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「月曜日のたわわ」広告の論点はどこか

noteでは1か月ぶりくらいでしょうか。

痴漢が性暴力だと理解されていないらしい状況に驚き、あきれています。理解してもらえるのは一部の人だけ、というとき、これまでは、理解できる人だけで固まって楽しく話せればいいや、などと思っていましたが、痴漢をなくすことを考えれば、一部の人だけわかっていても解決にはなりません。そういうわけで、半ば血反吐を吐きながら書きます。

まず、日本で女性が男性から見られる見られ方として、顔とか身体つきなどをジロジロ見られて、姿による評価で自分の評価が決まるという側面があります。見た目で人を判断するのをルッキズムと呼びます。ルッキズムは、女性の姿が映った写真や、イラストとして描かれたものなどから、人間の視覚を通して女性像の形成に寄与します。

漫画や映画や広告など、女性像を形成する表現物は無数にあります。いろんな表現物に触れて、ロリータの格好をしている女性がかわいいと思えば、ロリータが好きになるだろうし、キャリアウーマン風の独立した印象の女性を素敵だと思えば、独立した女性像が形成されていきます。

日経の「月曜日のたわわ」広告が批判されるのは、電車に乗っているサラリーマンが女性をルッキズムによって値踏みする場合や、もっと踏み込んで痴漢に及ぶサラリーマンを想起させるからです。これは、女性があの広告を見たらそう見えるとしか言えません。そんなのは女性の被害妄想だと思われる方は、そういうものなんだと事実として受け止めてください。また、お前は女性の代表ヅラするなとおっしゃる方は、痴漢被害にあったことのある女性の多くは被害のあまりのひどさに声に出したり文章にしたりすることは難しいので、今書ける私が書いているのだとご理解ください。

あの広告の女の子がかわいいと見る向きもあるだろうし、全く理解できないわけではないのですが、今している話は、あの広告の女の子がかわいいかどうかではありません。日経新聞は、仕事もあって健康なサラリーマンやビジネスマンが、ビジネスに関する情報を収集する目的で読まれることの多い新聞です。そうした媒体に、漫画のタイトルの「月曜日のたわわ」といった表現が出たら、どうでしょうか。人間の身体について「たわわ」というのはいかにもルッキズムです。もともと「たわわ」という表現は、ブドウなどの農作物がよく実っていることにも使われるので、「たわわ」という表現からは、女子高生の特定のパーツを農作物のように「モノ」として見ていると女性からは見えます。女性も人間なので、モノのように扱われたら尊厳を侵されたように感じます。そして、「月曜日は憂鬱な曜日だから、たわわな女子高生を電車でジロジロ見ようぜ」という態度を促していると見えます。

この意見は、別に私が言わなくても、他のフェミニストの方々も言っていることです。この意見を「お気持ちだ」と揶揄し、「なぜそう思うのか説明しろ」と迫る人もいます。これにどう答えるべきか一日考えましたが、ここは進化心理学を持ちだして、「雄は雌に選んでもらうために追いかける側、雌は雄を選ぶ側なので、雌は雄を、雄が雌にするよりも慎重に選好する。雌にとって、雄の行動を吟味することは不可欠なので、雄とは異性を見る態度が本質的に異なり、見えている世界が違うのだ」ということを、事実として捉えてもらうしかないのではないか、と考えています。

ハフポストで記事を書かれたフェミニストの方も、苦労されたのではないかと思います。専門外に口を出して恐縮ですが、法学分野で女性学の立場の学者さんがいらっしゃれば、男性が女性に対してとるべき態度を法学的な観点からご覧になり、「月曜日のたわわ」の広告の論点が痴漢にあるということで仕切り直して、論じていただけると助かります。


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