新たに打ち上げられた小型月着陸実証機SLIMの意義と人類による月探査の展望
2023年9月,鹿児島県の種子島宇宙センターから新しい月面探査機が打ち上げられました.日本の宇宙航空研究開発機構JAXAによって開発されたこの探査機はSLIMと呼ばれます.SLIMは,打ち上げロケットから無事に分離され,これから3ヶ月ほどかけて月に向かい,その後月面への軟着陸を試みる予定です.もし成功すれば,日本にとって初めての月面への軟着陸達成となります.
近年,月面探査に対する関心が世界各国で高まっています.特に積極的な取り組みを展開しているのが中国です.中国は2013年,ソ連とアメリカに次いで,世界で三番目に月への軟着陸を成功させました.そして2019年には,世界に先駆けて月の裏側への無人探査機の軟着陸を達成し,続く2020年には無人探査機を用いて月面サンプルを1.5kgほど地球へ持ち帰るという偉業を成し遂げました.
2023年8月にはインドが探査機チャンドラヤーン3号を月の南極付近に着陸させることに世界で初めて成功しました.それに少し先立つ形で,ロシアも47年ぶりとなる月探査機ルナ25号を打ち上げましたが,月の南極付近への着陸は残念ながら失敗に終わりました.
アメリカは,アポロ計画の後も無人探査機を用いて月探査の成果を積み重ねてきました.そして2019年からは,新たな有人の月面探査計画であるアルテミス計画を開始しています.この計画名は,ギリシア神話における太陽神アポロンの双子の妹で,月の女神であるアルテミスにちなんでいます.この計画の一環として,2022年には無人宇宙船「オリオン」が月をフライバイし,地球に帰還するテスト飛行を成功させました.近い将来の有人飛行実現に向け,順調に計画を進めています.
今回は近年活発になっている月面探査について,その背景やモチベーション,月の厳しい環境,そして探査をするにあたって興味深い領域について紹介していきます.
なぜ月を探査するのか
月は私たちにとって,地球から最も近い天体として親しまれてきました.一方で,これまでの探査により,月は生物にとって決して暮らしやすい環境でないということがわかっています.ではそんな月をなぜ私たちは探査し続け,さらに月面拠点や月周回の国際宇宙ステーションの計画を検討しているのでしょうか.
その理由の一つとして,月は宇宙観測に理想的な環境を提供してくれることが挙げられます.近年,アメリカのLIGOや欧州のVirgo,日本のKAGRAといった重力波観測所が建設されて,恒星質量ブラックホールや中性子星の合体現象を続々と検出することに成功していますが,月の静寂な環境は,さらに高い精度での重力波観測に適している可能性があります.重力波の観測では,マイケルソン干渉計の原理によって微小な空間のゆがみを検出する必要がありますから,地球上に比べて振動の発生源がきわめて少ない月面であれば,さらに高精度の重力波天文台を建設できるかもしれません.
また,地球上では大気の影響により,周波数が10MHzを下回る電波で宇宙を観測することはできませんが,大気のない月面であれば可能です.特に月の裏側であれば,地球からの人口電波による雑音も防ぐことができるため,低周波数電波での宇宙観測に適していると考えられます.
月の環境を整えることで,他の惑星などへの探査を容易にすることへの期待もあります.月は質量が地球の約6分の1しかなく,大気も存在しないため,ロケットを打ち上げる際に必要な燃料は,地球からの打ち上げと比べてかなり少なくできます.
ロケットの重量の大部分を占めるのは燃料です.ロケットの打ち上げコストは,1kg増えるごとにだいたい1億円増加するとされています.もし,月で燃料を調達できるのであれば,地球から打ち上げないといけない燃料の量を大幅に減らすことができ,月を起点とした火星や小惑星などへの探査シナリオがより現実的になるでしょう.
これと関連して,資源の観点からも月は注目されています.水素をロケットの燃料とする場合,低温で液化しておいた水素と酸素を反応させ,生じた水分子を爆発的に後方へ放出します.その反動によってロケットを前進させるわけです.その場合に必要な水素と酸素は,水を電気分解することで得られますから,月面にまとまった量の水が存在していれば,ロケットの燃料を月で調達できることになります.
