有人宇宙開発と「正義」

 宇宙飛行士選抜試験の振り返り記事(以下)を読んで下さった方、またコメントやリアクションを下さった方、本当にありがとうございました!宇宙飛行士選抜試験に関連して、振り返り記事では書ききれなかった所感や雑記などを、今後不定期でnoteに書ければと考えています。如何せん筆不精なので、あまり続かないかもしれませんが、ご容赦下さい…

宇宙飛行士候補者の記者会見

 長かった第6期宇宙飛行士選抜試験も終わり、最終的に2名の宇宙飛行士候補者が選ばれました。諏訪理さん、米田あゆさん、改めておめでとうございます!2月28日の記者会見を、リアルタイムで拝見しました。お2人の人柄がよく表れており、素直に応援したい!という前向きな気持ちになれました。(一方で、自分だとこう答えるかな、と考えながら見ている自分がいて、この場に立ちたかったな…という悔しい気持ちも改めて込み上げました。)とはいえ、一緒の選抜試験を戦った「受験同期」のお2人が今後どのように羽ばたいていかれるのか、とても楽しみです。

 さて、記者会見では2人の宇宙飛行士候補者に様々な質問が投げかけられましたが、NHKの寺西記者が投げかけられた質問が個人的に印象に残りました。(上記Youtubeの、00:57:00~1:00:00頃) 寺西記者は、今後同じ質問を投げられるであろう宇宙飛行士候補者に対して、「敢えて」この質問をぶつけられたのだ、と感じました。
 以下、質疑応答の抜粋です。お2人とも、この問いに対する自分なりの考えをしっかり持っていらっしゃる事が分かる受け答えだと感じました。

Q:宇宙飛行士を宇宙に行かせるとなると、多額の費用がかかる。そこまでの費用をかけて、宇宙に行く意義はあると思うか?と聞かれれば、どう答えるか?

米田さん:すごく大事なポイントだと考えている。沢山のお金の使い道がある中で、宇宙にお金を投じる意義についてのご質問だと思うが、宇宙開発は必ずしも明日、一週間後に直結するものではないと思う。しかし、30、50、100、200年後と考えた時に、地球がどうなっているか分からない、地球に何か起こる可能性もある。そんな中で、宇宙の探索を続けることは人類全体の、我々世代の宿命の一つではないかと考えているので、宇宙開発は大事と考えている。

諏訪さん:まず大事なことは、国民の皆さんに多額のお金を使って宇宙開発を続けることに理解を頂くことだと思う。そういった理解を頂くために宇宙飛行士は努力をしていかないといけないと思っている。米田さんも仰ったが、長い時間軸で考えることが宇宙開発では重要と思っており、今日明日の生活が良くなるというのはなかなか難しい。ただ、長期間をかけて人類の活動領域が拡がるだとか、人間の持っている知の境界が拡がるだとか、ゆくゆくは人類社会に貢献する投資だと思っている。

 有人宇宙開発には、当然ながら多くのコストがかかります。宇宙飛行士は、自身にかけられる育成・運用コストに見合う成果は何か?という問いに、答えられる必要があるでしょう。私自身も、エントリーシート執筆や面接対策を考える中で、「有人宇宙開発の意義とは?なぜ、お金をかけるのか?」について自分なりの答えを持つ必要がある、と感じました。様々な意見があり、「正しい答え」がある問いでは無いですが、この問いに対して、本記事では私なりに考える有人宇宙開発の意義や、それに関わる正義観について記したいと思います。

3つの「正義」

 「正義」というと仰々しく感じるかもしれませんが、私たちは日常的に何らかの正義観を持って生きていると思います。人には優しくしなさい、物を盗ってはダメ、老人は敬え/子供は大切に、とかとか。正義観は人や国、宗教によっても異なり、「何が正しいと感じる」かの価値観とも言い換えられるかもしれません。
 「正義」といえば、マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」や関連する書籍(以下など)が有名ですが、様々な哲学者の思想が出てきて、個人的にはなかなか消化しきれませんでした…

 そんな時に、友人に紹介して貰った以下の書籍を読みました。学園ラブコメ的なラノベ調で、かなりくだけた本ですが、正義について考える入り口としては分かり易い一冊でした。

