私の留学経験

私がいつも海外に行くときに必ず利用している中部国際空港セントレアが開港16周年だそうです。私が初めてオーストラリアへ短期留学したのがちょうど開港した頃。出発して数日後に開港し、行きは小牧空港(県営名古屋空港)から出発し、帰りに初めてセントレアを利用しました。

1ヶ月の語学研修後、いつか必ず英語を使えるものにしたい、そして必ず同じ場所に戻って大学に行きたいという思いで日本に戻り、到着した場所がセントレア。なので、なんとなく今の私につながる始まりの場所という感じがします。そして、その後のたくさんの挑戦もセントレアから始まっていたので、私にとってセントレアは特別な場所です。

今日は、よくご質問のある私の留学経験について簡単にお話したいと思います。私の留学は1度ではありません。学生の頃は、大学生の頃しか留学できないと思っていましたが、私は合計5回留学しています。どこへ何を勉強しに行ったのか、簡単に紹介していきます。

1.オーストラリアで4週間の語学研修

私の初めての留学は、大学1年生の春休み。大学が募集していた協定大学付属の語学学校への4週間の語学研修です。

英語に興味を持ち始めた頃から大学生になったら必ず留学する、そして行き先はカナダと心に決めていたのですが、大学生になると、お金の数字も現実的になり、高校生の時にアメリカの同時多発テロ事件があり、アメリカ留学だけでなく留学自体心配されることも多い時だったので、お金と周りの心配があっても、とにかく一度海外で勉強してみたいという気持ちが勝ち、「行き先」よりも「行ける」ということを優先して決めました。

その行き先がオーストラリアタスマニア。良くも悪くも人生が変わるような経験でした。

留学アドバイザーの仕事もするようになった今、支払った金額を考えるとありえないレベルで豪華な4週間の留学だったと思います。大学からの短期語学研修だったからかどうかはわかりませんが、自分で留学した時とは比べられないほどしっかりお世話をしてもらえて、たくさんのアクティビティが用意されていました。現地の大学生や現地の小学生との交流の機会があったり、有名な観光地への遠足や宿泊の旅行まで組み込まれていました。

当時は不満もたくさんあり、良かったことより嫌だったことの方が多かったのですが、結局4週間過ごしたキャンパスに戻りたい、この場所で勉強したいという気持ちで帰国しました。

2.オーストラリアで交換留学

1回目の留学後に心に決めた通り、同じ場所へ戻って大学で勉強しました。2回目の留学は、タスマニア大学への交換留学です。

高校の頃に海外の大学に正規留学したいという気持ちもありましたが、通っていた高校が超地元思考で、東京に進学するのは無駄なことだと言い、海外の大学に行くなんて考えは一切ない先生に囲まれていました。私は日本が好きで英語は使いたいけど最終的に日本で就職したいと思っていたので、結局日本の大学に進学したのですが、大学生になったら絶対に交換留学で海外の大学で勉強しようと思っていました。高校生の時、カナダの大学へ交換留学できる大学も探して受験したのですが、結局合格した大学は、交換留学先のほとんどが非英語圏。なんてところに入学してしまったんだと最初はもやもや過ごしていましたが、今となってはそれでよかったと思っています。

私が通っていた大学の話で、今はまた仕組みが変わっていますが、当時の交換留学の一番の利点は、日本の大学に授業料を支払えば、現地の大学に授業料を支払わずに通うことができること。日本で私が通っていた大学の授業料は留学先大学の半額以下だったので、絶対に選考に受かりたいと思い、この時はかなり勉強しました。大学受験の時とは違い、目的も勉強内容もはっきりしていたので、1度しかないチャンスと思い緊張はしましたが、辛くはありませんでした。そして、もう1つの利点は、選考時に1番に選ばれたら、返済不要の奨学金がもらえたこと。選考のための勉強をしながら私がアルバイトで得られる金額よりも確実に多くもらえます。極度に緊張するし、しゃべるのも苦手で面接が大の苦手なのに、当時の私は何を根拠に大丈夫だと思ったのか、アルバイトはパソコンと航空券を買える分だけ貯めようと決め、思い切り勉強ばかりしていました。でも、その熱意が伝わったようで、無事奨学金を得て、交換留学生になることができました。と言っても、物価の高いオーストラリアでは、奨学金は生活費分くらいにしかならなかったので、出世払いするから今は勉強したい!と勉強ばかりしていた私をサポートしてくれた両親がいたから留学できたので、両親に一番感謝しています。

