イエス・キリストの磔になった時刻は?ChatGPTでアベラール
ピエール・アベラールは11ー12世紀の神学者・哲学者で「アベラールとエロイーズ」(岩波文庫、畠中 尚志 訳と沓掛 良彦 (翻訳), 横山 安由美 (翻訳)の2冊ある。)で有名。アベラールは当時の最先鋭の論客で次々と先輩学者を論破し有名になった。家庭教師先のエロイーズという親戚筋の女の子に子供を産ませてしまい、激怒した父親の手下に睾丸を去勢されたらしい。その後は修道院に指導者として名を馳せるが、エロイーズは恋慕がおさまらずもっとかまって欲しいという手紙を送りつけるも、当時女子からの手紙は戒律で公開されるので私たちもそれを読むことができその愛の深さに涙を禁じ得ない物語。私としてはボーヴォワールやアニー・エルノーとならべるに相応しい強度のフランス女性である。もちろんその真筆を疑う研究はそれなりにある。
そのアベラールはエロイーズとの往復書簡を書いていた頃、Sic et Non 然りと否という書物を残している。聖書や教父の矛盾点を並べ立てた書物であるが、回答はしないという奇妙な書物である。その論法は弁証法一歩手前、トマスは手法として矛盾や対立する点をあげ、トマスは答える、という論法をするようになるがその通過点とも言えるらしい。
前置きはさておき、全体はものすごく長いので紹介するのは二点に絞る。一つ目は今回のキリストを磔刑した時刻について福音書の食い違いを指摘したもの。2点目は(偽)ディオニシオスの天使論である。こちらは次回にでも。
さて、十字架にかけられた時刻であるが、Sic et Nonの序文に取り上げられている。まず新共同訳(1987年版)を確認しておこう。
マタイで時刻がわかるのは27:45の「昼の12時に全地は暗くなり、それが3時まで続いた。」
ヨハネでは19:14にピラトの裁判が12時とのこと。時刻について他に明確な記述はない。
ルカでは23:44でお昼の12時に全地が暗くなり3時まで続いたとしている。マタイと同じである。
マルコでは、15:25に十字架につけたのは午前9時とのこと。15:33で昼の12時に全地が暗くなり3時まで続いたとある。
それではアベラールがこのシーンについて述べたラテン語本文を見てみよう。テキストデータは下記から。ただし底本などはよくわからない。Migne PLだろうか。
ここだけ切り出して言えることは5つ
・新共同訳には十字架にかけた時間についてはマルコの午前9時という記述のみでアベラールのいうような時間はそもそも書かれていない。
・アベラールが読んだギリシア語聖書では福音書間に十字架にかけられた時間に食い違いがあった。マルコ以外は第6の時、マルコのみ第3の時。
・アベラールの主張するマルコの「第3の時」にせよそれ以外の「第6の時」にせよ、新共同訳は午前9時と翻訳しており、新共同訳とは異なる。
・アベラールは聖書の大元はギリシア語で書かれていたことを知っている。ウルガタなどのラテン語聖書が大元ではないことを知っていてギリシア語を参照している。
・聖なる福音書間に矛盾があるわけがない、という態度を取らない。そうではなくて、写字生の写し間違い、と即物的にドライである。
そこで、ギリシア語の聖書を確認してみよう。いつものサイトを利用させてもらう。下記はマタイへのリンク。ここからそれぞれの福音書に辿れる:
単語それぞれの意味
「ἕκτης」(hexēs)はギリシャ語で「6番目」または「6番目の」時間「σκότος」(skotos)は、ギリシャ語で「暗闇」または「闇」
「ἐγένετο」(egeneto)は、ギリシャ語の動詞で、「なった」「生じた」「発生した」
「γῆν」(gēn)は、ギリシャ語で「地球」または「地面」
「ἐνάτης」(enatēs)は、ギリシャ語で「第九の」
次にヨハネ
次にルカ
最後に一番時刻について詳しいマルコ
ChatGPT
ὥρα 時間、τρίτη 第3の、「ἐσταύρωσαν」(estaurosan)は、動詞「σταυρόω」(stauroo)の過去形で十字架にかける