この本では、正義という物を「平等の正義」「自由の正義」「宗教の正義」の3つに分類しています。

「平等の正義」

 誰かしらが不当に特権的な利益を得ることなく、また不当に差別されないことを善しとする考え方です。例えば、共産主義や社会主義は、資本主義の「不平等(労働者が不当に搾取されている!)」を是正するために生まれた「平等の正義」と捉えることもできます。また、哲学の分野でいえば、18世紀の哲学者、J・ベンサムが提唱した功利主義が代表的な考え方です。「最大多数の最大幸福」という言葉が有名ですね。富める人(1000円?別に無くても良いよ)からお金をぶんどって、貧しい人(1000円あれば今日の食事ができる…)に配ろう、その方が世間全体としての幸福度は向上する、と考えると、共産主義や社会主義に限らず、今日の所得再分配制度や社会福祉制度は何かしらこの「平等の正義」の色を持っていると考える事もできます。(実際には、貧しい人が自由に生きられるよう、というリベラリズム的な「自由主義」の側面もあるそうです。むずかしい…)

「自由の正義」

 個人の自由を最優先し、人に迷惑をかけない限りは各自が何をしても良い、という考え方です。「平等の正義」が富める人から貧しい人への分配を肯定するのに対し、自由を重視する考え方では、自らの意思に反した分配を否定します。富める人からすると、「寄付する気があるなら自分でやるわ、寄付する気が無いのに政府が勝手に財産を持って行くな」という考え方ですね。また、例えば尊厳死のようなテーマに対して、個人としてそれを望むのであれば認める、というスタンスになるのが「自由の正義」です。ただし、他人に迷惑をかける行為(例:盗み)については、他人の自由を奪う、という観点で認められないとしています。

「宗教の正義」

 この世界の外側に、誰でも無条件に「正しい」と認める絶対的な価値観/概念が存在している、という考え方です。例えば、「人を殺める」という行為に対し、「平等の正義」の観点では「被害者の幸福度が下がる行為だから」、「自由の正義」の観点では「被害者の自由を奪う行為だから」悪いことだと考えます。これに対し、「宗教の正義」の観点では、「人を殺めるのは悪いことだから」悪いと考えます。説明になっていない気がしますが、善悪の価値観がこの世界の外に無条件にある、と考えるので、言葉で説明できないというのが正しいかもしれません。古代ギリシャの哲学者ソクラテスが「善く生きる」事を説いたり、プラトンが「イデア」という概念を提唱したのは、この「宗教の正義」に基づく考え方と言えます。

 これらの正義は、どれが絶対的に正しいという物ではなく、またこれからもどれかに収斂していく物ではないでしょう。だからこそ、古代から現代に至るまで、哲学という学問が連綿と続いてきているのだと思います。

有人宇宙開発と「正義」

 上記を踏まえ、有人宇宙開発の目的・意義や、有人宇宙開発に対する批判的な声が、どのような価値観や正義観に立脚しているのか、考えてみました。

 有人宇宙開発の目的、意義については様々な観点があります。柳川孝二さんの著書「宇宙飛行士という仕事」で言及されていますが、NASAからの委託を受け、MITで取り纏めた"The Future of Human Spaceflight"という報告書では、政府による有人宇宙開発 (government-funded human spaceflight) の目的を以下の様に記載しています。

Primary Objectives(第一義的な目的)
…「人間が宇宙に行く事」自体の利益が、そのコストやリスクを超える物
 - Exploration(探査/探求)
 - National Pride(国家の威信)
 - International Prestige and Leadership(国際的な地位・リーダーシップ)

Secondary Objectives(第二義的な目的)
…人間が宇宙に行く事により生じるが、それだけではコストやリスクを正当化できない物
 - Science (科学)
 - Economic Development (経済成長)
 - New Technologies(新たな技術)
 - Education and Inspiration(教育/刺激)

 また日本でも、特に「日本国として」有人宇宙開発に挑む意義が政府関係資料等に記されています。2020年に改訂された第4次宇宙基本計画では、有人/無人問わず宇宙政策の目標が示されていますが、有人宇宙開発に関する項目だと、例えば「宇宙科学・探査による新たな知の創造」「宇宙を推進力とする経済成長とイノベーションの実現」といった項目が記されています。
 また、宇宙開発利用部会の資料では、有人宇宙探査を行う意義として以下の表現をしつつ、その効果としていくつかの項目が挙げられています。

意義:
「各国が有人宇宙探査に積極的に取り組み、人類の活動領域が拡大する中で、 我が国がキーとなる役割を戦略的に担う形で有人宇宙探査に取り組むことは、国際協力の中で総合的な宇宙開発利用能力を背景とした発言力のあるパートナーとしての活動参入という意義があり、また将来にわたる有人活動に おける日本の自律性の獲得につながる」
期待される効果:
-宇宙探査において複雑な状況への対応や臨機応変な判断が可能
-経験・感動を伝えることで、国民の誇りや共感に繋がる→人材育成にも貢献
-挑戦的な技術開発を通じ、科学技術イノベーションを促進
-高度な技術やマネジメント力の獲得
-医学/生理学的な地上課題の解決
-新たな経済活動の創出

