銀河系のお話し(14) 神田茂の『宇宙研究 新天文學概論』(1925年)
『銀河系』という名前の起源
天の川銀河のことを、なぜ「銀河系」というのか? これまで、note「銀河系のお話」では、この問題について考えてきた。簡単にわかると思っていたのだが、いまだに答えは見つかっていない。
経緯については以下のnoteを参照されたい:
『銀河系』という名前はいつから使われてきたか?
今までの調査で分かったことは、『銀河系』という名称が使われ始めたのは1916年から1917年の頃である。
[1] 新城新蔵「天体の回転運動」、『天文月報』第9巻、第1号、大正六年(1917年)、1-4頁
[2] 『天文学六講』一戸直蔵、現代之科學社、大正六年(1917年)。 銀河と銀河系は区別なく用いられている(第五講の中、例えば227頁)。また、「吾が銀河系」という言葉も出てくる(230頁)。
ただ、これらの文献には「銀河系」という言葉の定義やその由来については説明されていない。
詳細は次のnoteを参照されたい。
神田茂の『宇宙研究 新天文學概論』(1925年)
最近、神田神保町の古書店で興味深い本を一冊見つけた。神田茂の『宇宙研究 新天文學概論』(古今書院、1925年)である(図1、図2)。
大きさはB6版、ページ数は約180頁、厚さは1cmにも満たない。しかし、内容は厳選され、説明もきちんとされている。非常に感心したのは、銀河と銀河系が独立した章で説明されていることだ(図3)。
銀河系の説明を図4に示す。
天の川銀河の中には太陽、そのほかの多数の星々(変光星、連星を含む)、星団、ガス状星雲がある。そして「この星の系統を銀河系と称する」とある。今まで調べた本の中で、神田の説明が一番簡便で、的を射ていると感じた。新城や一戸の本より数年後に出た本だが、結局のところ、神田の説明にあることが自明のこととして広く受け入れられていたのではないだろうか。
神田茂(1894-1974)は東京帝国大学理学部天文学科を卒業後、東京天文台(現在の国立天文台)の技手となったが、50歳になる前に辞めている。研究者としての才能も高かったようだが、一方でアマチュア天文家の育成にも力を入れた人だ。そのためだろうか。神田の文章はわかりやすい。
そろそろ銀河系問題に決着をつけるときが近づいてきたような気がする。
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