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ファクトとリアリティ~僕たちはふたつの現実を接合する

現実は、あなたの外側にあるだけでなく、あなたの内側にもある。
(ドロシー・ロー・ノルト)

僕の主観、そしてこれを読まれている読者のリアリティは異なる。

僕たちはそれぞれが全く異なる魂、体、精神、体験、知識を有している。
だから、ひとつの事実に対する感じ方、受け止め方はそれぞれに全く異なる。本稿は、この主観から見る現実をリアリティと呼ぶ。一方、ファクトは出来事、現象。言い換えれば客観的な現実だ。

一般的に使われる「現実」はふたつを曖昧にしている。だから言葉の定義をしておきたい。
主観で見る現実には日本語として定着した「リアル」「リアリティ」を使う。

幸い僕たちは「リアリティ」と「事実」を感覚的に使い分けている。
「リアルだね」という時、「リアル」は事実そのものではなく、より現実感に「近い」「肉薄している」という意味合いで使っていることにお気づきだろうか。主観で感じる世界により近いという意味を含ませているわけだ。

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主観的な現実〜物語のリアリティ

リアリティの数は人口に比例すると言って構わない。1億人いれば1億のリアリティがある。
たとえば「進撃の巨人」にリアリティを感じる人と、そうでない人がいる。

そもそも世の中にある物語は、すべからく作家によって描かれた空想の産物だ。しかし、そこにリアリティを感じとることがなければ共感は起きず、面白いとも思わない。
果たして「進撃の巨人」に描かれる様なことが実際に起きるだろうか。

99.99999999999999% 起きない。

もちろん事実から遙かに遠いことを僕たちは知っている。
では何故、物語にリアリティを感じるのだろう。
それは物語に託された、なにがしかに共感を覚え、そこにリアリティを見出すためだ。
共感を引き起こす要素が無けれリアリティは生まれない。
逆に言えば、物語がいかに荒唐無稽であってもリアリティは生まれ得る。

つまり、リアリティは個人の「魂、体、精神、体験、知識」の内側で生まれている。

この様に定義すれば、ファクト(事実)の正体は自明。
ファクトは個々の外側にある現象だ。個々の認識の外側にある全て。
地球は存在し、星々は輝いている。ファクト
身の回りで起きている事、勤務先、仕事、他者。すべてファクト。

他人のリアリティはどうだろう。
他人の主観的な現実は自分の外側にある。
これもやはりファクトだ。

農家

リアリティを生み出す

さて、Twitterの投稿で以下の様に述べた。
高橋桐矢さんのブログに触発されたものだ。

https://twitter.com/astrogrammar/status/1366972777421434880

“リアリティとは主観的世界だ。
占星術のシンボリズム解釈はリアリティを生み出す作業とも言える。
アセンダントは伸び縮みする〜
こうした事実(ファクト)はリアリティに影響しない様に見える。
ところがリアリティとファクトは対応関係だ
両者は影響を分かち合う
(中略)
スピリチュアルがお安いと言われる所以は、肥大化したリアリティに頼りファクトをないがしろにするからだ”

・占星術のシンボリズム解釈はリアリティを生み出す作業
・肥大化したリアリティに頼りファクトをないがしろにすること

このふたつについて述べたい。

僕たち占星術師はホロスコープ・チャートを前にした時、見出した象意(シンボル)から解釈を紡ぐ。そして結論を導いていく。何も知らない人からすれば、わけのわからない作業だ。しかし一応の決まった手順、ルールが存在する。必然性、一般には偶然と呼ばれる外的要因(不確定要素)が加わることもあるが、一連の作業の主体はあくまでも占者だ。それは詩を詠む過程に喩えることができよう。五七調の和歌というルールに則り韻を踏む。あるいは季語を含めた俳句にする。外界の現象、ファクトを詩人(歌人)のリアリティで描いていく。ファクトはリアリティによって認知され、色や形が具体化する。ファクトの意味や解釈は詩人のリアリティによって与えられる。リアリティを生み出すとはそうした作業である。

では肥大化するリアリティとはなんだろう。それは、外界の現象「ファクト」を相手にせず、リアリティで完結することだ。見ず、聴かず、触れずに自分の主観現実だけを膨らませていく。
その帰結がどの様な形で現れるか、ひとつの事例を述べたい。

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肥大化するリアリティと大統領選挙

米国の大統領選が行われている最中、陰謀論を主張する人と話をした。
世界が一部のエリートによってコントロールされ、トランプ大統領はその一味に倒されようとしている。要約すればそうした内容だ。

「一部のエリートってどんな人たち?」僕は訊ねた。
「ロックフェラーやロスチャイルドなど金融で大儲けした国際資本家達だよ」
「その人たちは何を目論んでいるの?」
「中央銀行を使って人類を完全な支配下に置いて飼い慣らすことさ」
「飼い慣らすって?」
「従順な消費者として黙従させ、知らないうちに自由を奪い、家畜化することだよ」
「家畜化って?」
「だから、自由を奪って連中の管理体制に組み敷くことさ」
「なんでそんなことをする必要があるの?」
「なんでって、連中がトップにいる限りはこの世界はそういう状態なんだよ、だから気づいて目覚めないといけない」
「資本主義が始まって以来、僕らはみんな従順な消費者で、国家の管理体制の下で生活してると思うけど」
「そう思うだろ?それが問題なんだよ」
「じゃあ聞くけど、エリート達がダメっていうのなら、彼らを倒すということ?その後はどうするの?」
「いや、、とにかくこの現状がダメなんだから、まず目覚めないといけない」
「だから、目覚めてどんな体制を作るの?」