月面で水が多く存在している可能性がある領域として,北極と南極が挙げられます.月の自転軸は公転面に対してほとんど傾いていないため,月の極地では太陽の高度は低く保たれます.その結果,極地付近にある深いクレーターの底のあたりは常に日光が届かない状態,いわゆる永久影となります.そうした永久影はとても低温の状態に保たれますから,凍結した水が氷として保存されている可能性があるというわけです.
また,ヘリウムの同位体であるヘリウム3も月で得られる有望な資源の候補です.一般的に知られるヘリウムはヘリウム4で,これは2個の陽子と2個の中性子で構成されます.一方ヘリウム3は,中性子が1個しか含まれていないヘリウム原子ですが,核融合の燃料としてのポテンシャルを持っています.
ヘリウム3は,重水素との核融合によって,ヘリウム4と陽子に変わる際に大量のエネルギーを放出します.原子力発電では核分裂を利用してエネルギーを取り出していますが,放射性廃棄物が生じてしまう問題があります.それに対して核融合では高レベルの放射性廃棄物が生じないため,より環境に優しい発電方法として研究が進められています.
地球上ではヘリウム3は希少で,ヘリウム4の100万分の一しか存在しません.それに対し、太陽から放出されている太陽風にはヘリウム3が比較的多く含まれていて,その一部は月面に吸着していると考えられています.ある試算によると,月面に吸着しているヘリウム3をすべて採取できれば,地球上での現在の電力消費を数千年間まかなえると言われています.とはいえ,月面のヘリウム3を効果的に収集する技術や,核融合発電の技術自体もまだ確立されていないので,実用段階に到達するには時間がかかると思われます.
月を探査する上での困難
月面探査はこうした多くのモチベーションのもとに進められていますが,月面の環境は私たちが想像しているよりはるかに過酷なものです.
地球上では,大気によって熱が運ばれるため,直射日光を受けている場所と受けていない場所の温度差は緩和されます.一方,月には大気が存在しないため,日光を受けている場所と受けていない場所の温度差は非常に大きくなります.実際,日当たりの良い月面では温度が摂氏120度に達しますが,日陰では-80度ほどしかありません.夜間になるとさらに温度は下がり,-170度にまで冷え込みます.そして,月の寒冷な夜は約二週間も続くため,そうした厳しい環境を乗り越える工夫が求められます.
大気がないことで隕石の影響も大きくなります.地球では,飛来してくる隕石は空気抵抗で減速し,多くは地表に到達する前に燃え尽きてしまいます.しかし,大気のない月では,様々な大きさの隕石が重力に引かれ続け,秒速10km以上もの高速で月面に衝突します.これはライフル銃の弾の速さの約10倍に及びます.
そうした多数の隕石の衝突の結果として,月面はレゴリスという微細な砂で覆われています.レゴリスの粒子は直径0.1mm以下で,地球の砂浜の砂より小さく,小麦粉と同じ程度の細かさです.月面はもともとは岩石の塊でしたが,高速で飛来する多数の隕石の衝突によって細かく砕かれていったと考えられています.
また,月面では磁場がほとんどなく大気もないため,宇宙から飛来する高エネルギーの電磁波や粒子の影響も強く受けます.地球では内部に液体の金属が動いていることで地磁気と呼ばれる磁場が生じていて,中心に大きな棒磁石を持っているかのような働きをしています.太陽や超新星残骸などから飛来する高エネルギー粒子の多くは帯電していますから,地磁気のおかげで地表へ達する前に軌道は地球から逸れていきます.大気に入ってくるものもありますが,大気中の原子や分子によってその威力は減少します.
結果として,地表での放射線量はいろいろな寄与を考慮しても年間2ミリシーベルト程度に抑えられています.それに対して,月は磁場も大気もほぼ存在しないため,宇宙からの高エネルギー放射線の影響を強く受けます.月面での放射線量は年間100ミリシーベルトから500ミリシーベルトとされ,これは発がんリスクが無視できない水準に相当します.特に太陽フレアの際は,放射線量が普段の100倍から1万倍にも増加するため,極めて高い注意が必要となります.実際,国際宇宙ステーションの乗組員は太陽フレア時には放射遮蔽能力の高いエリアに退避します.月面探査でも,そのような放射線対策が不可欠です.
