あんたの兄さんに合えないってわかって今庁最悪のテンション。」
「ああ!ごめんなさい!そうなんですよ、兄は今いなくて…。」
さすが幸である。倒れた話はここではけっしてしない。医者を目指すだけあって、人の心は読めるらしい。
「でも大丈夫ですよ。久富さんがいますから。」
幸が僕にあふれんばかりの笑顔をうかべたもんだから僕は逆におののいてしまった。幸までもが僕をからかったり攻めてきたらどうしようかと思っていた。
「はあ!」
いっぽうエマはかなりご機嫌ななめだ。
「エマはねえ、もっとイケメンで、英語できて、ユーモアのセンスもあるやつを期待してたのに、なんでこんな…。ていうか、そもそもなんでサッチーの家じゃないのよ。エマのホームステイ先は…。」
幸は困った顔になって、夏の空をみた。でもそれは困った顔に見える悲しげな顔だったのかもしれない。
「兄は気まぐれなので…。」
幸はそう言ってごまかすしかなかった。
「ほんとにそのとおり。でもエマは知ってる。あの人がそれ以上に…。」
エマはそう言うと、突然咳払いをして僕をにらみつけた。
「あんたはエマの荷物を早くいえに運んで、部屋のエアコンマックスにしておきなさいよ。エマはサッチーと話してるから…。」
僕はここで気づく。どうやら本当に、エマという夏の魔物の召使になってしまったらしい…。
エマは、僕の両親の前では、極めて清楚で静かな女の子の顔をしていた。日本語がうまいというのは変わらないが、まじめな留学生という顔をしていた。
「エマは、タモンのおかげで日本がめちゃくちゃ好きになって。しょうらい日本の大学に進学するかもしれなくって…。それでその練習っていうことで、この夏留学に来たんです。ほら、この近くにアメリカンスクールあるじゃないですか。それのサマースクールに参加するんです…。」
こんなふうにまじめな口調で話すもんだから、両親もすぐにエマを気に入った。なにより日本語が通じることが両親にとっては救いだったようだ。
僕は逆だった。どうせなら、英語氏か話せない静かな女が来てくれたほうがよっぽどいい。気まずくはなるかもしれないけれど、召使にされることはないのだ。その子とはかかわらなければいいのだから。
漫画の仲のエマはどうだっただろう。ホームステイにやってくる回では、確かに結構アクティブだったとは思う。だが、基本的には清楚な少女をイメージして書いたつもりだ。派手な衣装を纏うというところは共通しているけれど。
現実世界のエマはとにかく僕の生活をかき回していった。
さて、話を進める前に、僕の普段の夏休みのことを書いておく。大体予想はできると思うが、僕はまず朝は起きない。基本的にひるご飯ができるときに起きる。ご飯を食べた後はエアコンの効いた部屋でずっとゲーム。夏が終わりに近づくと宿題をやるためにしぶしぶ机に向かう。机のうえにはスナックやらチョコがおいてある。夜はテレビを見たり、ネットサーフィンをしたりする。言い忘れていたけれど、漫画は毎日読んだり書いたりする。週に2回ほどある漫画部の夏の活動には顔を出す。親が行こうと言わない限り、旅行になんて行かない。夏祭りや花火大会は、幼なじみの友達が行こうと言わない限り行かない…。要するに、「太る」生活をしているのだ。9月になって学校で体重を図ると、大抵増えている…。
僕はこの生活には満足しているし、親もなにも言ってこない。もちろん外に出て遊んだ方がいいのはわかる。でも、どうせ運動神経も悪いし、読みたい漫画もたまっているわけだから、外に出る必要はない。そう考えて、夏休みは、いや休みの日だって
こんな生活をしている。これが僕なのである…。
「Wake up, Ryo! Wake up!」
あの女が僕の家に来た次の月曜日、朝から突然英語が僕の部屋に響いた。夢かと思った。ホームステイでアメリカ人の女が来るから、英語を勉強しようと頑張っていて、CDを聞いたりとか英語の映画でもみてるのかと思った。
でも違った。それは現実だったのだ。
女は勢いよくブラインドをあけて、今度は日本語で言った。
「ちょっとRyo!起きなさいよ!」
僕は、これが夢ではなさそうだと気づいてやっと目を覚ます。
「なに。まだ8時じゃん。まぶしいからブラインド閉めてくれないかな。」
僕が眠そうな声でそういうと、エマは猫が牙を向いたみたいな顔をした。
「まだ8時ですって?これでも十分寝坊なのよ!あんた、普段何時に起きてるの?」
「夏休みは10時…いや12時…?」
僕が、怒られること覚悟でいうと、エマはやはり怒った。
「12時!?あんたそれ、人生の何パーセントか無駄にしてるってことだよ!そんな生活絶対ない!エマなんか、12時まで寝てたことなんて1回もないんだよ。エマは、何時に起きたでしょうか?」
「知らないよ、そんなの。」
「6時には起きたよ。そのあと街をジョギングして、なんだっけ…ラジオ体操だっけ…とにかく小学生たちと講演で体操みたいなのして、あんたのお母さんと食事して、ちょっと洗濯なんかも手伝って、もうこの時間だよ。」
あまりにもアクティブで驚いた。朝からジョギングとラジオ体操と洗濯なんかしたら、もう朝だけでバテてしまう。そんな人間がいていいわけがない。僕みたいにだらだら生きる動物が人間なのだ…。(ちなみに、僕はラジオ体操に行ったことは数えるほどしかないから、ラジオ体操になじみがないアメリカ人の彼女がラジオ体操に行くようになったのは驚きだった。)
そんなことをいろいろ考えていたら、エマの怒号が飛んできた。
「なにぐずぐずしてんの?早く起きて!きょうはエマを街に案内する日じゃなかったっけ?」
「そんなこといつ言ったっけ?」
「エマが決めたの。ほら、起きないと布団たたんじゃうからね。」
これは序の口に過ぎなくて、こんなことが実は毎日続くことになるのである。
エマは僕とはまったく逆の生活をする人間である。朝から元気に活動し、夜は早くに寝る。体を動かすのが好き。おそらく勉強もできる。つまり、鉄タイプだ。まあ、エマの性格をそのように定義したのは、ほかならぬ僕なのだが。だがそれにしても、かなり顕著に現れている。完全に作者がおいて行かれたパターンだ。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど…。」
夜、リビングでテレビを見ていると、突然エマが質問してきた。だが、「ちょっと聞きたいんだけど…。」とエマに言われることが多すぎて、全然気にならないというのが本音だ。
「なに。」
「あんたって、高校の部活とかないわけ?」
「あるけど、あんま活動がないから…。」
「へえー。なに部?」
エマはどんなことにも興味を示す。だから、これも僕にとっては日常だ。
「漫画部だけど…。」
