『銀河系』問題
天の川銀河のことを、なぜ「銀河系」というのか? この問題について考えてきたが、いまだに答えは見つかっていない。
note 「銀河系のお話し(3) 『銀河系』という言葉はいつから使われていたのか? https://note.com/astro_dialog/n/ne316644c6000
今回は、新しい情報を得たので、報告させていただく。
日本天文学会の学会誌「天文月報」
先週、友人のAさんから新たな情報が入った。
「日本天文学会がいつ頃から『銀河系』を使うようになったか調べてみました。天文月報 https://www.asj.or.jp/geppou/contents/ を眺めてみると、1917(大正 6 年)に一戸直蔵が使う以前、1916年4月号に新城新蔵が、『銀河系』を使っているのを発見しました。それ以前はまだ確認していませんが、取り急ぎご報告まで。」
前回のnote「銀河系のお話し(3)」の段階では、『銀河系』という言葉は天文学者の一戸直蔵(1878-1920)が1917年に著した『天文学六講』の中に出てくるのが最初だった。Aさんのおかげで、もう一年遡ることができた!これは前進だ。
新城新蔵(しんじょう しんぞう、1873-1938)も天文学者で、京都帝国大学第8代総長も務めた人だ。
新城新蔵と一戸直蔵
この新た情報で、二人の天文学者、新城新蔵と一戸直蔵が1916年と1917年に『銀河系』という言葉を使っていたことがわかった。ただ、いずれの場合も、なぜ天の川銀河のことを『銀河系』と呼ぶかについては説明がない。ということで、今後も探求は続く。
ところで、新城と一戸の二人は著名な天文学者だが(図2)、キャリアと信条は両極端である。新城は先にも述べたように京都帝国大学の総長にもなった、キャリア派である。また中国の上海自然科学研究所の第二代所長として、日中共同の架け橋を模索した業績もある。一方、一戸は東京帝国大学星学科を卒業後、東京天文台で天文学者の道を歩んだ。ところが、彼は欧米に負けない天文台の建設を唱え、当時の東京天文台長と衝突し、職を辞してしまった。その後、「現代之科学社」を設立し、科学雑誌「現代之科学」を刊行したものの上手くいかず、42歳の若さで亡くなった。
新城と一戸は、二人とも日本天文学会の会員であった。これの意味するところは大きい。当時の学会では、『銀河系』という言葉はすでに市民権を得ていたと考えてよいからだ。
さて、いったい誰が『銀河系』と名付けて普及させたのか? やはり、気になる問題だ。
追記:今までの調査をまとめた表を更新したので参考にして下さい。