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宮沢賢治の宇宙(80) 今日の銀河の説とは何か? 天の川は凸レンズの形?

午后の授業

宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』には賢治の該博な天文学の知識が披露されていて面白い。とても、今から百年も前に書かれた童話だとは思えないぐらいだ。もちろん、現在の天文学の司式を持っていた方が『銀河鉄道の夜』を正しく読み解いていくことができる。このnoteではジョバンニたちの先生が説明する「今日の銀河の説」を考えみたい。

『銀河鉄道の夜』の第一節、「午后の授業」、先生の説明が始まる。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、123頁)

天の川の正体は何かという問いかけだ。先生はさらに続ける。

先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、147-148頁)

天の川の正体は太陽のような星がたくさん集まっているものだと先生は説明する。そして、天の川の全体的な形は凸レンズのように見えるとしている。

天の川の全体的な形は凸レンズ?

先生は天の川の全体的な形は凸レンズのようだという。現在、天文学の講義ではこのような教え方はしない。なぜなら、天の川銀河は円盤銀河に分類されており、銀河全体の形はレンズではなく、円盤状だと考えられているからである。レンズという場合、まさに先生の言うとおり、凸レンズを意味する。つまり、円盤よりは膨らんだ形になる。

銀河の形のハッブル分類

銀河の形はさまざまである。銀河は星の大集団なであり、太陽のような星が数百億個から数千億個も集まっている。私たちは銀河の形を可視光で見ている。その可視光は星が放射している。つまり、銀河の形はまさに星の分布を見ているのだ。

星の分布は銀河の力学的な性質を反映している。質量の分布、そして銀河の回転状態や、星々の暴れ具合(物理では速度分散と呼ばれる)が銀河の形を決めている。逆に言うと、銀河の形を見れば、銀河の力学状態がわかるのだ。銀河の力学状態は普遍ではない。時間と共に変化する。つまり、銀河の形は銀河の誕生過程や進化の状態を調べるツールになる。

いち早く銀河の研究に着手したのは米国の天文学者エドウイン・ハッブル(1889-1953)である(図1)。

図1 アンドロメダ銀河の写真を手にするエドウイン・ハッブル。 https://www.nasa.gov/content/about-story-edwin-hubble

ハッブルは銀河の形態分類を行い、銀河を見かけ状楕円に見える楕円銀河と、円盤に渦巻構造がある円盤銀河(渦巻銀河と、円盤に棒状の構造を持つ棒渦巻銀河)に大別した。そして、楕円銀河と円盤銀河を繋ぐクラスとしてS0銀河を導入した。このS0銀河は円盤はあるが、渦巻構造を持たない銀河である。円盤が円盤の垂直方向に膨らんでいるので、レンズのように見える。そのため、S0銀河は別名「レンズ状銀河」と呼ばれている(図2)。

図2 銀河の形態のハッブル分類。S0銀河は楕円銀河と円盤銀河を繋ぐタイプとして仮説的に導入された。 https://astro-dic.jp/hubble-classification/

天の川銀河はレンズ銀河なのか?

ここで『銀河鉄道の夜』の午后の授業に戻ろう。先生は図を見せながら

天の川銀河の形は凸レンズだと言っている。では、天の川銀河はS0銀河なのか? 答えは「ノー」である。天の川銀河の形態はハッブル分類ではSBbc型に分類されている。

S = spirail(渦巻銀河)
B = barred (円盤部に棒状構造がある)
bc = 渦巻は比較的開いた形状を示す

これを合わせて SBbc型に分類されているのだ(図3.)。

図3 銀河の形態のハッブル分類における天の川銀河の形態はSBbc型である。 https://astro-dic.jp/hubble-classification/

じゃあ、先ほどの文章にあった先生の説明は間違っていたのか?

先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。・・・」 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、147頁)

レンズか、円盤か?

現在の形態分類では天の川銀河はSBbc型である。大別すると、円盤銀河である。レンズ状銀河は円盤銀河とは別のタイプ、S0型である。現在の講義なら、先生は「大きな円盤を指しました」ということになってしまう。

ここで、現在の銀河の形態分類におけるレンズ状銀河と円盤銀河を見比べてみよう。まず、レンズ状銀河、S0銀河の例としてNGC3115を示す(図4)。

図4 レンズ状銀河、S0銀河の例であるNGC 3115。ハッブルはこの銀河を楕円銀河E7型と分類していた。以下のnoteを参照されたい。なお、NGCは銀河、星雲、星団のカタログ New General Catalogue の略称である。約8000個の天体が収録されている。 https://note.com/astro_dialog/n/nf628f93f1f3e