「え?漫画?うわー、Japanese Manga!It sounds interesting!!」
エマの特徴のもう一つは、テンションが上がると英語になることだ。漫画に興味があるというのは外国人の特徴だということぐらい僕にもわかる。それにしても、テンションが上がると日本語ではなく英語で話すというところで、やっぱりエマはアメリカ人だという証明になった。だがそこで僕は不思議になった。エマは自分が漫画か志望の僕に書かれているというこの状況をどう思っているのだろうかと。
「僕が漫画を書くって知ってるだろ?」
「No, I have never known that!。」
「うそつけ!」
小さな声でそう言ってはみるものの、エマはとにかく「知らないふり」をつき通した。
「ねえねえ。次の活動はいつ?」
「あ、明日だけど…。」
「Really? Take me!」
素直に了承したくない自分がいた。なぜなら、この女はなにをしでかすかわからないからだ。それに、学校に行けばもしかしたら鉄と顔を合わせることにもなりかねない。できるだけ家でぼーっと過ごしてほしかった。だが、いままでのことでもわかるように、僕は完全に彼女の召使になってしまったから、もう了承するしか手はない。
「いいよ。」
「やったやった!楽しみー!」
まあ、エマが喜んでいるならそれでいい。僕はそう思いながらテレビの向こうのエマよりも不細工なモデルに笑いかける。
そして次の日。エマはいつものように朝街をジョギングして、親の家事を手伝って、朝から本を読んでいる。
そして、ひる前に僕と二人で学校に向かったのである。
ところが電車の中で、僕は恐ろしい事実を思い出す。
「おい、エマ!」
エマはイヤフォンで洋楽を大音量で聞いていたはずなのに、僕の声にはすぐに反応した。
「ねえ、女の子の下の名前をでかい声で公共の場で呼ぶのって失礼だと思わないの?」
「ごめんごめん。でもちょっとやばいこと思いだして。」
「やばいことってなによ…。」
「きみさあ、平日はサマースクールに行くって言ってなかったっけ?」
「ええ、言ったわよ。」
エマは毅然とした態度で答える。こいつは自分が嘘をついていることになんの悪気もないらしい。
「じゃあなんで今ここにいるんだ?」
エマは表情を変えない。むしろ楽しそうでもある。
「あんた、エマのこと、ほんとにまじめな留学生だと思ってる?」
一瞬耳を疑った。これはつまり、「エマはまじめな留学生じゃない。」ということの裏返しなのではないか?
「違うの?」
「違うよ。」
あっさりまじめな留学生説は否定されてしまった。これは親にちくったほうがいいのかもしれない。
「でもさあ、それ親にばれたらやばいよ。」
エマは僕の発言を聞くとため息をついた。
「あんたって、一から説明しないとほんとになんにもわかんないのね。」
「そんなの僕だけじゃないよ。みんな、きちんと話をしないとわかりあえないんだから…。」
エマはそれを聞いてもまだ笑っている。
「それにしたってあんたは馬鹿だよ。もうちょっと自分でよく考えてみればわかるでしょ。」
「わかんないって…。」
僕が半ば投げやりにいうと、エマはまたため息をついた。
「あたしはサマースクールに行かない。これは事実。だからあんたがなんか部活やってたら一緒について行くってことにきめてて…。ああ、もうあとは自分で考えて!」
エマはそういうとイヤフォンをはめてしまった。だからこれ以上先のことは聞けない。僕が一番聞きたかったのは、なぜ日本に来たのかということだった。サマースクールに行かないなら、日本に来る必要はなかったのではないだろうか…。
だが、答えが出ている自分もいた。それを答えだと認めたくないから、僕は見えないふりをしていたのかもしれない。
女の気持ちなんて、馬鹿な僕にはわからなくて当然なのだから…。
学校までは黙ってやってきた。そして、部室に静かに入ると、うるさいメンツが待ち構えていた。
「ええ?なになに?久富、とうとう彼女つくったー!」
「違う!」
二人で同時に返事をしたら、また佐野と田浦に笑われた。
「息ぴったりじゃん。紹介しろよ。」
「言われなくてもするって…。」
そう言って僕がエマのことを紹介しているうちに、神林や勇ちゃんも部室にやってきた。
あらかたエマのことを商会し終わると、雰囲気は気まずくなった…と思いきや、みんなエマを歓迎した。
「あたしは女子部員が一人加わっただけでめちゃうれしいの。エマちゃん、漫画のことならあたしになんでも聞きなさい。この【役立たず】に聞くよりずっとましよ。」
神林が僕のほうをじっと見つめながらいう。僕は聞こえないふりをして、部室においてある漫画を読む。
「今年の文化祭のテーマ、『漫画と国際交流』ってのもありだな。ちょっとエマさんにインタビューさせてもらおう…。」
勇ちゃんもこのテンションである。つまりエマはみんなの人気者になった。
「ねえ、エマちゃんって鉄の知り合いなんでしょ?アメリカ時代のあいつの写真とか持ってる?」
「あるある。こんど見せてあげるよ。」
「やったぁ!ていうかすごいなあ。こんな日本語話せるのに留学化ー。意識高いなあ。あたしもそろそろ進路考えなきゃ…。」
僕に毒づくという共通点を持っている神林とエマは、あっさり友達になってしまった。漫画部の女子はこの二人しかいないからかもしれない。まあこの二人が仲良くなる分にはどうでもよかった。少し心配なのは、エマの不順な留学の理由を、神林が知ったらどう思うかということだ。
「かわいいじゃん、あの女。まじで付き合っちゃえばいいのに。」
佐野が楽しそうにいう。
「なに言ってんだよ。僕は英語話せないんだぞ。たとえあんなに日本語が話せても、あいつと付き合うのは無理だ…。」
「じゃあ英語を話せるようになれば付き合うのか?」
勇ちゃんが意地悪そうな顔で質問してきた。なかなかよい質問だと思う。答えるのに時間がかかっていると、勇ちゃんはまたニヤッと笑った。
「英語の勉強頑張るんだな。」
「いや、そんなんじゃないって…。ただ…。」
「ただ?」
友人たちの視線が僕に注がれる。その沈黙を破ったのはエマだった。
「ねえ。この漫画部って合宿あるの?」
「ないよ。」
勇ちゃんが即座に答えた。するとエマは机をたたいて大声で言った。
「はあ?夏合宿ないの?海とか夏祭りとか行かないの?」
「いやあ、うちは漫画部だからねえ。合宿やる必要もないしね。」
「あるある。そんなの青春の無駄だよ。夏と言えば海と花火大会とバーベキューと…。いっぱいいろんなことあるじゃない。」
エマが思っている「夏」というのはいったいどういうことなのだろう。夏はそんなに
楽しいものではない。暑さとエアコンとアイスクリームの世界なのだ。