どこを探査するべきか
月面探査ではどの地点を優先すべきでしょうか.
まず挙げられるのが,氷の存在が予想されている極地付近の永久影です.過去の月周回衛星による調査から,大きいクレーターの内部であっても反射率は高くないことがわかっているため,スケートリンクのような大きな氷が存在している可能性は低いと思われます.ただ,彗星や隕石が運んだ微細な氷や,地下マグマから放出された水が氷に変わって永久影に残されている可能性は考えられます.永久影における氷の有無を明らかにするためには,これまでのような衛星からの観測ではなく,直接月面に着陸して,永久影の近くで詳細に観測することが重要とされています.
こうした永久影での探査が重要なのは,もし水を採取できれば,その水を使用して月面でロケット燃料を生成できる可能性があるからです.月面で水を調達できるようになれば,月を基盤とした火星や小惑星などへの探査活動が容易になります.月からの打ち上げは,地球からの打ち上げに比べて燃料の効率が向上するため,コスト面の大きなメリットが期待されます.
なお,永久影に氷がない場合でも,月面での燃料調達の手段は他にも考えられます.それは,太陽風によって運ばれ,レゴリス表面に吸着した水素を分離するという方法です.永久影の氷を利用する方法に比べるとコストや手間がかかるかもしれませんが,他の元素との性質の違いを利用してうまく分離できれば,まとまった量の水素ガスを採取できるかもしれません.
他には日照率の高いエリアも優先して探査すべきと考えられます.月の寒くて長い夜を避けるために,太陽光が豊富に当たる場所は有人基地の設置に理想的です.幸い月の自転軸が公転面に対してあまり傾いていないことから,極地付近では年間を通して80%以上の間,日光に恵まれるエリアがあります.そうした場所では,太陽電池を用いての発電および蓄電によって日陰となる時期をしのぐこともできそうです.
しかし,問題点もあります.これまでの探査データによれば,高い日照率を持つエリアは月面で5ヶ所に限られていて,そのうち月の表側で地球と交信しやすい地域にあるのは2ヶ所だけです.加えて,それらのエリアのサイズは数100メートルほどしかなく,外れてしまうと日光がほとんど当たらないケースもあります.これまでの探査機の着陸精度は数kmから10数kmでしたから,探査計画における大きなリスクとなります.
この問題を解決するために,着陸精度を大きく更新して100mの精度へ高める技術の実証を目指しているのが2023年9月に打ち上げられたSLIMです.SLIMによる着陸実証は2024年はじめに予定されていて注目を集めています.
また,縦穴と呼ばれる特異な地形も優先して探査すべきとされています.これは日本の衛星かぐやにより発見されたものですが,最大で直径約100m,深さも約100mに及ぶものが存在するとされています.この特殊な形状は,通常の月面上のクレーターとは明らかに異なる特徴を持っていて,その成因については確定していません.有力な説として,溶岩トンネルの天井部分に生じた穴であるとの見解が存在します.地球においても火山活動の影響下で形成される溶岩トンネルは一般的です.
それらの縦穴の内側にあるのが溶岩トンネルだったとして,どれほど広がっているのかは未知数ですが,十分なスペースが確保されていれば将来的に基地の設置に適している可能性があると考えられています.月面は隕石の衝突や放射線の影響が強いため,溶岩トンネル内に基地を構築することで,そうした外部の脅威から基地を遮蔽しやすくなるとされています.
今回は,近年活発になっている世界各国の月面探査について,その背景やモチベーション,月の厳しい環境,そして探査のキーポイントとなる地域に焦点を当てて紹介してきました.月面での探査範囲がまだまだ限定的であることや技術的な難しさを考えると,月をステップとしたさらなる太陽系探査の実現性を感じるのは少し早いかもしれません.
しかし,中国による月の裏側への軟着陸成功や,インドによる南極への軟着陸の成功など,人類の探査活動は確実に前進しています.私たちが目にしているこうした成果は,宇宙探査の新たな章の幕開けに相当しているのかもしれません.月面を含む太陽系探査の今後の進展と新しい成果に期待を寄せながら,本稿を締めくくりたいと思います.
参考文献
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?