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「宮沢賢治の宇宙」(26) カムパネルラ、「空の孔」は見えましたか?

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」

宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』。旅の最後の方で、胸を打つ場面が出てくる。

南十字(サウザンクロス)の停車場を離れ、銀河鉄道は動き出す。霧が晴れると、カムパネルラは天を指差しながら言った。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどぼんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずたゞ眼がしんしんと痛むのでした。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、167頁)

カムパネルラが指差した石炭袋は「みなみじゅうじ座」の方向に見える、暗黒星雲のことだ(図1)。石炭袋は石炭を入れる袋のことだが、今ではまず見かけることはない。石炭の色は黒なので、この黒く見える星雲に石炭袋(コールサック)という愛称がつけられた。

図1 石炭袋と南十字。「ケンタウルス座」のα星とβ星も見える。 (撮影:畑英利)

暗黒星雲

暗黒星雲

18世紀後半に天の川の地図を作り上げた大天文学者であるウイリアム・ハーシェル(1738 - 1822)は、暗黒星雲を見て“天空に開けられた穴”と呼んでいた。カムパネルラは石炭袋を見て、「そらの孔」と言ったが、なんのことはない、昔は天文学者もそう思っていたのだ。もちろん、天に孔が空いているわけではない。

暗黒星雲の正体を見抜いたのは、米国の天文学者エドワード・エマーソン・バーナード(1857-1923)だ。バーナードは「さそり座」、「やぎ座」、そして「カシオペヤ座」にある星の見えない領域を、ナッシュビルのバンダービルト大学の付属天文台にあった望遠鏡を用いて写真による観測を行っていた。19世紀の終わりの頃だ。彼は星の見えない領域をその名の通り“星がない領域(star vacant region)”と呼んでいた。そして、1919年(大正八年)、182個もの星の見えない領域のカタログをまとめた。彼の発見した暗黒星雲の例を見てみよう。バーナード68という名前の暗黒星雲だ(図2)。普通の暗黒星雲に比べると小さな構造なので、グロビュール(=胞子)と呼ばれている。胞子は原生生物などの生殖細胞のことだが、“星が生まれてくる場所”として、胞子という名称が用いられている。

図2 暗黒星雲の一種であるグロビュール、バーナード68。距離は500光年。直径は0.5光年。(左)可視光のBとVバンドを青と緑で表し、赤外線(Iバンド)を赤で表してカラー合成している。(右)可視光(Bバンド)を青、赤外線(I、Kバンド)を緑と赤に割り当ててカラー合成している。 <左> https://en.wikipedia.org/wiki/Molecular_cloud#/media/File:Barnard_68.jpg https://ja.wikipedia.org/wiki/減光#/media/ファイル:Barnard_68_crop.jpg <右> https://ja.wikipedia.org/wiki/減光#/media/ファイル:Barnard_68_(with_infrared)_-_Eso0102b.jpg

可視光で見ると(図2左)、まさに「空の孔」だ。しかし、可視光より波長の長い近赤外線(Kバンド=波長2ミクロン)のデータを加えると、それまで見えてこなかった星々の姿が見えてくる。波長が長くなると星間減光の影響が弱くなるからだ。このような注意深い観測から、バーナードは気付いた。暗黒星雲は穴ではない! 密度の高い光を吸収する物質(遮光物質)があり、それが背景の星々を隠しているだけである! バーナードはこうして「空の孔」を空から消した(図3)。

図3 遮光物質による吸収で、空に開いた黒い穴のように見える様子。観測者は左から暗黒星雲の方向を眺めている。暗黒星雲の正体は、低温で、密度の高いガス星雲である。星雲に含まれているダストが背景からやってくる光を散乱・吸収するため、視線からは見えなくなる。

「馬頭星雲」に学ぶ暗黒星雲の秘密

暗黒星雲の正体はバーナードが見抜いたように、密度の高いガスや塵粒子(ダスト、岩石を細かく砕いたようなもの)でできた星雲であった。その様子を見るために、もうひとつ有名な暗黒星雲を紹介しよう。オリオン座の方向に見える「馬頭星雲」である(図4)。距離は1500光年、差し渡しの大きさは7光年もある。バーナード68などのグロビュールに比べると(図2)、結構大きな暗黒星雲であることがわかる。

図4 (右)ハッブル宇宙望遠鏡による近赤外線で見た馬頭星雲の姿 。(左)オリオン座における馬頭星雲の位置を白い四角で示してある。 (NASA/ESA/STScI) https://hubblesite.org/contents/media/images/3869-Image

ガスの温度は低いので(絶対温度で30K以下)、大半のガスは分子になっている。星雲にはダストが含まれている(ダストとガスの質量費は1:100程度)。結局のところ、暗黒星雲には、星の材料となる分子ガスやダストがたくさんあるのだ。

実際、馬頭星雲は可視光で見ると暗いのに、電波で見ると明るく輝いている(図5)。分子ガスやダストは、馬の頭の部分が明るく見えている。星を産み出すガス雲が隠れているのだ。

図5 様々な波長で見た馬頭星雲。左から可視光、近赤外線、CO分子ガスの放射する電波(波長0.9 mm)、塵粒子の放射する電波(波長0.85 mm)。可視光と近赤外線では馬頭星雲は暗黒星雲として見える。ただし、近赤外線では吸収の効果が軽減されているので、星雲内部のガスの構造が見えてきている。分子ガス [一酸化炭素CO(J=3-2)] 輝線とダストの熱放射は星雲の中に隠されている若い星々で温められている。これらの電波は星が生まれている証拠である。 (ハッブル宇宙望遠鏡、ALMA)

銀河のなかで一つの星がすべったとき

最後に賢治の詩のひとつを味わっておこう。〔北いっぱいの星空に〕の初期形にある文章である。

銀河のなかで一つの星がすべったとき
はてなくひろがると思われてゐた
そこらの星のけむりをとって
あとに残した黒い傷
その恐ろしい銀河の窓は
いったい空のどこだらう 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、265頁、筑摩書房、1996年)

ここに出てくる「黒い傷」「恐ろしい銀河の窓」は石炭袋のような暗黒星雲のことだろう。カムパネルラとジョバンニは石炭袋を見て、恐れおののいた。しかし、暗黒星雲は「空の孔」ではない。決して、恐ろしいものではないのだ。なぜなら、明日の星々を生み出す星雲なのだ。そこには冷たい、密度の高い分子ガスやダストがたくさんある。数千万年もすれば、石炭袋は美しい星々で彩られていく。まるでオリオン星雲を数百個も集めたようなきらめく景色がそこに見えるはずだ(図6)。

カムパネルラとジョバンニよ、そこで本当の幸せを見つけておくれ。

図6 (上)現在の「石炭袋」。(下)未来の「石炭袋」。この写真では、石炭袋の場所にオリオン星雲の画像を重ねてある。石炭袋では今後たくさんの星々が生まれ、天の川の中でひときわ美しい大星雲として輝く場所になる。銀河鉄道に乗って眺めたい景色だ。 (撮影:畑英利) オリオン星雲:CFHT http://www.cfht.hawaii.edu/HawaiianStarlight/HawaiianStarlight-AIOM.html


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