 興味深いのは、上記の日本政府関係資料に記載されている有人宇宙開発の意義に、MITの資料で"Secondary Objectives"とされていた項目が多いことです。何故か?
 理由は、日本として「なぜ税金をかけて有人宇宙開発を進めるのか?」という問い・批判にしっかり答えなければならないため、と私は考えます。「なぜ税金をかけて…」という批判は、しばしば「宇宙にお金をかける暇があれば福祉や教育に…」という意見と結びつきます。すなわち、宇宙以外の分野にお金をかける方が社会として有益である、という「平等の正義」に則った主張です。「平等の正義」に基づく主張・批判に対しては、「平等の正義」で反論しないといけません。「なぜ税金をかけて…」と問われた時に、「人類は探求をやめるべきでないから」「宇宙開発ってロマンあるから」という「宗教の正義」で返すと、「はぁ!?」ってなりますし、税金を使っている以上、「自由の正義」で返す訳にもいきません。その為、一義的な目的でないにせよ、経済発展や科学技術の進歩、国際社会でのプレゼンス向上、次世代への教育・人材育成などが日本の国益に繋がるという効果を、「平等の正義」の観点で主張する必要があります。
 有人宇宙開発の意義として、「人類の生存圏拡大、地球環境が変わった際のバックアップ」に言及される事も良くあります。私も、留学時の恩師が仰った"Human being should be multi-planetary species"という言葉が好きで、大事だと考える意義の1つです。これも、有人宇宙開発のお陰で人類の「種の保存」に資するという点で、中長期的に見た時に人類の幸福度を向上させるという「平等の正義」に立脚した主張と考えることができます。ただ、いち国家の視点というより人類全体の視点となるので、国家の中での「平等の正義」に基づく批判(なぜうちの国の税金で…)に対しての説得力は薄れるかもしれません。

 国家としての宇宙開発の一方で、SpaceXをはじめ民間企業による開発も昨今大きく進展しています。低軌道ステーション・宇宙旅行など、民間による有人宇宙事業でProfitableになる未来が来れば、これまでの政府主導での有人宇宙開発にあまり馴染まなかった「自由の正義」も今後増えていくでしょう。税金を使わずに済むので、政府ができる以上の事が実現する未来を期待したいです。また、職業宇宙飛行士と民間宇宙飛行士の持つべき宇宙開発の価値観/正義観は、異なる物になって然るべきでしょう。

 上記を踏まえ、国家を代表する職業宇宙飛行士として国民に伝えるべき「有人宇宙開発の意義」は何か。私は、「平等の正義に基づいた意義をロジカルに伝えつつ、宗教の正義に基づいた意義を心に届ける」ことが必要ではないか、と思っています。多額のお金を使って宇宙に行く以上、まずはお金を使うことの意義や国民への恩恵・効果を自分の言葉で説明するのは必須だと考えます。米田さん、諏訪さんが長期的なスパンで、と仰っていたのはその切り口の一つだと思いますし、どの様な点に力点を置いて説明するか、は個人の想いが分かれる所かと。
 ただ、それだけだと政府の資料・見解とそこまで変わらないですし、また無人でなく有人で宇宙開発を行う事の正当化が弱い、と感じます。有人宇宙活動のアイコンである宇宙飛行士だからこそ訴えられる「+αの意義」を伝えることも必要でしょう。私は、2020~2021年に野口さんがISSに長期滞在された時の「挑戦をやめない生き物を、人類と呼ぶ。」というキャッチコピーを見て、ちょうど宇宙飛行士選抜への挑戦を考えていた時期だったこともあり、心が震えました。

 「人類は挑戦すべき生き物である」という考え方はまさに「宗教の正義」であり、客観的に正否の判断がつかないですが、ダイレクトに心に届く物でした。MIT報告書の”Exploration”や、諏訪さんの仰っていた「人間の持っている知の境界が拡がる」というのも、近しいものを感じます。
 宇宙は何かしら人類を惹きつける魅力があると常々感じていますが、この感覚を一人でも多くの人に共感頂き、有人宇宙開発を応援してもらう、というのも職業宇宙飛行士の大事な責務だと思います。そういった意味で、今回の選抜に「表現力や発信力」が求められたのは自然な流れだと思いますし、今後も必要な素養なんだろうと感じています。

今回もここまでお付き合い下さり、ありがとうございました!

TD


  


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