インバル と 都響 のマーラー10番を聴いてきた。


「捏造感」のないクック版はオーマンディの録音からファンで、生演奏を聴くことがかなった。ありがとう。

大地の歌と9番をさらに表現主義的、前衛的にアップデートした、マーラーだったらこうだろうと納得して聴けました。

素晴らしかった!

僕はこの曲の40年来の大ファンだけど、

マーラーの音楽として内容は聞きたいがマーラーのオーケストレーションではないのが微妙な曲。なのでブーレーズはクック版の録音は残してくれなかった。演奏したのかどうかはわからないけど。
ラトルが録音を二種残してくれたのが嬉しい。壮絶な録音。
インバルも二種類残しているみたい。

クック版は素晴らしく再構成してある。

また、この曲は対称性が見事。
煉獄の章がコアになり合わせ鏡。
シェーンベルク の月に憑かれたピエロみたい。

また、煉獄に落ちたふりをしながら生を叫び、冷徹に西洋音楽の美が構築されている。

マーラーはフロイトの精神分析も受けている。また、譜面には妻アルマへの思いが書かれているそうだ。となるとこれは「告白」として処理せねばならない。
煉獄の内容を聞くにつれて司牧権力のない「告白」だなと思う。
資本主義下の精神分析を議論したドゥルーズとガタリやフーコーと交錯する。

この曲を高校生の頃から好きだったのでその後、シェーンベルクや前衛の音楽を聴くのが苦にならなかったのではと思う。

ところで最終楽章の最後の終わり方、フェードアウトするにしても交響曲1番以来の終わり方に少し戻ったね。

やっぱりトーンクラスター風の響きがすごかった。第五楽章のトーンクラスターの全奏を聴くと浄化や彼岸というのはふりだということがわかる。徹頭徹尾「生」の叫びであり告白であり執着であり、美への冷徹な探究心である。

怖い曲である。完成していたら音楽史が変わっていた可能性がある。

音色やリズムからすでにシェーンベルク やストラヴィンスキーの要素が入っていたのだろうか。

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