選考のためには、TOEICの勉強をし、留学のためにはIELTSの勉強をしました。そのあたりは、また別の機会にお話したいと思いますが、選考時のTOEICスコアは730、ビザのために留学先から入学許可書をもらうためのスコア提出時のIELTSスコアは6.0でした。

このときもいろいろあって、思い通りにいかないことやトラブルだらけ。人生の勉強になったので、ある意味よかったのかもしれませんが、今だからそう思えるだけで、かなり過酷な日々でしたし、そんな経験をしなくて済んだら、また違う経験ができていたかもしれないとも思います。気候はいいし、ごはんもおいしいし、いい出会いもたくさんありましたが、留学アドバイザーの仕事もしたいと思うのは、辛かった思い出があるからかもしれません。

この留学は合計9ヶ月間、半分ホームステイ(3軒)、半分はシェアハウスに住んでいました。語学学校にも奨学金とビザの関係で15週間通い、大学に1学期間通い、社会学や政治学、観光通訳の勉強をしていました。オーストラリアでの大学生活は、勉強は大変ではありましたが、本当に楽しかったです。

3.カナダで4週間のフランス語短期留学

オーストラリアからの帰国の1ヶ月後、大学4年生の夏休みに、やはりどうしても子供の頃からの夢を叶えたくて、カナダに4週間留学しました。旅行でもよかったのですが、やはり住んでみたいという思いと、フランス語を話せるようになりたいという思いがあって、4週間、モントリオールの語学学校に通うことにしました。

英語もできるようになっていたので、1人でできることも多く、本当に楽しかったです。大自然の中の小さな街や日本の田舎からモントリオールへ行った私は、憧れの街中での生活は本当にうれしかったです。本気で勉強するというよりは、その街に溶け込みたかったという感じだったので、もちろん勉強もしましたが、毎日たくさん街中を歩きました。

私はもともとフランス語の勉強がしたかったので、毎日フランス語が聞こえてくるのがとてもうれしかったのを覚えています。

大学2年生までフランス語の授業を取り、仏検3級は持っていたのですが、スピーキングの勉強はほとんどしていなかったので、初級クラスで勉強しました。やさしめのレベルのクラスにいたので、たくさん単語も覚えられたし、たくさん話す練習ができたと思います。

フランス人のホストマザーのお家にホームステイしました。運悪くトラブル続きだったオーストラリアのホームステイとは違い、カナダでのホームステイは、日本の生活との違いももちろんありましたが、オーストラリアでのホームステイと比べて本当に快適でした。そのあたりの話は、また別の投稿で。

4.韓国で4週間の韓国語短期留学

最初の仕事を辞めた26歳の時に、再就職する前に1ヶ月ソウルにある語学学校に留学しました。大学で1年間朝鮮語の授業を週1で受けていて、最初の仕事をしながら韓国語教室に通っていたので、初級のまとめくらいのレベルで留学しました。

すごく留学したかったというわけではないのですが、リーマンショック後に新卒ですぐ仕事を辞めて転職活動に行き詰まっていた私に、オーストラリア留学時代の友達が提案してくれて1ヶ月韓国で生活してみることにしました。当時は授業料、宿泊費、飛行機代がそれぞれ5万円くらいだったので、英語、フランス語の留学と比べてかなり安く済みました。ランチが400円くらいの時代で、今はかなり物価が上がっているので、もっとかかりますが、それでもやはり英語圏に比べると安く留学できると思います。

このときは、友達が見つけてくれた新村にあるコシウォンに滞在しました。びっくりするくらい狭かったけど、いい経験だったと思います。オーストラリアのもう少し広い部屋でも狭くて辛いと思っていた自分が平気だったのにはかなり驚きでしたが、やはり気持ちの問題だったのかなと今では思います。

韓国人の友達がかなり頻繁に会ってくれて、友達の友達と遊ぶ機会を作ってくれたりして、そのおかげで韓国語はかなり上達したと思います。先生も、頻繁に韓国語で書いた日記をチェックしてくれるようなかなり熱心な先生で、この1ヶ月でますます韓国人が好きになったのを覚えています。

