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「宮沢賢治の宇宙」(42) 『謎ニモマケズ』って、なんだ?

あれ?『雨ニモマケズ』じゃない!

都内の書店を散歩していたら、一冊の本に目が止まった。文庫本コーナーの端に積んであった本だ。タイトルは『謎ニモマケズ』(図1)。

『雨ニモマケズ』じゃない? 「いったい、なんだ? この本は?」思わず手に取った。作者は鳴神響一。知らない名前だ。しかし、タイトルと帯の宣伝文句が気に入り、迷わず買い求めた。

家に帰り、読み始めたら止まらない。2時間ぐらいで一気読みしてしまった。ここ数年、賢治の作品を読み、賢治という稀有な天才に触れてきた。そのおかげで、『謎ニモマケズ』を堪能することができた。

図1 鳴神恭一の『謎ニモマケズ』(祥伝社文庫、2018年)の表紙。帯の言葉に注目。

大正時代の岩手県遠野で国際謀略事件が進行していた?

『謎ニモマケズ』は読者の意表を突く展開で物語が進む。

プロローグではいきなり大きなナマズあるいはクジラが夜空に浮かんだ話から始まる。そしてそれは大炎上してあっという間に消えた。いったい、何が起きたのか? それがわからないまま、ストーリーが動き出す。

宮沢賢治は花巻の正教会のペトロフ神父にロシア語を習っていた。ところが、ある日、そのペトロフ神父が怪しげな神楽面をつけた大男に殺された。

神父に雇われていたイワンは仕事がなくなったが、なぜか賢治と共に遠野に出かけることになった。イワンは佐々木喜善(1886-1933)を知っているという。佐々木は遠野の民話を収集し、それが柳田國男(1875-1962)の『遠野物語』となったことで有名な人だ。賢治とはエスペラント語の関係で知り合いだった。

謎めいた外国人

遠野に着くと、また外国人がいた。ニコライ、そして美少女エルマ。しかし、遠野でも安閑とはしていられなかった。ペトロフ神父を殺害した神楽面をつけた大男が現れたのだ。エルマはその大男に攫われて、新たな展開を迎える。なんと、原爆<神の火>の理論を構築したパラノフスキ博士まで登場するのだ。時はまだ1920年。「原爆の父」と言われた米国の物理学者オッペンハイマー(1904-1967)が活躍する前のことだ。そして、エルマも単なる美少女ではなかった。本の帯に出ているように、エルマは公爵令嬢なのだ。パラノフスキ博士と共に、エルマの身にも危機が迫る。賢治よ、いったいどうするのだ。

結局、帯にある文章のような展開になる。

さらわれた公爵令嬢を救え!
国際謀略に巻き込まれた宮沢賢治がトロッコを駆り、銃弾の下をかい潜る。

「おい、おい、賢治さん、大丈夫?」 思わずそう言いたくなる文章だ。

幸い、可愛い助っ人が登場する。遠野から三陸海岸の大槌までの逃避行を助けてくれた琴畑マユちゃんだ。地元の山育ちのマユちゃんは普通の人が知らない道や廃屋のありかを知っている。マユちゃんの大活躍も見逃せない。

ゆとりの賢治さん

なかなか大変な物語なのだが、『謎ニモマケズ』では、随所に賢治の香りを漂わせてくれる。短歌とレコードだ。

まずは紹介されている短歌を。

廃坑の うつろいをいたみ 立ちわぶる わが身の露を 風はほしつゝ (169頁)

これは盛岡高等農林学校の関教授の依頼を受けて、稗貫郡の土質調査のときに詠んだ歌である。

あかつきの 琥珀ひかれば しらしらと アンデルセンの 月はしづみぬ (261頁)
あかつきの こはくひかれば 白鳥の こゝろにはかに うち勇むかな (262頁)

アンデルセンの童話を読んで育ったエルマ嬢のために披露した歌だ。

次はレコードの例。

チャイコフスキー交響曲第四番第四楽章 カール・ムック指揮のボストン交響楽団

ドヴォルザーク『ラルゴ』 交響曲第九番「新世界から」第二楽章 ジョセフ・パスターナック指揮のビクター・コンサート管弦楽団

著者の鳴神はかなりの賢治通だ。だからこそ、賢治を巻き込んだこれだけの大活劇を仕上げることができたのだろう。感謝しかない。

「狼煙」の語源を知った

ところで、「狼煙(のろし)」はどうして「狼(おおかみ)」の「煙」と書くのだろうか? 「狼煙」は「狼煙」として覚えただけで、実のところ、なぜ「狼煙」と言うのか、知らなかった。

答えは『謎ニモマケズ』に書いてあった。

遠野から大槌までの逃避行の最中、賢治はなぜか狼の乾いた糞を見つけた。特に理由は書いてなかったが、賢治はそれを拾って身につけた。そして、その糞を大槌の浜辺で炊かれていた焚き火の中に捨てた。すると、真っ直ぐに白い煙が出て、遠くからも見えるようになった。これが「狼煙」だ。賢治はなぜこんなことを知っていたのだろう。

この「狼煙」がパラノフスキ博士とエルマ嬢の居場所を味方に教え、二人は救われるのだから凄い。

さて、最後に今一度、帯を見てみよう。

手に汗握る大正浪漫活劇!

まさに、このとおりなのだ。いやあ、面白かった!!!

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