マドンナのライク・ア・プレイヤーとN.W.A.のファック・ザ・ポリス

マドンナのlike a prayer(1989年)をランニングしながら聴いてゴスペルにびっくり。その後、歌詞を確認して神秘思想にびっくり、ミュージックビデオ見て黒人差別への反対の連帯に3度びっくり。歌詞には5世紀頃に辿れるキリスト教神秘主義やミュージックビデオにはマドンナのこの曲の発表の一年前に発表されたN.W.A.のヒップホップ曲のファック・ザ・ポリスのようなブラック・ライブズ・マター(BLM)が色こく入っている。しかもローマ・カトリックからはバッシングをくらったそうだ(伝聞は聞くが未確認)。マドンナが後年カバラ教に改宗したことからマドンナはローマ・カトリックに自由がないことの不満を感じていたのではないかと思う。(これからの調査事項)
まず、歌詞から入れば一行目から
life is a mystery,
と始まる。人生は謎とか不思議と訳すと間違いではないが歌詞全体の意味が損なわれる。結論から書けばこのmysteryはキリスト教神秘主義の「神秘」を表している。
この神秘主義の起源は古く5世紀くらいの偽ディオニシウスが『神秘神学』はじめで展開した「神との合一」を重視する概念で、プロクロスなどの新プラトン主義をキリスト教に持ち込んだ概念である。

神秘主義は合一したのが神なのか悪魔なのかという線引きが難しく、揺れる概念であったようだ。12世紀にはクレルヴォーの聖ベルナールが神秘思想家として有名だが、彼は元祖母乳プレイヤーである『聖堂で聖母マリアの彫像を前に「あなたの母たることをお示しください」と祈りを捧げていると、彫像が動いて乳を聖人の唇に滴らせた」<https://artexhibition.jp/prado2018/news/20180130-AEJ06169/>ゴシック以降のカトリック美術ではよく出てくる絵である。またベルナールはあろうことか今日まで世界の分断の尾を引く十字軍の煽動者でもある。
歌詞を進むと
I
 hear you call my name  
神が私の名を呼ぶ、と神との合一が始まる。音楽はゴスペルになる。

And it feels like home
がその感覚。
もう少し進むと
In the midnight hour, I can feel your power
Just like a prayer, you know I'll take you there
I hear your voice, it's like an angel sighing
三行目の神からの声は天使のため息のようとあるのは偽ディオニシウスが「天上位階論」で天使の役割やその序列を定義したことから来ている。
神との合一=エクスタシーと捉えるのが神秘主義である。宗教的なテキストでは性的なエクスタシーとは一緒にする必要もないが、俗世間では逆に積極的に一緒にしているようにも感じられる。例えば最近の映画の「アイム・ユア・マン」オーガズムってどんな気分?と男性型ロボットが問い主人公の女性は「自分が・・溶けていく感じよ」「自分が溶け出し」「より大きな何かの一部になるの」と性的なエクスタシーが宗教的観点での感覚に近い表現となっている。ただ手段が異なるだけであるかのようである。

Feels like flying
I close my eyes, oh God, I think I'm falling
Out of the sky, I close my eyes
Heaven help me
fallingは原罪による堕落でしょうか。その後、天国による救済。
 この曲の歌詞はここまでにして、次にミュージックビデオ。
 十字架が燃えている。これはクークラックスクラン(KKK)というアメリカにおける白人による黒人人種差別主義者の常套手段である。したがってこの画像で始まるということは黒人差別がテーマだろうな、と思う。ミュージックビデオの冒頭で全体のサマリーが提示され、女が白人に襲われている、その後教会の中のシーンに入りつつ黒人が連行されている。次のシーンは教会の中のマドンナ。黒人の聖人(キリストか聖人)が涙を流す。マドンナは瞑想し空を飛び女性に受け止められ(falling)、再び助けられ飛び上がっていく(救済される)マドンナが柵をあけ足にキス。聖人は出ていきナイフを残す。マドンナがナイフを拾い上げると手にキリストの貼り付けの聖痕。
ここから冒頭のシーンになりあろうことか白人男が数人で白人女性を襲い、マドンナは手出しできない(位置付けがよくわからない。傍観者?)そこに先ほどの聖人そっくりの黒人男性が女性を助ける、が警察がやってきて黒人男性を犯人と決めつけ連行。犯人の白人男性は隠れている。
ここで印象的に、燃える十字架の前でマドンナのダンス。黒人をプロファイリングすることはKKKと同じ、というメッセージ。黒人歌手によるゴスペルとダンス。ここへの黒人あるいはああマイノリティへの連帯感はこのゴスペルと共に最高の盛り上がりを迎える。黒人成人は自ら柵に戻り、犯人と冤罪された黒人が牢屋の檻に収められ、(映像がシンクロする)マドンナが格子により、白人警官が偉そうにしている。
 現在ではこれはブラックライブズマター運動と名前がついているが、このマドンナの曲が発表(1989年)された前年の黒人ラッパーのN.W.A.による(白人)警察組織への裁判としてFuck the Police(1988年)という黒人からのプロテストとして、根深い黒人問題を少し前まで知らなかった私には「衝撃的」な音楽が発表されている。この曲だけでなくても黒人のヒップホップは、黒人が差別を受けていることを表明しており自由を渇望し、しかもヒップホップは若い世代の白人社会にも広まっていったようなのである。
(例えばNetflix Hip-Hop Evolution シーズン1の4, ストレイトアウタコンプトン)
マドンナはその動きに連帯していたのではないだろうか。マドンナが音楽会社の男性重役のアイドルではなくアーティストになっていったと確信した音楽。

なお、神秘主義はルターの宗教改革でも引き継がれているのでプロテスタントと共通。マドンナの曲ではマドンナの属するローマ・カトリックとアメリカで優勢なプロテスタントの共通項で歌詞を作ってあると思う。マリア信仰を避けていたり、ゴスペルはプロテスタントの文化である。キリスト教、マリアと聞くと宗教そんなに好きじゃないというかもしれませんがコロナ明けイタリアに遊びにいって美術館に行ったらルネッサンス絵画の多くは受胎告知やピエタなどマリア信仰です。ボッティチェルリの描く異教の女神も新プラトン主義に導かれた古代のマリアに結びついているそう(パノフスキー「ルネッサンスの春」思索社 中森・清水訳 1973年版)。
 マドンナのビデオを見て怒り狂ったローマ・カトリック(の教徒、あるいはイタリア社会?)は寛容の無さや黒人差別を露わにしてますますマドンナの失望を買ったでしょう。自ら十字架に貼り付けになって歌ったとも聞きますし。でもカトリックとの確執があったのかどうか伝記やインタビューで確かめなければいけませんのでそれは後日の作業で。このようなマドンナの生はミシェル・フーコーのいうような生存の美学を満たしているでしょうか。キュニコス主義によるスキャンダルな生を満たしているでしょうか。それとも消費社会の中でのパフォーマンスでしょうか。

下記にミュージックビデオなどへのリンクを貼っておきます
 

当時のミュージックビデオ
https://youtu.be/79fzeNUqQbQ

Live8でのライブ 黒人のゴスペル合唱団がのりのりで素晴らしい。ただし観客は真っ白(白人)。
https://youtu.be/pG6FB2p0TcU

N.W.A. Fuck the Police
https://youtu.be/7xz5ZA3vNNo

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https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/madonna-no-ones-going-to-tell-my-story-but-me


偽ディオニシウス 中世思想原典集成 3巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース

ベルナール(ベルナルドゥス) 中世思想原典集成 10巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/クレルヴォーのベルナルドゥス

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