みんなもエマのテンションにはついて行けないようで、かなりぽかんとしていた。だが神林だけが頑張ってそれについていこうとした。
「エマちゃん。それはわかるけどさあ、そんな全部やるのはきついよ…。」
「だからせめて一つだけでもやろうって言ってんの。エマが留学に来た理由の一つは、日本の夏をエンジョイするためなんだから。」
「そんな楽しいものでもないぞ、日本の夏は。」
僕がそうつぶやいたのが問題だった。エマが僕をかなりの怖い目でにらみつけたのだ。
「文句あんの?」
「あるけど言わないことにするよ。」
「文句がある」と主張していくことがせめてもの僕の抵抗だった。エマは小さくため息をつくと、「とにかく」とみんなに向き直る。
「海と花火は絶対に行こうね。みんなで。」
「みんなで遺訓すかあ。エマさん。」
田浦がつまらなそうに言う。
「あたりまえでしょ?漫画部みんなで行ったほうが楽しいじゃん。ていうか敬語やめて。」
みんなはすっかりエマのテンションに乗せられる形で、今年の夏を生きることになってしまった。
その日、エマは神林と二人で連れ立って学校を出ていった。途中まで一緒にかえるという。僕は勇ちゃんとのんびり家に帰ることにした。
「そんなに食うから太るんだぞ。」
勇ちゃんが、駅前で僕の食べているマンゴーチーズケーキソフトクリームを見ながら言う。上のクリームが夏の入道雲に混ざって溶けそうになる。僕は子供みたいに上のクリームをペロペロなめた。
「おいしいからいいじゃないか。夏はアイスを毎日食べるに限る。」
「あ、そ。」
勇ちゃんはため息をつきながら、いつも買っているカステラをほおばった。
「あいつ、鉄に会わせなくていいのか?あいつを追いかけてここに来たんだろ?」
話がとたんにまじめになって、一気に夏の空気が冷えたような気がした。
それにしても、勇ちゃんはもう彼女の不順な留学の動機を知っている。まあわかりやすいから誰だってすぐに見抜けるかもしれないのだが。
「そうだよ。」
「にしても、めんどくさいことになるな。」
「なんで?」
僕がそう言ったとき、遠くで稲妻が光った。どうやら空気が冷えたのは本当らしい。
「朝霞椿のこと、忘れたか?」
忘れたわけではない。考えないようにしていた。僕は今だって覚えている。甲子園にいけなくて藤力に負けたと知った椿の顔を。そこに突然現れた椿のライバルは、なかなかの強気である。やつがもし椿の存在を知ったら、まさにどろどろの戦闘が始まってしまう…。
雨が激しく降り出した。夏の夕立だ。僕は少し不安になった。エマと椿が出会ってしまったら、僕はどうすればいいだろうか。
「なんとかなる。みんな大丈夫だ。」
こんな客観的な態度が取れるのは、僕が作者だからだ。漫画のホームステイの回にどんなことを書いたか覚えてはいないけれど、何も恐ろしいことはかいていないはずだ。僕は、ドロドロした女の心模様なんてかけないから…。
「それならいいけど…。」
勇ちゃんはどこか心配そうな顔をしていた。その顔に大粒の雨が当たる。僕たちは急いで近くのスーパーで傘を買った。
今思えば、勇ちゃんの予想も、雨のフラグも、ある意味では間違っていなかったと思う。
家にかえると、最初の悪いシグナルが見えた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。」
またエマの口癖が飛んできたから別にどうでもいいと思っていた。でもただの口癖だと思っていた僕は馬鹿だった。
「なに。」
「Tsubaki Asakaって子、知ってる?」
一瞬胸が苦しくなった。なぜえまが僕の弟子の名を知っているのだろう。まさか
よからぬことを聞いたのだろうか。だとしたら、神林とエマがそばにいるのはひじょうにまずいではないか。
「知ってるけど…。なんで?」
「わかった。じゃあ、その子とタモンがどんな関係だったかって知ってる?」
もう悪いシグナルというより、悪いことが起きようとしているのかもしれないとそのときは思った。もう後戻りできないのかもしれないとも。
「野球部の先輩と交配って関係だよ。それ以外は知らない。」
エマはそれを聞くと、少し残念そうな化をした。いつも元気な顔をしているから、なんだか新鮮にも思える。
「そっか…。」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
僕は自分が少しいらいらしてしまっていることを反省しつつ尋ねた。エマはまだなにか考えていたようだがゆっくり話してくれた。
「さっき雨が降ったでしょ?それでエマとルーで、学校の屋根のあるところで雨宿りしてたの。そしたら、たまたまそこで何人かも雨宿りしてて。その中にいたの、Tsubaki Asakaが。ルーが声をかけたからわかったんだけどね。それで、彼女が傘を持ってたから、駅まで3人で一緒に帰ったの。そこで、彼女が話してくれたの。タモンと自分が知り間ってこと。」
そこまで一気に言うとエマは一度深呼吸をした。
「タモン、エマに黙って彼女つくってたらどうしようかと思っちゃったけど、そんなんじゃないんだね。」
まだそこまで話は進んでいないとわかって僕は安心する。でも、安心してもいられない。椿が彼に恋していることがもしエマにわかってしまったら…。やはり、神林とエマを一緒にさせておくのはまずかった。でも、あいつと仲良くするなとも言えない。これは時間に任せるしかないのだろうか。それとも…。
「それは、鉄次第だな。あいつがどう思ってるのか、僕は知らないけど…。」
自分が意外と冷たい人間なんだなとそのとき思った。だからエマが残念そうな顔をすると予想したけれど、そんなに残念そうな顔はしなかった。
「もうちょっと慰めなさいよね。エマ、こう見えてもなやんでるんだから。」
確かに、「こう見えても」エマは悩んでいるという顔をしている。きみはほんとうに悩んだことがあるのか。僕はそう尋ねたくなるほどだった。とにかくあの夕立が、この夏の事件の引き金になったと僕は思う。
「Let's go to the beach!」
8月のある日、エアコンの効いた部屋で僕が新刊の漫画を読んでいたとき、エマが唐突に行った。いつか言いだすと思っていたからさほど驚かなかった。
「ビーチっていうけど、そんなきれいなビーチ、この辺にはないぞ。」
それを聞くと、エマはいつものようにため息をつく。
「エマをなめないでくれる?エマ、機能ルーとちゃんとリサーチしたんだから。今週末ビーチに行くよ、みんなで。バーベキューもやるからね。」
「はいはい。」
僕は投げやりに返事を返す。だがそこで疑問に気づく。
「みんなって、漫画部のみんなだよね。」
「そうだよ。あ、でもあとサッチーも誘うつもり。」
