過去の事例から学べることと学べないこと

型にはまらないことを常に意識はしていたい。大抵のことは型にはまっているように見える。ネットの占いに関する発信を見ていても同じようなものが多い。占い師の発信することはこういうもんだろというのを真似ている人が多いと思う。それは無意識にしているのかもしれない。確かに有効性の高いスタイルがあれば、それを真似るのは賢い選択かもしれない。しかし、そのスタイルは過去に有用だったかもしれないが、今現在そうであるとは限らない。そしてコピーされたものは大体において退屈である。
そういう意味では、つまらないと思ったら即座に反省して取りやめるということが必要だと思う。しかし、仕事というのは退屈であるのが当たりまえだという固定観念がそれを正当化しているのかもしれない。中には何が退屈なのかさえわからなくなってしまっている感覚の麻痺した状態の人もいるだろう。
考えるといけないというのは、データとか過去の事例とか古い枠組みの中にあるものから判断して行動しようとしてしまうからだというのもある。成功者の真似をしようとしても、その人は過去に成功したが、現状としては既に腐敗しつつあるかもしれない。コピーするならば、生き生きとているものを生き生きとしたまま真似をする必要があって、死骸の姿形を再生産しても仕方がない。
研究的ではないエンタメ的な占いにしても、あまり目新しい活動はないように見える。少し詳しい人は誰も真剣に当たると思っていない太陽星座占いなども、かつては占星術の普及に一役買ったのだろうが、いつまで続けるんだと思わざるを得ない。太陽星座占いは明らかに占星術の死骸だ。業界の人はご飯を食べるためにそれを擁護してしまうのだろうか。
型にはまらないということで言えば、宗教に限らず何かの思想なり体系なりカリスマ的な人物を信奉している人は、その世界観の繭に包まれて染まってしまっていて、安心感を得ていることが多いように見える。そうするとその人が本来持っているはずの深みのある個性は奥に引っ込んで、その世界観を共有するお仲間たちと同じようなことをいう量産型の人物になる。スピリチュアル業界にも、そうやって気持ちのいい状態に浸っている人が多いと思う。でも本当は、素晴らしい師匠について行けばオールオッケーなんてことはあるはずがない。臨済録でも読みましょう。
他人のnoteの記事を見ていても、わけのわからない無内容なことを書いている記事にたくさんいいねがついていたり、深い内容の記事があまり広がっていなかったりしている。なかなかSNSというものは不思議なところだなと思う。大衆心理を考える上で面白い題材にはなる。Youtubeでショート動画が出始めたが、そもそも流行っているYouTuberの動画は、無料で見ることができるので、刺激的で好奇心を煽るような題材のものがそもそも再生数が伸びやすい。ショート動画はそういう性質に特化したものであると思う。YouTuberというものが世に出始めて何年か経つので、かつて調子が良かった人でも失速してしまっている人もたくさん出てきている。ではなぜある人は生き残り、ある人は脱落するのかを分析してみる価値はある。占星術と絡めて考えることも可能だと思うが、教科書は大抵基礎的なことしか書かれていないので、特定のテーマに特化した読み方はやはり自分で開発しないとできない。

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