意見を持ち主張することの良さと悪さ

西洋では当たり前とされている自分の意見を持ち、それを主張することが日本人の若者にも求められ始めていると感じる。

西洋から取り入れるべきこととそうでないことの議論はここではしないがとりあえず世間では強い自己主張という特性を取り入れようとしている。

最近、特にSNSでは自己主張をしっかりと行う人が増えてきた。そして、これによる社会の変化がみられるようになった。

まず、感じた変化はSNS上で対立した意見を持った人たちが議論しあう場面が増えた。そして、テレビやYouTubeでも意見を述べた動画や議論の動画が多く流れるようになった。これは意見を主張するようになったことと意見を主張しあうことへの抵抗感が減ったためだと考えられる。

このように議論の場が増えることによって知識と出会う機会が増えたのは非常に良いことである。

しかし、この議論の中で気になる点がある。まず、同じテーマについて違う人同士が議論しているのに出てくる意見が同じようになっていることが気になった。これはもしかすると「やってみないとわからない」という段階まで議論が進んだ結果かもしれないが、おそらくは意見を創り出すことはせずに合意できる他の人の意見をそのまま自分の意見として取り入れるためだろう。

この他人の意見を取り入れるということは悪いことではないがあまりにも同じ知識で同じ考察が多すぎる。メリットとデメリットとその解決策まで丸被りでは知識の共有にはなるが録画した議論を再生しなおすのと変わりはない。

私の意見は新しい考察がないなら議論をするなということではなく頑張って新しい考察が生まれるまで議論をしてほしいということである。多くの議論がある程度意見の相違が確認されたところで終わってしまうが相手の意見を取り入れた提案や相手の意見を考慮した上でそれを上回る意見というものを考えるところまでやってこそ議論の価値がある。

意見を主張できるようになる選択をするのなら真似だけではなく価値を生み出すところまでたどりつきたい。

この価値の創造まで行わないと自己主張先進国であるアメリカなどの国のように対立が深まることになる。

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