胸がどきっとした。サッチーこと、幸がエマと一緒にいたら、きっとよくないことが起きる。まだエマは日本に来て、一度も鉄に会っていない。二人の間にはたただならぬ秘密がある。それを結ぶ役割として、もし幸が機能してしまったらどうしようか。幸には、このエマと鉄の独特の関係にはかかわらないでほしい。幸には自分の人生があるし、まだ小学生だ。作者としては、高校生のいざこざに幸を巻き込みたくないのだ。だが登場人物はそんなことは気にしない。
「いいけど…。高校生ばっかりだからつまんないっしょ。」
「サッチーなら大丈夫。エマもいるし…。」
その根拠のない自信はどこからくるのだろう。そう思いつつ、僕の心配は消えなかった。僕が幸のそばにいればいいだけの話だ。なるべく幸には、鉄の話はさせないようにしよう。
そして、週末。漫画部員は全員勢ぞろい。そしてほんとうに幸もやってきた。いわゆる楽しい夏の思い出が幕をあけるわけだ。そして、この暑いのに、楽しげなみんなの後ろで重そうな荷物を持たされているのは、仁さんだった。
「ほら、誰かこれを持っていけ。バーベキューの材料、おれが買ってきてやったんだから。」
「さっすがヒッツ!ねえ、ヒッツも行こうよ。」
エマが材料を見て感動している。神林や佐野、田浦もうれしそうだ。
「おれはプログラミングの勉強があるから行けない。みんなで楽しんでこいよ。おれみたいなおっさんは勉強しなきゃなんないんだ。」
「やーだもー、ヒッツってば。笑わせないでよ!」
エマが、ヒッツと仁さんのことを呼ぶたびに、佐野や田浦がにやにや笑っている。エマが仁さんに恋しているとでも思っているのだろうか。だが確かに、エマはどんな人間にも馴れ馴れしい。どうやったらそんな明るい性格になるのかわからないほどだ。それは言い意味でも悪い意味でも他人に積極的なのだ。僕は悪い被害に遭っている。
「エマさんって、鉄家の人間とどんな関係なんだ?」
海に向かう電車の中で、佐野が少しつかれたような顔をしながら聞いた。
「エマは鉄のアメリカ時代の友達だよ。だから家族と仲がいいんだ。」
「友達だからってあんな仲いいのか?普通他人の兄ちゃんのことあんな呼び方しねえだろう。」
「それは…。」
作者である僕にもそれはわからない。ただ予想として、アメリカ人は積極的ではないかと考えている。
僕は向こう側の席で楽しそうに話す女子3人を見ていた。なにも問題は起きていないようだ。それに、幸は基本的に本を読んでいるから、それほど心配しなくてもよさそうだ。
海に着くと、女子たちはすぐに海に飛び込む準備を始めた。佐野や田浦もその勢いに飲まれるように海に飛び込む。勇ちゃんもみんなのあとから続いて海に入っていく。僕は、海に入る気にはなれなかった。どうせ泳ぐこともできないし、女子にそれでからかわれたくもない。海に飛び込む人たちを絵に書いていたほうが楽しい。ノートとクレヨンを持ってきておいてよかった。ホームステイの回では書かなかった海のシーンを書こう。そう思ってノートを開いて気づく。そう、ここにヒーローがいない。だから漫画の続きはかけない。でもこの広い海の景色を閉じ込めたい。この海の向こうに、エマの家がある。そして鉄の家もあったわけだ。なんだかそれが不思議だった。
「久富さん。」
そんなことを考えていたら、海から幸が飛び出してきた。
「なに書いてるの?」
海の色によく会うその瞳に見つめられて、僕は少しびくっとした。
「いや、書こうと思ってやめた。海の景色を書こうと思ったんだけど…。」
「へえー。すてき。」
幸はそういうと、砂浜に坐って空を見上げた。
こんな状態で、幸と二人になってしまって、僕はなにを話せば…。あ、話すべきことがあったではないか。
「あのさ、さっちゃん。」
さっちゃんと呼ばれて幸はやはりうれしそうに派を見せて笑うが、それをすぐに波しぶきに隠すようにして無表情になった。
「なに?」
「エマがなんで日本に来たか知ってる?」
幸は僕の質問に、まるで問題を解くときみたいな顔で考えて、静かに答えた。
「知ってるよ。」
「そうか。知ってるか。」
「うん。だからね、幸、きょうはスペシャルゲストを呼んだの。」
「え?どういうこと?」
なぜここで「スペシャルゲスト」という単語が出てくるのだろう。もしかしたら幸が呼んだゲストは、エマが一番会いたい人間なのかもしれない。もしそうなら、幸という人間にエマは感謝してもしきれないはずだ。
「うん。エマさんが日本に来たのは、兄ちゃんに合いたかったからでしょ?」
そう幸が言ったとき、脇においてある鞄から電話の音が響いた。幸があわてて電話を握る。
「あ、兄ちゃん。今どこ?もうすぐバーベキュー始めようと思うんだけど…。え、あ、もう着いた?わかった、じゃあ手伝って…。」
幸は僕の知らないところで、エマに楽しんでもらおうとしている。それはとてもえらいことだ。だが僕には二つ心配事があった。一つは、僕はエマに嘘をついているから、それがばれたら僕はどうしようかと思ったのだ。鉄は今旅に出ていることになっている。だが、エマになんの連絡もなしに、突然今バーベキューに現れたら、エマはどうなるだろう。混乱して倒れてしまわないだろうか。もしくは連絡がなかったことに怒ったりはしないだろうか。幸の行動は確かにエマを喜ばせるにはちょうどいい。でも、同時にとても危険なことでもある。僕にはエマに、保が倒れたことを知ってほしくはなかったからだ。
もう一つ心配なことは椿のことだ。これもエマを苦しめかねない事実の一つだ。鉄事態はそうでもないかもしれないが、椿は鉄に恋焦がれているのだ。それをエマが知ってしまったら、またエマは苦しい思いをする。保の病気と保の浮気…。その二つを知って、エマは悲しい顔でアメリカにかえる…。そんな悲しいことは、いくら僕にどくを吐くエマでさえも経験してほしくない。まえも言ったように、僕はみんなに笑っていてほしいからだ。
でももう事は進んでいた。向こうから、声が聞こえたのだ…。
「ごめんな。なんか心配かけて。このとおり元気だからさ。」
保がバーベキューの機材を持ち上げながら言った。確かにかなり重い機材だから、それを持ち上げることができるなら体はもう大丈夫だろう。
「いつ退院したんだ?」
「けっこうまえだよ。でも野球部には行ってない。」
「なんで?」
「ちょっとやる気になれなくてね。でもすぐに行くよ。」
ヒーローがそんなことを言うのは変だ。ヒーローはいつだって元気だ。病気をしたとしてもすぐに回復する。テレビのヒーローものだって、負けたってすぐに復活する。それと同じだ。野球をやる気になれなくて部活に行ってないなんて、そんなヒーローらしからぬことをするなんておかしい。
「ほんとに大丈夫なの?珍しくない?そんなこと言うの…。」
