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ゴッホの見た星空(29) 闇に沈むもの

陰翳礼讃

漆器をどこで使うか? 家の中である。その部屋は明るいか? はい、明るいです、と私たちは答える。これでいいのだろうか?

石川県の輪島塗、加賀蒔絵の金沢塗、そして山中塗。これらの漆器はいずれも江戸時代初期の頃に作られ始めた。その頃の家の中はどうか? 明るいか? いや、薄暗い。その環境で見てこそ、漆器の本領が発揮される。ひょっとしたら、私たちは漆器本来の美しさを見ていないのではないだろうか? そんな疑問を持った。その原因を作ってくれたのは一冊の本だ。谷崎潤一郎(1886-1965)の『陰翳礼讃』(図1)。

図1 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(角川ソフィア文庫、2014年)。スキャンしたときにできた本の右側の陰影を付けておいた。

『陰翳礼讃』は16章からなるエッセイであり、雑誌『経済往来』の1933年(昭和8年)の12月号と1934年(昭和9年)の1月号に掲載された。単行本としては創元社から1939年(昭和14年)に出版された。

谷崎潤一郎の美学

谷崎の美学観がよくわかるのが谷崎の「トイレ観」だ。谷崎の時代ではトイレは「厠(かわや)」と言われていた。では、谷崎の考えを紹介しよう。

京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠に案内されるごとに、つくづく日本建築の有り難みを感じる。・・・日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。・・・
閑静な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることが出来る日本の厠ほど、格好な場所はあるまい。
 (8-9頁)

夏目漱石(1867-1916)も同じ意見だったという。現在の都会のマンション暮らしでは、決して味わえない世界であることは確かだ。

漆に似合う闇

漆器については、京都の料理屋の話が出てくる。そこでは客間には古風な燭台を使っていたのだが、あるとき訪れると行燈式の電灯になっていた。燭台では蝋燭の灯りに頼るが、暗すぎるという客のリクエストに応えて変えたという。しかし、谷崎には電灯の光は明るすぎる。そこで、昔ながらの燭台に変えてもらった。谷崎はそのとき気がついたという。

日本の漆器はそういうぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、はじめて本当に発揮される。 (20頁)

現在では、食事は明るい部屋で摂る。食器に陶器を使うか漆器を使うかには関係ない。谷崎はこの食事のスタイルがよくないと感じる。

「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられない。 (21頁)

谷崎はこう断言して、さらに続ける。

今日では白漆というようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれ出たもののように思える。 (21頁)

こうなると、金や銀をあしらった蒔絵はどう見えるのだろう。

(漆器を)取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電灯の光線に代えるに一点の灯明か蝋燭のあかりにして見給え、・・・(蒔絵は)底深く沈んで、渋い重々しいものになるだろう。 (21頁)

薄暗い部屋の中でこそ、蒔絵の本領が発揮されるというのだ。

考えてみれば、江戸時代の初期、漆器は薄暗い作業場で作られていただろう。食事をとる部屋も薄暗い。その中にあって、漆器には食事を美味しいものに感じさせる力があったのだろう。

ゴッホは暗黒の中から静物を生み出した

前回のnoteで、ゴッホがパリに移る前に描かれた絵を紹介した。それらの絵のトーンは全体的に暗めだった(図2)。1880年代のパリの夜も薄暗かっただろう。

ゴッホは薄い闇に沈む静物と向き合っていた。静物の持つ本来の美しさがゴッホの絵には反映されたはずだ。

谷崎は言った。

漆器の肌は幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれ出た。

これに倣えば、ゴッホは暗黒の中から静物を生み出したのだ。

図2 パリに移る前に描かれたゴッホの絵の例。(上)《キャベツと木靴のある静物》 1881年12月半ば、ハーグ、(中央)《瓶と陶器のある静物》 1884年11月―1885年4月、ニュネン、(下)《陶器の器とジャガイモのある静物》1885年9月、ニュネン


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