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メタバース浦島太郎の逆襲(1)

※初めに:メタバース浦島太郎は自称です。
移住というほど大したことはしていないけれど、これまでの自分とメタバースのかかわりと今後の展望に関してつらつらと地方の学生が書く小話。

初めてのVR空間

今は昔、Vtuberと呼ばれるものがまだ四天王だのと言われていたころ。時代は平成が終わると騒がれ、新しい時代が始まるんだというワクワク感にどこか浮つかされていたあの頃。
地方に住む10代後半の思春期真っ只中のある学生が、ゲーミングPCを買い込み、夜中にVRChatに入ろうとしていた。
当時はMetaどころかFacebookの面影もなく、まだOculusと呼ばれていて、VRHMDはとても地方の学生が気軽に手を出せるような値段ではなかった。初めて参加したファンタジー集会場の記憶がうっすらとよみがえる。
ケモミミのアバターや人型ですらない自由なアバター達がいたあの場所で、多くも話せずに案内されるがままに呆然と立ち尽くしたあの日が懐かしい。
しかし、当時自分の使っていたPCにはグラボがなくお金もなくまともに動かないなかでBlenderをやろうとていた

当時に参加した形跡の何よりの証拠。(Steamの履歴)

余談だが、当時学生の身分で仮想通貨に手を出そうとするも、税金の仕組みを理解できずに挫折。未成年に優しくない上に親の理解が追い付かなかったので、結局その時にBTCを抑えられなかったことも大変後悔している。

塩漬けにしていた間の話

それから自分は傍観に徹する時期が実に4年近くあった。言い訳をするならば、HMDを買うことができずにずるずると時を貪ったのだ。その間にも努力を惜しまず、あらゆる手段でHMDを取得し、VR世界に先んじて進んだ同世代は破壊的な成長を遂げていたのである。正直今思うと悔しさしかない。

実を言えば、ゲーミングPCを購入したとき一度は復帰したこともあったのだが……結局なじむことがまたできず、HMDがないのでまた即撤退したのである。何度もモデリングに挑んだが仲間の支えは得られず……
何度も挑んだが結局挫折したのである。時にリギングで発狂しアニメーションに挑んだ時も孤独で、だれの支えも得られないまま、孤独に進んだのだ。いかんせんVRCの人に話しかけるのが怖くて。

あれからファンタジー集会場は表舞台からなくなり、JPTが現れ、Vketが何度も開催され、周りのクリエイターが続々と参加し、VRC学園が開催されていたらしい。Vtuberも四天王の話題からにじさんじやホロライブの話にシフトしていき最初期の空気感のそれは完全に違うものになっていた。どんどん自分の知らないところで変化が続いていく。
そしての変化は加速していき、いつしかMetaが颯爽と現れてOculusは買収され、そしてバーチャルという単語はメタバース置き換わっていた。
完全に出遅れてしまったのだ。

自分は自分自身で作ったタイムカプセルに監禁されていたのである。

あろうことか自分で作った殻に籠った結果、何もかものチャンスを逃したのである。可能性は本当にあと少しの目の前にあって、自分でそれに対する圧倒的興味があったはずなのに。取り逃したのだ。

メタバース浦島太郎の逆襲

今振り返れば、あの時に失敗した理由は簡単。目の前に来たものにちゃんと手を出さなかったこと。リスクを恐れて手を出さなかったこと。ありとあらゆる可能性を前にあきらめてしまったこと。

その思いを胸に、少しづつ重かったはずの足取りは、ほんのわずかに加速を始めていた。

そしてついに、21年の12月にVRHMDを買うと心に決めた。自分の記憶を頼りに、最新の機器であったQuestには敢えて手を出さずに、自分の記憶のHMDであるHTCのVIVE、それも初代無印の中古品を3万円ほどで買い込んだのである。

今度こそ、負けない。負けるわけにはいかない。

アストロの後悔の熱意を、轟かせねばならないのだ。

同じことをなぞってたツイート(22年5月)

2話は準備中。

#メタバース移住
#メタバース浦島太郎

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