「まあそういうときもあるんだよ…。」
僕が彼に過信しすぎているのだろうか。でも彼は過信しすぎるほどなんでもできる人間だからしょうがないのだ。そう言って自分に言い訳してみる。
「二人とも、火つけて。」
幸が楽しそうに火の準備をしている。とにかく今は、保のことを心配している場合ではない。嘘だとしても、この夏の思い出を楽しむことが大事なのだ。それに
まだにぎやかな連中たちは海で遊んでいる…。
「すごい!ユウってけっこう泳げるのね。」
「まあね。泳ぐの好きだし…。」
「それにしても、サニーとタニーの水着、ださくない?」
「これしかもってないんっすよ。エマさんの水着はかわいいと思うけど…。」
「なにそれ。エマを口説いてるつもり…?」
「でもエマちゃんの水着はほんとにセンスあるよ。それアメリカで買ったやつ?」
「うん、そうなの。ほかにもいっぱい持ってきたんだよ…。」
海で泳いでいたメンツが楽しそうに話をしながら、働いている僕たちのそばにやってきた。エマは保がいることにきづいていない。まあ無理もない。保は隠れんぼをするように影を潜めているのだから。
だが、エマという女はなかなか目が見えているようだ。
「あ。このハンカチ…。絶対タモンのだよ。」
エマが、机のうえにおかれた黄色いハンカチを指さして叫んだ。よくあるハンカチのようにも思える。だが、ずっと好きな男の子のハンカチぐらい、女の子はすぐにわかるのだろう。
「ねえ。タモン、すぐそばにいるのね。でて きなさい。たびなんかしてないでさあ…。」
エマの声がどことなく悲しそうに聞こえた。やっぱり、合いしている人を探しているときのエマは、いつも悲しそうだった。
ところがヒーローは恥ずかしがり屋だった。なかなか現れようとしない。エマのことが本当に好きではないのだろうか。
「ちょっとエマさん。そういう怪談話みたいな展開やめてよ。」
佐野が本当にお化け屋敷に入ったときみたいなあ顔で行った。彼は階段がほんとうに苦手なのだ。
「Hey, Tamon! Can you hear me? Where are you? What the hell are you doing here?」
エマは今にも泣きそうだった。楽しげに話していたみんなも、この異様なエマの声に動きを止めた。
「Don't be noisy, Ema! I'm here!」
これこそ、保の英語を初めて聞いた瞬間だった。
田浦と勇ちゃん、そして神林までもが拍手をした。
「やっぱこいつほんとに帰国子女なのね。」
「たもっちゃん、こんど英語教えてよ…!」
「ああ、きみたちも静かにしてくれ!今から肉役からおとなしく待ってろ…!」
「その前に…。」
エマはそう言って、今にも保にハグしようとしたけれど、幸がそれを止めた。
「エマさん。とりあえず落ち着いて。喜ぶのはご飯を食べてからのほうがいいよ。」
「走だけど…。」
人を好きになると周りが見えなくなると聞いたことがある。僕が恋をしたときはどうだっただろう。周りは見えなくなっただろうか。僕の場合、自分が見えなかったのかもしれない。自分がどれだけ神林に恋をしているのかわからなかった。たから自信が持てなくて、気づけばふられていた。エマみたいに飛びかかったほうが、きっと恋はうまくいっていた…。
海沿いのバーベキュー場に、肉の焼けるいいにおいが漂う。みんなわいわいと肉を頬張る。さっきの怪談みたいな雰囲気は嘘みたいだった。でも、保は相変わらず静かに坐っている。
「なあ、鉄とエマさんってさあ…。」
怪談を蒸し返したのは、空気の読めない田浦だった。
「二人は仲悪いのか?」
「ち、違うよ…。すごい仲よかったよ。」
「そのわりには、さっきたもっちゃんは隠れてたじゃねえか。久しぶりに友達に会うっていうのに、なんであんな隠れるんだよ、あいつは…。」
「さ、サプライ図したかっただけなんだよ…。ほら、あんただって、そういうことしたいって思わないの?」
「思うけどさあ…。なんかこう、インパクト低いっていうか…。」
それを聞いてみんな笑った。でも僕はあまり笑えなかった。田浦の効いた質問にいらだち、でも考えさせられていた。
田浦は聞いてはいけない質問をした。二人は気まずくなってしまっているから、よくある楽しい雰囲気で会うことができないのだ。それを知らないのに、勝手にその二人の過去の扉を開けるようなことをしてはいけなかったのだ。パンドラの箱は開けたら閉めることはできない。
でももしかしたら、この箱は開けるべきだったのかもしれない。
「でも、そうね。エマとタモンは、ほんとに仲いいのかなあ…。」
エマのつぶやきは、肉の焼ける音の中に消えて言った。
「友達だよ。エマと僕は。もともとこんなことはよくあるんだ…。」
「こういうことはよくある」。どこかで聞いたよくない表現だ。そんなことばかり言って、本当に逃げられると思うのだろうか。日常の繰り返しの中に、もし魔法の使える悪魔が現れたとしても、あいつは、「こんなことがよくある」なんていうのだろうか…。
「ねえねえ。もっと楽しい話しようよ。」
そうやって楽しげな顔をしたのはエマだった。
「楽しい話って?」
神林がトウモロコシを勢いよくかじりながら言った。
「このあとまた海行くよ寝。」
「え?また行くんすか?もうこのままかえるかと思ったっすよ。」
佐野がすっかりエマのテンションに飽き飽きしたという幹事で答えた。
「だめだめ!まだ全然泳ぎ足りないし。」
「確かに。本堂が本気で泳いでるとこ見たいしね。」
田浦がすぐに賛成した。神林も日焼けが怖いと言いながらも賛成。勇ちゃんと佐野も賛成する。
「ほら、そこの男子二人も絶対きなさいよ。」
もともと帰ろうと思っていた僕はかなり残念な気持ちになった。できるだけ馬鹿にされないように泳がなければならない。
「じゃあさ、みんなで競争しねえ?」
勇ちゃんが珍しく明るい声で言った。得意の水泳だから自信があるのだろう。
「いいねえ。じゃあ希望者は競争ってことで…。」
こんなにみんな楽しんでいるけれど、ほんとうに大丈夫なのだろうか。そんなに勢いよく夏を満喫していたらいつかしおれてしまうのだろうか…。
みんなは夏の午後の海を走ったり泳いだりと楽しそうだ。僕もしかたなく海に入ってみるものの、全然楽しさが見いだせずにいた。佐野や田浦が水をかけてくるのに合わせて、ちょっと水をかけあうぐらいのものであった。
しかし、そんな平穏な夏の日にも事件は起きる…。
「きゃーーー!」
誰かの悲鳴が聞こえた。小さな子供がおぼれたのかと思って、僕は水かけ遊びをしていた。ところが勇ちゃんが走ってきてことの重大さがわかった。
「3人とも、エマさんが…。」