全体通してこのギリシア語聖書の時間は現代時間とどうあわせていいかわからない。6時から暗くなるというのは夜明け直後、冬ならまだ夜が明けていない。
それで6時〜9時は第6〜第9の時刻とするとマタイ、ルカ、マルコで一致している。この時間すら新共同訳とあってない。当時の時刻の解釈で収まるのかどうかわからない。このギリシア語の意味する時間についてネットでは日本語の記事は検索しても見つからなかった。今後わかればレポートします。
アベラールはγ(ガンマ)の書き間違いと書いたがそもそも時刻にγが使われていない。ということでアベラールの見ていた写本が異なるのか、彼の思い違いなのかはっきりしない。
そこで聖書の本文研究の本「書き換えられた聖書 バート・D・アーマン ちくま学芸文庫p141, 169」によると、聖書の異文は実は18世紀のジョン・ミルによって3万箇所も指摘されているらしい。聖書の表現の揺れはかなり大きいようだ。ミルは百種類ものギリシア聖書を参照したとのこと。またラテン語のウルガタ聖書は一万あるらいい。p150。現存する異文の数は、新約聖書の単語数より多いとのこと。
同書には、意図的な改ざん偶然の改ざんなどの例が紹介されている。また写字には略字が使われていたらしい。γやς' なども使われていたのかもしれない。
また、同書によると、聖書の本文研究を始めたのはプロテスタント勢のようだ。何せキャッチフレーズは「聖書のみ」。その後カトリックも始めたらしい。そうなるとカトリックとプロテスタントで本文は同じなんだろうか?という疑問もわく。共同訳があるくらいだからギリシア聖書の本文確定も合意しているのかもしれない。カトリックは総本山があるがプロテスタントの意思決定はどうするのだろう?また私が引いているサイトの本文はどのくらい信頼性がある?と考えるとなんだかよくわからなくなる。
こうなると実証的にはアベラールの主張に合う大元の写本を探してこなければいけない。もしくは専門研究としてそこを解説した注釈書などが必要である。残念ながら中世思想原典集成もこの点は解説していない。
最後にもう一点、「キリスト処刑の日の特定」として国立天文台のかたが下記の発表をしている。
https://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/history6/24Soma.pdf
「キリスト処刑の日は西暦30年4月7日」とのことである。前提として
としており、この時間についてはちゃんと研究されているようである。これ以上はお手上げなので一旦ここで終わりにします。
まとめ
聖書は古代に手書きで広まった文書である。その異文の存在をアベラールの文言をきっかけに確認した。特にキリストが十字架にかけられた時刻についてすらネットで無料で手に入る合理的な説明は日本語では存在しない。
アベラールの発想では聖なる聖書に間違いがあるはずないという発想をせずに写字生の写し間違いとあっけらかんとしているのが興味深い。異文についてあれこれ言うよりアベラールの信仰への考え方を思索する方が面白いかもしれない。比較すべきはアベラールを異端として告発した論敵 聖ベルナルールであろうか。ベルナールは神秘主義著作集に入っている。
執筆後記:憧れのアベラールのSic et Nonに少し寄れました。間違いだらけの探究かもしれません。ChatGPTを使うことの批判もあるかもしれません。また最低限英語のサイトを読みこなせれば見つかるのかもしれません。調べてないわけではなく本文だってようやく最近見つけたばかりですのでお許しください。
また「アベラールとエロイーズ」についてはエロイーズの性愛について非常に強い表現があり私的には受けていたのだが、中世の碩学である阿部謹也先生も解説しており、このような記述に喜ぶのは私のような拗らせた人だけではないと知り勇気付けられた。後日まとめたい。
なおトップ画像はフランス プロヴァンスのロマネスク様式のサン・ジル・デュ・ガール寺院の向かって右側のタンパンである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?