このとき、日本人のクラスメイトとよく一緒に出かけていました。夫の駐在についてきた女性、今の私くらいの年齢でスキルアップのため韓国語を勉強していた男性、定年退職後に勉強を始め住んでみたくなって韓国にやってきた男性など、若かった私をランチや買い物に連れて行ってくれて、1人では行きづらいところに連れて行ってくれたり、いろいろな話をしてくれました。おかげで、1人でも出かけられるようになったし、日本に帰ったあと何をしようか考えることができたので、もう連絡もとれませんが、今でもとても感謝しています。

この留学後、TOPIKの初級を受けて、2級に合格しました。

5. フィリピン・セブ島で1週間の短期留学

これは、30歳を過ぎてからのこと。特に言葉の勉強をしたかったわけではないのですが、留学アドバイザーの仕事を始めたばかりで、フィリピン留学がかなり人気になっていたので、留学アドバイザーの経験として行ってみたいなと決めた留学です。2週間の滞在中の1週間を学校で過ごしました。ちょうど仲の良い友人が2ヶ月の留学をしていたので、その友人の最終週に合わせて行き、一緒に旅行して、一緒に日本に帰国しました。

私は先生と同じくらい英語ができたので、このときは一般英語ではなく、医療英語のクラスを取りました。初めてのフィリピン、驚きもたくさんありましたが、フィリピンが大好きになりました。

5回の留学で思ったこと

私は、留学は大学生のうちにしかできないと心から信じていました。もちろん、数年働いた後に退職して留学したり、ワーキングホリデーに出かける人は当時からいましたが、就職したら同じ会社で長く働くのがよいと思っていた私には、それはできないと思っていました。

でも、そんな私にもチャンスは何度もやってきました。行きたいけど、今じゃない。行きたいけど、ここじゃない。行きたいけど、今は金銭的に無理。いろいろと我慢したことも調整したこともあります。でも、優先順位を考えて、変更して、その時は我慢して辛い気持ちになったりもしましたが、今になっても後悔したり、やり残したと思っていることはありません。実現しなかったことも、予想外に実現したことも、よかったかは別として、あちこちで役立つ経験や勉強になっていると思います。行きたかった場所には出張や旅行でいけるようになったり、勉強したかった内容が今はオンラインで勉強できるようになったり、形が変わっても、やってみたかったことをするチャンスはまたやってくるかもしれないと今は思っています。

お金に関して、5回も留学をしているので、確かにお金はかかっています。ですが、私の周りの一人旅の好きな友人の話を聞くと、使っているお金はあまり変わらない気がします。仕事の関係で、ゴールデンウィークやお盆に1人でパッケージツアーに出かけると、1ヶ月の留学と同じくらいお金がかかることもあります。希望を追求すると留学費用は果てしなくかかりますが、うまく計画を立てれば、なんとか貯められる金額で留学することも可能です。

それから、留学で得られるものは、語学力ではないということ。もちろんそれも1つではありますが、帰国して思うのは、どの言語でも、どのレベルに達しても、もっと頑張ろうという気持ちになるだけで、うまくなった!と思って帰ってくることはありませんでした。だから、留学の際に「語学力を上げる」という目標は立ててもいいですが、第一の目的にしないほうがいいと思います。伸び悩んで辛いと思う日は必ずやってくるし、私は翻訳者として働けるレベルまできても、まだ満足していません。資格を取る、いつまでに大学を卒業する、行ってみたい場所に行くなど、達成したときに明らかにわかる目標はいいと思います。留学エージェントには怒られるかもしれませんが、私のように「街に溶け込むように暮らす」など、帰ってもっと頑張れるのであれば、私は人生にそんなときがあってもいいと思います。

語学力を上げるため、日本人同士で一緒にいない方がいいと良く言われますが、私にはそれは当てはまりません。相手が日本人でも、年齢や出身地、経験してきたことは違うし、一緒にいろいろな話をしたり、いろいろな経験をすることで、コミュニケーションの楽しさを知れば、自然ともっと外に出たくなるし、勉強したくなるからです。その人と常に一緒にいるわけではないので、少なくとも私には外国でずっと1人でいる方が辛かったし、勉強や外出から遠ざかる理由になっていた気がします。

よく質問のある、どこに留学していたのかについて書いてみました。留学については他にも聞かれる質問があるので、また少しずつ書いていこうと思いいます。

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