僕たちは急いだ。僕は泳げないけれど、できるだけの力を振り絞って水に向かっていった…。
だが僕が出る幕はなかった。僕がちょうど肩ぐらいまで水につかったとき、エマは救出された。救出したのはヒーローだった。
「大丈夫?ごめんごめん。一緒におよいでたのにあたしが…。」
波打ち際まで戻ったとき、泣きそうな顔で神林がエマに謝った。「いいよ」とエマがいう前に、ぴしゃっと音がした。
「なにやってんだよ。きちんと泳げないくせに、遠くまで泳ごうとするからだろ!おまえはいっつもこうなんだから。日本で死なれたら怒られるのはおれなんだぞ!」
ヒーローがここまで怒ったのを初めてみた。あくまである藤力にだって、こんなに怒ったりしなかったのに。付き合いが長いとはこういうことなのだろう。
エマは、ヒーローの腕の中で涙を流し続けた。その涙にはどんな意味があったのだろう。みんなはその様子をただただ見ていた。やっぱりヒーローはかっこいい。僕にはこんなことはできない。エマのことはただのわがままな女の子だと思っていた。でもわがままな彼女が見せた涙は、とても透き通っていて、それを包むヒーローの怒ったような笑顔は、とても強かった。まるで、雨と太陽みたいに…。
「タモンってさ、いいやつだと思う?」
家に帰って、エアコンの効いた部屋で、ハンバーガーの袋をあけながら、エマがぽつりと言った。どういう意図でそういう質問をしたのだろう。
「もちろんだろ。あいつはみんなにやさしいんだ。」
「そっか…。そうだよね。」
エマはやっぱり何か腑に落ちないようだった。なにに悩んでいるかは、なんとなく創造できるが、はっきりと答えが出ない。
「なんだよ。もしかして…今日海に落ちたことが怖かったの…。」
「はあ?何言ってるの?エマはね、あんたと違って波打ち際でぼーっとしたりしないでちゃんと海で泳いだんだから、あんたよりはstrongなの!」
照れ隠しするのが得意ではないなと僕は少しニヤッとした。エマは口いっぱいにハンバーガーをほおばって、僕との会話をしないようにした。これはなかなか頭のいい作戦だと思う。
「とにかくこんどは祭りだよ。まだまだ夏は終わらないんだから…。」
「まだまだ夏は終わらない」。この言葉の意味をどう解釈すればいいのだろう。エマの悩んだ顔をついさっき見た僕は、そんなことを考えてしまった。きっとエマの中で、夏というのは、鉄との複雑な関係を、なんとか解消しようとしてこそ終わるのかもしれない。
「Let's go to the summer festival!!」
エマがそう言ったのは、お盆を少しすぎた夏も終盤にさしかかろうとしていた日のことだった。海に行って以来、僕の夏休みは、できるだけそれまでの夏休みの形を保とうと頑張った。エマは漫画部の活動に毎回ついてくるけれど、僕はいつもみたいにだらけていた。夏の暑さから逃げるように、部屋にこもっていた。紫外線が気になるからとかそういうことではない。部屋の中が一番心地よいと感じるからだ。ジョギングする気もないし、かと言って机に向かってペンをカリカリさせる気もない。いつもみたいに体重の増える生活を続けた。
そんな僕は、夏の終わりにいつも泣きそうになる。なぜそうなるのか、僕の夏のずぼらな生活習慣を知ればわかるだろう。宿題にまったく手をつけていないのだ。でもそれは、ずぼらだからというだけではない。一人で宿題をしたくないからだ。数学も英語も国語も理科も社会も、教科書を見たって自分では溶けない問題がたくさんある。だからどうせ自分でやったってだめなんだから、宿題は置き去りにされる。もしくは最後の日に泣きながら適当にやるのが落ちだ。読書感想文は自分で書けばいいだけの話だけれど、漫画で書くことができないのが残念だ。僕は活字が嫌いなのだ。
だが、今年は違った。
「そんな生産性のないこと、エマは絶対させないよ…。」
などとのたまう子悪魔がホームステイしているからだ。
夏も終盤にさしかかった頃、僕はその子悪魔と図書館にきていた。というより、その子悪魔に連れ出されたのだが。
「あんたさあ、こういうのなんていうか知ってる?」
学習質にいるにもかかわらず、エマは大きな声で僕に話し掛けてきた。
「知らないね。」
「自業自得っていうの。アメリカ人のエマでもこの言葉は知ってる。」
「きみは日本語が話せるアメリカ人だからね。」
「なによ、それ。皮肉でもいいたいの?」
やはりこいつといるといらいらする。なのに僕らは一緒にいた。
「おとなしくしなさいよね。あんまりそういうことやってると、宿題教えてあげないよ。」
エマにこう言われてしまったら、もう黙るしかない。おとなしく勉強しなければいけない。
エマは、その日1日かけて、国語以外の宿題のほとんどを片づけてくれた。この女はなかなか勉強ができるようだった。というより、エマいわく僕が馬鹿すぎるようだ。
「あんた1次関数からやり直したら?これ中学の内容だよ。」
「周期表全然覚えてないじゃない。ほら、塩化ナトリウムの化学式は?」
「ほら、これからはグローバル時代なのよ!世界史ちゃんと勉強してなきゃだめでしょ。パールハーバーの年号も覚えてないようじゃ、ちょっとねえ…。」
こんな具合である。だが、一番エマを怒らせたのは英語だ。まあ、僕が英語をできないのはさんざん言ってきたことだ。エマは英語の宿題に一番時間をかけた。昼飯を食べてからはずっと英語の話だった。そのうちエマはテンションがおかしくなって、ずっと英語で講義してきた。だから話半分に聞いていた。なぜなら、彼女がほとんど英語の宿題をやってくれたからだ。
気がついたら日はトップ理くれていた。こんなに1日女と一緒にいたことは、生まれてこの肩なかった。
「もう。馬鹿と一緒にいるとほんとつかれる…。」
エマはそういうと、僕がお礼におごってやることにした、最近流行のパクチー入りチーズオムレツをすごい勢いで食べながら言った。こんなに暑いのに、どうしてそんな暑いオムレツをそんなに食べられるのだろう。
「悪かったな、馬鹿で…。」
そう言ってはみたけれど、エマはオムレツを食べ続けていて、僕のコメントにはレスを返してくれなかった。そしてオムレツを食べ終わると小さくため息をついた。そんなに勢いよく食べるからだ。
「もう。これじゃあエマたち、デートしてるみたいじゃない。」
「デートか。」
こいつと付き合うことになってしまったらどうしよう。鳥肌が立った。ある意味涼しくなった。二つ心配になったからだ。一つは、こんなふうに毎日いろいろと毒づかれるようになること。そして、保に怒られる可能性があること。まあ、こいつと付き合うことになったら、きっと日本がアメリカの属領になる日が近いことになるだろう。それぐらい可能性が低い。
「まずそんなことはないから安心して…。」