この後、会話は破綻した。
30分ほどのやりとりで、彼の主張は次の様に繰り返された。

- エリートの世界支配
- 目的は人類の家畜化
- それに気づかねばならない
- トランプ大統領は彼らに反旗を翻した

熱を帯びた持論が展開されたが、結論はよくわからない。
経済とエリートについて質問をしたが、彼は具体的な知識を持ち合わせてはいなかった。すこし意地悪な質問もした。

「デビッド・ロックフェラーの回顧録で、世界的枠組みをつくる陰謀論に対し彼自身はどう言ってる?」
「黒田総裁の下で日銀のETF買いは累積で何兆円くらい?」
「広瀬隆が書いた、世界の閨閥(けいばつ)を詳述した本は?」

・その指摘で言えば、自分は有罪、だが誇りに思っていると述べている
・2010年から2020年夏までのETF購入累積額は約36兆円
・「地球のゆくえ」(広瀬隆著)

僕は陰謀論を完全否定はしない。
経済の仕組みは巨大な企業体が有利になるように動き、巨大国際資本家(エリート)が背後にいる。全ての動きは明白・明瞭。どの企業/グループも目指していることで、これは人の欲望の表れだ。

ただ、彼のリアリティは伝聞で出来上がり、触れる情報が偏っている。一次情報にあたらず、謀略論に固執している。多くの陰謀論者の言質に共通するのはここだ。
結論は採用するが、それ以上の深掘りをしない。その情報がどこから来ているのかも調べない。
たとえば、中央銀行が陰謀の中核とするなら、成り立ちと働きを最低限は理解する必要がある。ところがそれはしない。

様々なファクトと対峙せず、特定のファクト(この場合は陰謀論)だけを対象にすれば、その人のリアリティは偏る。
かくして乏しいファクトを軸としたリアリティが出来上がる。
リアリティ肥大化の第一歩だ。
さらに同質のファクトに触れれば、偏りは強まる。

天体観測

ファクトとの繋がりが重要

「占星術のファクトは天体の動きだけですか?」

前出の投稿をした後に質問をもらった。
この質問がなければ本稿を書くことはなかった。

僕は投稿にこう書いた。

“ファクト無しのリアリティは妄想と大差がない。
占星術は天体運行というファクトを基盤としている。
だから古代の占星術師は一様に天体運行の仕組みを重視した。
一方、現代の占星術はファクトを天文学に任せっきりだ。”

天体運行が占星術の中核を成すファクトであることに間違いはない。
だが占星術のファクトは天体の動きだけではない。
だから最後にこう書いた。

“無理して星を見ようとは言わない。今は寒い。でも自分世界を支えるファクトは見よう”

重要なのはリアリティとファクトの繋がりだ。
ファクトと繋がらないリアリティは、前述の陰謀論と同じく偏執し、肥大化をはじめる。
そのうち「すべての情報は嘘」などと言い始める。
(じゃあ、あなたが触れている情報はどうなんですか、という問は置いておく)

ファクトはそれ自体では何もなさない。
個々のリアリティが触れることによって意味が作られる。
あるいは僕たちが個々に意味を与えている。
リアリティとファクトが接合した時に「現実」が作られる。僕は世界をそう捉えている。

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もっと重要なこと。 リアリティはハナから偏っている

それぞれが自分のリアリティを普通だと思っている。もちろん僕もそうだ。
人は皆、程度の差はあれ偏ったリアリティを持っている。
リアリティがあまりにも異なる人との会話は難しい。
そもそも、お互いのリアリティが偏っているのだから当然だ。成り立たない。

これは異文化間においても同様。
個人の話だけでは息が詰まるので、少し視野を広げてみよう。

僕たちが「常識」と呼んでいるのは、共同体のリアリティだ。
日本には日本のリアリティがある。
異文化に接した時に起きるカルチャーショックは、リアリティの違いで生まれる。
文化や習慣の違いと考えるよりも、リアリティが異なる、世界観が異なると考えた方が早い。

ところで、心理学者の岸田秀はこれを「幻想」と呼んだ。
リアリティは各自の幻想、常識は「共同幻想」という具合だ。
虚実を突いた鋭い言葉だと思う。

もし僕が天体運行だけをファクトとすれば、リアリティはそのぶんだけ偏る。
つまり僕の星学も偏る。
ホラリーやネイタル鑑定を行うかたわら、天体観望を行い写真を撮り、統計データを調べるのはリアリティの偏りをできるだけ減らすためだ。今は余力が無いが、時を改め異なる分野(ファクト)と向き合う時が来る。
リアリティはファクトによって支えられる。
そして、その接点が多いほどリアリティの偏りは減るからだ。

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