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バルコニアン(8) 宮沢賢治に背中を押され、今度は「桔梗色」の空

花が少ないバルコニーに潤いを

我が家のルーフ・バルコニーの庭には、花が少ないという特徴があるという話を前回のnoteでしました。そんなとき、宮沢賢治の童話『おきなぐさ』を読み、オキナグサという花に巡り会いました。まったく知らなかった花でしたが、園芸店で見つけ、買うことができました。花が終わりしばらくすると、花のあった部分には白く長い髭状の構造が残りました。

「なるほど、これが「うずのしゅげ」か!」

お爺さんの髭です。賢治の故郷、イーハトーブではずいぶん洒落た名前をつけたものです。

こうしてオキナグサは、花の少なかった我が家のルーフ・バルコニーに、なごみを与えてくれました。

銀河鉄道から見る「桔梗色」の空

そして、また宮沢賢治のお世話になることになりました。今度は『銀河鉄道の夜』に出てくる「桔梗色の空」の話です。

最初は第八節の「鳥を捕る人」に出てきます。

[1] がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るやうに、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞ひおりて来ました。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、147頁)

残りの三回は第九節の「ジョバンニの切符」に出てきます。

[2] さまざまの形のぼんやりとした狼煙のやうなものが、かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、154頁)

[3] 美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を実に何万といふ小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせわしなくせわしなく鳴いて通って行くのでした。  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、158頁)

[4] まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃やされその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、162-163頁)

桔梗色ってどんな色?

夜空の色を桔梗色と言っているのです。
これらの文章を読んだとき、不思議な気持ちになりました。なぜなら、夜空の色を桔梗色と思ったことは一度もないからです。しかし、待てよと思い直しました。

「桔梗色って、どんな色だったっけ?」

考えてみれば、しばらく桔梗の花を見たことがありません。紫色っぽい色だとは思いましたが、はっきり思い出せません。こうなると、百聞は一見にしかず。

「桔梗を買いに行こう!」

ということで、園芸店で桔梗を買ってきました(図1)。数年前の夏のことでした。

図1 園芸店で買った桔梗。まだ、花は咲いていません。上に見える膨らんだ部分が花になります。

桔梗の花の咲き方を知る

しかし、まだ花は咲いていません。いったいどうなるのだろうと数日見守っていたら、見事に咲きました(図2)。

図2 園芸店で買った桔梗(図1)が咲いていく様子。花の部分が紫色(桔梗色)に色づき、膨らみ、そしてようやく花が咲きます。お見事!

「桔梗の花はこうやって咲くのか・・・。」

実は、知りませんでした。この花の咲く様子を見ただけでも、桔梗を買ってきた甲斐がありました。また宮沢賢治のおかげで、園芸の基礎知識が増えたわけです。ありがたいことです。

紫の中の「桔梗色」

桔梗の実物を見ることで、桔梗色がわかりました。紫系の色であることは分かったのですが、どのような色として定義されているか気になりました。

『定本 和の色辞典』(視覚デザイン研究所、2008年)によると、桔梗色は“鮮やかな紫”に分類されています(表2)。また、『日本の色を知る』(吉岡幸雄 著、角川ソフィア文庫、2016年)によると、清涼感のある紫色と説明されています。その清楚な紫色に憧れて、王朝の女人たちは桔梗の色をした衣装を好んだとのことです。 

 

桔梗色は紫の中でも雅な色。銀河鉄道に乗れば、それを夜空に見ることができるのです。

『銀河鉄道の夜』に出てくる色

では、『銀河鉄道の夜』に出てきた桔梗色の空の色はわかったのか? そう聞かれると、なんとも言えません。

「賢治はどうして夜空に桔梗色を見たのだろうか?」

結局、この疑問は残りました。

桔梗色は夜空を表す色としては明るく鮮やかなような気がします。『銀河鉄道の夜』を読んだとき、全体的には暗いトーン、あるいは黒っぽいモノトーンな雰囲気を感じました。

そこで調べてみると、『銀河鉄道の夜』に出てくる色の統計がありました(井口「『銀河鉄道の夜』の色の表現」、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』西田良子 編著、創元社、2003年、177頁)。その結果を表1に示しました。何と、第一位は「黒」、第二位は「白」です。賢治の大好きな「青」は第三位に甘んじています。ちなみに「桔梗いろ」は第九位です。

それにしても、ひとつの童話に222回も色が出てくることには驚きます。しかも、25種類もの色。賢治に見える世界は、あまりにも多彩だったのです。


 

一方、色は童話のストーリーで使い分けられています。井口の分析によれば、第一節の「午后の授業」から第五節の「天気輪の柱」までは、白と黒が圧倒的に多く使われています。確かに、「黒い丘」とか「黒い門」とか、なぜ黒いのだろうと思って読んでいたことを思い出しました。また、第九節でジョバンニが目を覚ましてからの部分でも、白と黒が圧倒的に多く使われています。つまり、銀河鉄道に乗って天の川の中を旅しているときだけは、鮮やかな色の世界に浸っていたのです。

フィンセント・ファン・ゴッホの《星月夜》

ここで、夜空を描いた画家、フィンセント・ファン・ゴッホのことを思い出しました(以下ではゴッホと略します)。ゴッホは夜空にどのような色を見ていたのだろうか? ゴッホと賢治は二人とも37歳で夭逝しましたが、不思議に共通点の多い天才です(下記のnoteを参考にしてください)。

note「宮沢賢治の宇宙」(8) 心象スケッチで繋がる宮沢賢治とゴッホhttps://note.com/astro_dialog/n/nf6eeb5830399

《星月夜》を見てみると、夜空は思ったより明るく描かれています(図3)。星月夜なので、星あかりだけで夜は明るい。そのためでしょうか。夜空の色は濃い藍色などの黒系の色ではなく、青に近い色をしています。これは桔梗色に近いのかもしれません。今まで見過ごしていました。

図3 ゴッホの名作《星月夜》。 https://ja.wikipedia.org/wiki/星月夜#/media/ファイル:Van_Gogh_-_Starry_Night_-_Google_Art_Project.jpg

心象スケッチ

賢治は銀河鉄道に夢を乗せたかったのでしょうか。それを意識して、夜空の色を桔梗色と表現したのかもしれません。しかし、賢治の基本的な流儀は心象スケッチです。賢治が「見たまま」、あるいは「感じたまま」の表現が、まずはくるべきです。つまり、賢治には夜空が桔梗色に見えたのでしょう。

夜の桔梗

「そうだ、夜、桔梗の花を見たら、どう見えるのだろう?」

とりあえずできることをやってみました。夜の中に桔梗を置いてみることです。夜、バルコニーに桔梗の花を出して、写真を撮ってみました(図4)。碧(あお)さが増して、非常に綺麗に見えます。贔屓目かもしれませんが、ゴッホの《星月夜》に描かれている夜空の色に少し似ているように感じました。

図4 バルコニーで撮影した夜の桔梗。

しかし、私が今まで見てきた夜空には桔梗色を感じることはありませんでした。なぜだろう? こうして宿題が残りました。

「夜空に桔梗色を見よ!」

そのとき、ふと思いました。

「そうか、賢治の故郷、イーハトーブに行けば見えるかもしれない。」

うーむ、バルコニアンもなかなか忙しい・・・。

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