「ふーん…。よくそんなこと言えるね…。」
エマはスープをバキュームみたいに飲み込んでから言った。
「なんだよ…。」
「もしエマが…エマがあんたを好きだったら、今のきずつくと思わない?」
こいつはなにが言いたいんだろう。僕を試しているのだろうか。それとも本心なんだろうか。
「思わない。だってきみは僕が好きじゃないってわかってるもん…。」
僕がそう言うと、エマは食器をおいて、なにかを考えているようだった。もしかして、本当に傷つけてしまったのだろうか。
「ま、そうね。えまはあんたが好きじゃない。だって、宿題を夏の最後までほったらかして、いざやろうとしたら全然一人じゃできないんだから。そんなやつとは恋人にはならないよ…。」
ここまではっきり言われてしまったら、普通に落ち込む。やっぱりエマじゃなくて僕のほうが傷ついた。でもそう言われるとわかっていたから腹は立たなかった。
でも少し不思議にも思ったから聞いてみた。
「じゃあ、なんで僕の宿題を手伝うんだ?」
するとエマはまた考え込んだ。
「それは…日本語の、勉強?」
嘘だ…。自分の解答に疑問府をつけるってことは、絶対に嘘をついている。そんなことは教科書に書いてなくてもわかることだ。
でもそれを追及する気はなかった。どうせ嘘をつき続けるだけだから。エマは皮肉もいうし嘘もいう。ほんとうのことはわからない。だから、もうそれでよかった。エマが好きなのは鉄保。だから僕は嘘もつかれるし皮肉も言われる。それでよかった…。というわけで、宿題は解決したけれど、なんだか複雑な気持ちになった日でもあった。エマはいったいどうして、僕の宿題に1日をささげたのだろう。夏という短い季節に、そんなつらいことをする必要はないはずなのに。好きでもない男とどうしてそんな1日を過ごそうとしたのだろうか。
そんなわからない気持ちになっていたときに、エマはまた唐突に僕にこう言ったのだ。
「Let's go to the summer festival!」
全然祭りに行く気分になれない僕に、そんなことを言う彼女こそ、僕は「ばか」だと思う。
「祭りっていうけど、全然楽しくないと思うぞ。ただ花火が上がるだけだし…。」
するとエマは、海に行こうといったときと同じように、僕をにらみつけてきた。
「あんたさあ、エマをなめないでくれる?エマはねえ、花火を見に来たんだよ。あれがなかったら夏は終わらないもん。それに祭りって、ヨウヨウとか金魚救いとかおみくじとかいろいろあるんでしょ?すごい楽しそうだと思わない?」
「思わない。あんなただの行列に並ぶだけの行事…。」
僕がいやそうに顎をしゃくると、エマはまだひるまないという顔で僕を見た。
「とにかく絶対みんなで祭りに行くから。どうせあんた、行かなかったら部屋でぼーっとしてるんでしょ。そんなの人生の無駄だよ!祭りでエンジョイしたほうがよっぽどまし…。」
行列に並ぶほうが人生の無駄だと僕は言いたかった。彼女は、じっとすることの楽しさを知らない。机に向かって漫画を書く楽しさを知らない。それを楽しいと思う人は、きっと祭りよりもそっちを選ぶはずだ…。そんな言い訳をしてみるけれど、結局は祭りの日に、エマに連れ出されていた。
予想通り、祭り会場は込み合っていた。はっぴや浴衣を来た子供たちが、周りを見ずに走り回っていたり、女子高生たちが写真を撮ったりと、凄まじく生きにくい場所だった。だから来たくなかったんだと心の中でつぶやく。
「久富?」
ふと見ると、目の前に、野球帽を被った鉄が手にカードゲームらしきものを持ってやってきた。
「何、それ。」
「カジノみたいなやつ。勝ったらゲー線のチケット当たるってさ。」
カジノなんて祭りでやっていいのかわからない。そもそもそんなものがあるということが意外だった。
「でも並んでるだろ?」
「大丈夫。今なら先着20名だ。急いで行こう…。」
そう言って考える余裕もなく、僕は鉄と一緒にゲームをしていた。鉄は金うんもあらしく、すぐにゲーセンのチケットを手に入れた。だが、それは僕の手にわたされた。
「僕はゲームセンターには行かないから、きみが行ってくれ。」
まあ、文武両道のヒーローにとって、ゲームセンターなんて興味ないというのはわかっていた。ただカジノに興味があっただけなのだろう。そんな具合で、僕は鉄にいろいろと付き合わされることになった。
去年もその前も祭りにはきていなかった。小学校のころ、太鼓をたたくためだけにわざわざきたことがあるだけだった。だから、こんなにもいろいろと祭りの出見せに立ち寄ったのは、正直初めてだった。僕よりも、エマや祭りに初めてきたはずの鉄のほうが、祭りのことをよく知っているようにも思えた。夏の外の世界に疎いと、こんなふうに恥を書くことにもなるのだと知った。
ちなみに、エマは、一緒に祭り会場に来たはずなのに、気がついたらいなくなっていた。
とりあえず祭りでやるべきことを一通り終えて、屋台に並んで夜ご飯を食べていると、漫画部員たちが集まってきた。エマは神林と幸と3人で行動していたようだ。
「やっぱ日本の祭りはいいねえ。屋台のご飯はおいしいし、景品はかわいいし、金魚はいっぱいだし…。それにラストは花火…。最高だね。」
「エマさん。アメリカだって祭りはあるんじゃないっすか?」
佐野が勢いよくしゃべりつづけるエマをまじまじと見ながら言う。
「あるけどこんな楽しくないもん。屋台はハンバーガーしか売ってないし、こんなにたくさんゲームないし、なんてったって金魚救いなんてコーナーないよ。」
「金魚なんて気持ち悪くて、おれ差割れねえし…。」
田浦もあまり祭りを楽しめない部類の人間らしい。エマは、「男子勢はだめねえ…。」と下を向いた。
もうすぐ花火が上がる。きょうは花火がよく見えそうな天気だ。雨が降る気配もない。きっとこれで無事花火が上がると、夏は音もなく過ぎ去って季節は変わっていく。エマはもうすぐ日本を発つ。そしたら、この奇妙な夏も終わりを告げて、僕はいつものなにもできない凡人に戻れる…。
突然鉄がみんなで食べている席を立ち上がった。
「どしたの、たもっちゃん。」
佐野が一番先に気づいたようで、鉄に声をかけた。
「ちょっと呼び出された。」
「呼び出されたって誰に?」
田浦が好奇心旺盛な感じで聞いたが、そのときには鉄はいなかった。
「なんだよたもっちゃん。つれないなぁ。いつもはもっと明るいのに…。」
佐野がつまらなそうに綿菓子をなめる。だが、空気はかなり深刻だった。
勇ちゃんがその深刻そうな空気を言葉にした。
「あいつ、女に呼び出されたんじゃないか?」
「まじ?誰だろうね…。」
神林がにやにやしながら、鉄の行った方向を見つめる。
「誰なのかって、そんぐらいわかるだろ。」