次は円盤銀河の例、NGC4565である(図5)。厚みの薄い円盤と、中央部にやや膨らんだ星の集団であるバルジが見えている。円盤部で黒く筋状に見えているのは暗黒星雲である。暗黒星雲は基本的にはガス星雲であるが、背景の光を散乱・吸収するダスト(塵粒子)をたくさん含んでいるため、黒い帯のように観測される。

図5 円盤銀河の例であるNGC 4564。

レンズ状銀河の特徴

NGC 3115(図4)とNGC 4565(図5)を見比べてわかることは、レンズ状銀河にも円盤はあるが、円盤銀河の円盤に比べて厚みがあることである。この厚みの原因はなんだろうか? それは円盤部にある星々の運動状態にある。円盤と直交する方向に星々が大きな速度で運動すると、円盤の厚みが増す。物理的に表現すると、「円盤と直交する方向の星々の速度分散が大きい」ということになる。直交する方向に星々が盛んに運動すると、円盤には渦巻構造ができにくくなる。結局、

レンズ状銀河=円盤はあるが、渦巻構造がない銀河

ということになるのだ。

では、天の川銀河はどうか? さまざまな観測から渦巻構造があることがわかっている。また、円盤の厚みも1000光年程度であり、特に厚くはない。したがって、天の川銀河はレンズ状銀河ではなく、円盤銀河に分類されている。

銀河系の玲瓏レンズ

1923年の夏、サガレン(サハリン、樺太)を旅行したときに書いた賢治の詩「青森挽歌」に印象的な文章がある。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
  (乾いたでんしんばしらの列が
   せはしく遷ってゐるらしい
   きしやは銀河系の玲瓏レンズ
   巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしってゐる
けれどもここはいつたいどこの停車場〔だ〕
枕木を焼いてこさえた柵が立ち
  (八月の よるのしづまの 寒天凝膠 [アガアゼル])
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、156頁)

銀河系の玲瓏レンズという表現が出てくるのだ。

ハーシェルの宇宙像

賢治の時代、天の川銀河の形はレンズに似ていると考えられていたということだ。現在の銀河の知識とは異なる考えが流布していたことになる。

なぜ、そう考えられていたか詳細は不明だが、ウイリアム・ハーシェル(1738-1822)が観測に基づいて天の川の様子を調べた結果(図6)が大きな影響を与えていると考えられる。

図6 ウイリアム・ハーシェルの宇宙像(天の川銀河の姿)。1785年に研究論文として公表された。ハーシェルは太陽(赤いマークの場所)が天の川の中心にあると考えていた。この図を天の川の写真と合わせるとき、左右反転(東西反転)する必要があるので注意されたい。 https://astro-dic.jp/herschel-william/

天の川銀河の大きさ(直径)は6000光年と過小評価されているが、厚み1100光年は現在の観測値と同程度である。図6を見るとわかるように、円盤部は膨らみを持っているので、レンズ状という表現が使われるようになったのだと推察される。

当時の天文書の一つである古川龍城による『天文界之智嚢』(古川龍城、中興館書店、1925年,242-243頁)を読むと、確かに「凸レンズ」という表現が使われている(図7)。

図7 『天文界之智嚢』(古川龍城、中興館書店、1923年、242-243頁)に出てくる「凸レンズ」という表現(中央、やや左)。

工藤哲夫の調査によると天の川の形が凸レンズと説明されている賢治の時代の天文学の書籍は、図6に示した古川の本を含めて、七冊ある(『賢治論考』工藤哲夫、和泉書院、1995年、「今日の銀河の説」考、215-264頁)。

『宇宙・生物及人類創世』石井重美、アルス、1921年
『天文學汎論』日下部四郎太、菊田善三、内田老鶴圃、1924年
『星の科学』原田三夫、新光社、1924年
『天文界之智嚢』古川龍城、中興館書店、1923年
『科學世界 宇宙之構造』古川龍城、中文館書店、1924年
『最新天文学の知識』古川龍城、白楊(正しくは「手編」かもしれない)社、1924年
『天文學的人生観』古川龍城、越山堂、1926年

この他に、レンズと説明されている書籍が五冊もある。工藤の徹底した調査には頭が下がる思いがする。

工藤の調査の結果を見ると、当時は「天の川の形=レンズ状」という図式が定着していたのだろう。ハッブルがこのことを知ったら、怒りそうだが。

太陽はどこにある?

ところで、我が太陽はどこにあるのだろうか? ハーシェルは太陽(赤いマークの場所)が天の川の中心にあると考えていた(図5)。ただ、これは観測に基づいた結論ではない。「太陽は宇宙の中心」という信仰のようなものがこういう結論にさせたと考えてよい。

実際のところ、太陽が天の川銀河の中心にないことが観測で示唆されたのは1900年のことだった。ジョバンニや、先生はこのことを知っていたのだろうか?

それは次回のnoteで説明することにしよう。


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