僕もなんとなく気づいていた。彼を誰が呼び出したのか。それは、いままでの保のことを、そしてこの夏のエマと保の関係に大きく影響を与えているできごとについて考えればわかる。
僕はエマの顔を見ないようにした。エマはもうかなり前に気づいていただろうか。花火を見る前に、エマと家に走って帰ったほうが、彼女をつらい目に合わせなくて済むかもしれない。でも、僕はそれができなかった。
エマが勢いよく席を発ったのはそのときだった。
「ちょっとエマさん…。」
幸が止めようとしたけれどだめだった。エマは残っている焼きそばとアイスクリームも知らずに、鉄を探しに行ったのだ。
1発目の花火が上がったとき、僕とエマは鉄を見つけた。一番花火がよく見える、祭り会場から少し離れた丘の上に彼は立っていた。その丘のうえにいるんじゃないかと僕が予想できたのには理由がある。なぜなら、それは、鉄に彼女ができる瞬間を
僕が漫画に書いたときに選んだシチュエーションと同じだったからだ。ホームステイの回とは別に書いた漫画で、鉄は恋人をつくる。誰が彼女なのかはここでは言わない。丘の上に立った二人は、一番大きな花火が打ちあがったときに、キスをする。その瞬間二人は恋人になる。そのシナリオ通りなら、彼らは丘のうえに立っているはずだ。そう思ったから、僕はエマをつれて丘のうえまで走った。
エマは二人のそばには近づかなかった。近づく有機が出ないのだ。それは僕も同じだ。もちろん、花火を見上げて美しいと感慨にふける余裕もなかった。僕たちは、夏の魔物に動揺していた。
一番大きな花火が上がったとき、僕はエマをひっぱった。よく見てみろと、二人を見せた。
漫画のページが目の前にあるみたいに、二人はキスをした。二人は恋人になった。この瞬間、二人は野球部の選手とマネージャーという関係ではなくなった。椿の夢がかなったのだ(椿の夢なのかはわからないが)。
すべて鉄の計算の中だった。二人はきょう夏祭りで会うことにしていた。だからこうしてなんの問題もなく、すべてが美しくうまくいったのだ。誰もなにも気づかないまま、彼らに幸せは訪れた。
そして、丘に上ってきてしまった僕たちは「ばか」だった。そして、エマを無理やりひっぱってきてしまったすべてを知っている僕も…。
「なんで…。」
花火を見て騒ぐ人たちの中、エマは小さな声で言った。でもそれはすぐに涙に変わった。
「Fuck you!」
エマはそう言うと、もうあとはなにも言わなかった。
「タモンはね、出会ったときからすっごくかっこよかった。小学生のときのある朝、エマがジョギングしてたとき、エマよりずっと早く、風みたいに走るかっこいい男の子がいて、誰かなあって思ってたの。そしたら、それは転校してきたばかりの日本人のTamotsu Kuroganeっていうんだって知った。実はみんなもうわさしてたの。すごいかっこいいジャパニーズがいるって。それがタモンだったの。エマは、がんばってタモンと仲よくなろうって思った。だからお母さんに教わって日本語も覚えた。でもタモンったら、英語ぺらぺらで、エマが日本語覚える必要なんてなかった。だから簡単に仲よくなれた。中学も高校も一緒に入って、チア部に入って、彼の野球部の応援もしたの。タモンは喜んでくれた。そのうちに、家にも呼んでもらえるようになって、ホームパーティーも一緒にした。二人でちょっと遠くに行くところまでいった。でもね…彼はエマの彼氏にはならなかった。」
エマは日本にかえる前夜、僕の部屋で泣きながらそんなふうに語っていた。祭りの日以来、エマは引きこもっていた。どちらにしろ、日本を発つ日が近かったので、引きこもっていたのは数日だったけれど。そして、日本にかえる前夜に、彼女は僕の部屋に立ち寄った。
「タモンは、エマが告白したとき、自分は日本にかえるってことを伝えた。だから付き合えないって…。でもそんなの…。言い訳だった。」
「言い訳って…?」
「言い訳よ!日本に帰っていい女を探すためだったんでしょ?エマのことなんて興味なかったんだ。日本に行くだけならエマと付き合ってくれたはずなのに…。なによ、女と付き合ってたからエマと会おうとしなかった。ホームステイ先にもしなかった…。」
「違うよそれは…。」
僕は自分の漫画を見せてでも説明しようとした。でもその有機も出なかった。うまく説明できないとわかったから。もうエマはとめられなかった。
「なにが違うっていうの?タモンは嘘をついた。はっきり嫌いって言ってくれればよかったのに…。ただ離れてくれればよかったのに…!」
ヒーローは、女をなかせたりしない。みんなを笑わせるのがヒーローだ。きっと、彼女を泣かせたのはヒーローじゃない。こんなキャラクターを登場させた漫画を書いた僕だ…。
「ごめん、ちゃんと教えてあげればよかったね…。」
そう言って弁解してもだめだった。彼女は泣き続けた。
「あんたがなにやったって変わらないよ。エマはだまされてタんだから…。」
ヒーローを責めちゃいけない。ヒーローは悪魔じゃない…。そればかりが心の中でぐるぐるした。僕はいつだって、ヒーローを正当化したかった。
でもそんなことをしたってなにも解決しない。エマにとって、ヒーローは悪魔になってしまった。僕の漫画の中では、常に鉄保はヒーローなのに…。
そしてエマが日本を去る日が来た。空港でエマは僕にこんなことを言った。
「ねえ、お願いがあるの。」
「なに?」
「タモンがあの女と分かれたら教えて。そしたら次は絶対にエマと付き合ってもらうから…。」
エマという夏の魔物は、そうお願いを残して、日本を差って言った。でもあいつは、最後に僕に頭を下げた。
「ありがと。あんたはおもしろいよ。ばかだけど…。一番楽しい夏だった。」
「ほんとに?」
僕がそう尋ねると、エマは、海に行こうといったときみたいに、夏祭りに行きたいといったときみたいに、強い目で僕をにらんだ。
「エマは嘘つかないから…。ちゃんと受け止めなさいよね!」
やっぱり僕はあいつのことがよくわからない。漫画に書いたときに、エマのことはあまりしっかり考えなかった。どんな女の子にすればいいんだろうと真剣に考えずに書いていた。ただ、保の幼なじみとして登場してもらっただけだった。でもやっぱり、現実世界に飛び出したエマは、そんな簡単に済ますことのできない人生を生きていたんだ。
夏の魔物のいなくなった日本の夏はそれでも暑くて、それでも長かった。こうして、また僕を苦しめる学校生活が始まる。夏が終わったとき、ヒーローはどんな顔をしているのだろう。どんな顔で、椿と街を歩くのだろう。アメリカに残した、かわいい魔物のことを考えながら…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?